カンテラ Kandelaar
私は息子の授業参観兼個人面談に一度だけ出掛けた事がある。息子が中学2.3年の頃だったと思うのでかれこれ8.9年前になる。
息子の担任が社会科の倫理、世界史の先生だった時だ。息子はオープンな性格なので学校であった事を色々と親に話す。そんな他愛のない会話で、息子の口からノーム・チョムスキー、スーザンソンダク、ウォーラーステインの名前があがった。どうして知っているのか尋ねると、授業で話していたからとのこと。
私も高校の時世界史を選択した、大学では教職も履修した。世界史であろうと、倫社であろうと高校生でも中々触れられない部分である。それをさらっと中学生に話している。
どのような人物か興味を持った。
そもそも驚いたのはこれに始まったことではない。入学早々、現国で出された課題が何回も突き返されてくる。私も息子と一緒に負けじと必死に考えたが埒があかない。その課題にはどうやら巧妙な仕掛けが問題と問いに隠されており、それまで優秀と言われた生徒の自尊心を利用した発奮作戦だったようだ。その先生は今国立大学の教授をしているという。
当時、社会科、現国、英語はなんとか息子に食らいついていたが数学なんぞはとっくのとうに諦めていた。もともと数字が好きでやっていくうちに難問を考える事が好きになり、数オリでも受賞した。すでに線形代数や幾何論はやっていて、複雑な漸次式も解いていた。
もはやお手上げである。そんなこともありその担任の先生には余計興味を持った。
授業は何も特別なものではなかった。生徒も緊張するでもなく普通に授業を聞いている。ただし、彼らは素晴らしく集中していた。本当に集中するには過度な緊張も伸び切ってしまったリラックスも駄目だ。肩の力を抜いて勁草のごとくしなやかに受け入れる姿勢が肝要だ。彼らのほとんどはこの勁草の如くであった。
授業が終わり、先生の研究室に入った。二人でひとつの研究室を与えられている。先生と面談するまでの間、研究室の書架を見渡した。それは大学のそれいやそれ以上の蔵書が壁一面の書架に並べられていた。先生との会話はこれといった事も無く世間話に終始した。
ただ、印象に残ったのは先生が「うちの学校の生徒の目標は大学に入る事ではないです。彼らがその先で伸びられるようにしておくことです。塾に行かなくても大抵の生徒は受かりますから。その先の伸びしろを作っておくことです」
暗闇では前に進めない。しかし、行き先を決めるのは自分だ。竹中平蔵氏に似たあの先生は今でも生徒の足元を照らし、伸びしろのある人間として生徒を送り出しているのであろうか。
久々にノーム・チョムスキー氏の対談本を読んで、今朝久々に氏のブログを読んだので・・思い出した。
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