息子は似るもの
息子が帰ってきて、ソファに座りながら世間の出来事やニュースの話題を会話する。息子は口数が少ない方ではないし、色々と自分の事も話す。といっても25歳を過ぎた息子である。私はその年の頃にはとっくに社会に出ていたのだから大人と言えば大人なのであるが、ぼんやりと彼の説を聞いている。
この頃、その物言いが笑ってしまうほど、私に似て来たと思う。マスコミの意見でも簡単には靡かない。いや、そうしたポピュリズムを警戒する節があるのか、中々辛辣な意見を言う。ただし、見習う点もある。知らない事はすぐ調べる。今はリテラシーさえ持っていればインターネットという便利な道具がある。
昨日もツールドフランスに出場している選手の国旗が分からなかった。私などスロバニアとスロベキアの区別さえつかないのだから仕方ないのだが、白と赤と青の下地に紋章が描かれていた。名前からすると東欧系の名前である。結局、彼はスロバキヤの選手だった。私の知識はチェコスロバキアで停止していたのだ。
その直後彼の体質は普通の人より3倍は早く乳酸を除去できるらしいと言ったのがまずかった。すかさず息子に白い目で見られた。彼の目には(本当にそうなら珍しい体質だね。それを証明する科学的根拠のあるデータがないと何とも言えない。原爆と原発を混同して、放射線の特性も理解せず声高に危ない危ないと言っている人達の理論と同じで空虚である・・・とまで言ったかは分からないがそんな具合だと思う)
彼は小さなときから自分の事を「わたくし」といっていた。今も同じ。俺でも僕でもない、わたくしである。
このところ知らない間に美術館巡りをしている。先日も休みなのにふらっといなくなったら横浜美術館に行っていた。ロスにいるときも私達の行かなかったロサンゼルス郡の美術館に出掛けていた。観光は嫌いだけど文化的施設を見るのは好きだという。全く笑ってしまった。これも同じである。
息子がバスクの料理はどうだったと聞く。素直に普通だったと答えた。バスク語を勉強している彼は得意満面の笑顔で、だから言ったでしょ、普通だって。
それでも自分で確認しないと済まないのだから、これもまた同じなのである。
他の人から見れば焼いても煮ても食えない男に見えるのだろうな。それでも息子は息子である。目に入れられない大きさであるが、やはり可愛いのだ。
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