行きつけの店
誰でも行きつけの店というものがあると思う。健啖家の作家山口瞳氏のように行きつけの店がどれもすこぶる美味で有名店ということもあろうが、私の場合には様子が違う。
京都の料亭のように吟味された最高の材料を料理人の経験と叡智で至高の一品を作り出し、これまた最高のタイミングで供する場合など、食べる方も心しておかなければならない。食べすぎて腹がきついなどもってのほか、口の中の雑味も消し、諸事仏事の雑念も振り払い、禊のつもりで臨まねばならぬ。時にはこうして食する事も宜しかろうが、元来、怠慢、自由闊達を旨とする当方としてはいささか窮屈すぎる。そこで求めるものは「まあまあ」の味ということになる。
「まあまあ」という事を簡単に考えてもらっては困る。この「まあまあ」という塩梅が難しいのだ。少し外れれば「まずい」になってしまう。また「まあまあ」とは何度食べても飽きないという、これまた難しい条件が加わるのだ。同じものを毎日食べればどんなに美味しいものでも必ず飽きが来る。それは仕方が無い。ただ、また同じように食べたくなるというのは何故だろう。
私も飲食店をやっていてよくお客に味が変わったと言われた。味など変えた覚えは無いのにそういわれるのは飲食店の味というものが、料理のみならずサービスを行う人や雰囲気などが大きく影響するからなのだと思った。安心感を与えるのはお店側の弛まぬ努力の賜物という事になる。
横浜に引っ越してきてからずっと通い続けている稀有な焼き肉店がある。特別に何かが良いとか(失礼)、雰囲気がお洒落だとかそうした類ではない。ただ、いつ行っても安心できる。そんな店なのだ。
女将と思しき人も二度の脳梗塞からカムバックして今も現役でホールを仕切っている。アルバイトの女の子もチェーン店のそれとは違い、臨機応変に笑顔で対応してくれる。あるとき息子と二人で抹茶アイスを注文し、反芻して抹茶を確認した後にバニラアイスが出て来た時には笑い過ぎて言葉も出なかった。もちろんバニラアイスを綺麗に平らげた訳であるが。
我が家が必ず頼むものは上タン塩、ハラミ、トマトサラダ、マンボウサラダである。あとは各人食べたいものを頼む。この店のトマトサラダはこれでもかと言わんばかりに薄くスライスされていて冷たくて味が染みていて美味しい。肉類は奉行の娘が嫁いだのでどうも昔のような訳にはいかないが、それでも香ばしく焼いて葱をたっぷり挟んで食べるタン塩が私の好みだ。
最後にサービスで出してくれるアイスクリームもそして勘定を済ませた後のグリーンガムも二十年前と変わらない。
変わったのは幼稚園の息子が大学院生になり、小学生の娘が子供を産み、私達がおじいちゃん、おばあちゃんになった事ぐらいか・・・
出店 江田「マンボウ」
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