思い込み
私の場合、脳が何らかの障害を受けて可笑しな回路を作り出しているのではとかねてから思う節がある。もっとも私の脳の断層画像を見ると第四脳室、シルヴィウス溝の近くに今もウズラ卵大の白い得体のしれない物質があるのは事実なのだが。
可笑しな回路とは、つまるところの思い込みである。例えば雲呑と書いて「ワンタン」と読むのは小学生でも知っている。そして饂飩と書いて「ウドン」と読む。こちらは中学生くらいか。それでもこの二つの語彙は万人が知るところの漢字である。ところが私の脳では雲呑と見るや「ウドン」と発してしまう。いくら気にしていても「ウドン」に翻訳されてしまうのだ。ところが饂飩は「ウドン」でワンタンとは言わない。言語が反転一致しているのではない、あくまで視覚的イメージの迷走である。
浜田山の雲呑麺の美味しい店では二回とも「ウドン」と言ってしまったが、出て来たのは雲呑麺であったのは助かった。
こんな事もある。卵と私というオムライスの美味しい店がある。全国チェーンで展開しているのでご存知の方も多いのではあるまいか。ところが、この名前を見たり、聞いたりすると少し恥ずかしいような、困ったような気持ちになる。それは私の脳の中で卵は「卵子」、私は「女性」に翻訳されてしまうからだ。よって卵と私と言うオムライスの美味しいお店は、不妊治療専門のクリニックとなって私の頭に現れるのである。店のファサードは明るいピンクと白の基調の看板でレディースクリニックと変わっているのである。
こんな馬鹿な発想をしているのは私だけだと思っていたら、大好きな小説家の村上春樹氏も笑って(笑ったかどうかは分からない)同じ話をしていた。ハルキストとしては大変嬉しくなったが、やはり自分のこの回路の異常さは時として理解に苦しむ。
例えばショパンを皆さんイメージすると何が思い浮かぶだろうか。多くの人は音楽教室に飾られていたカールした髪の毛の女性のように優しそうなショパンの顔であったり、クラシックファンなら自分の好きなショパンのレコードの表紙なのではあるまいか。
ところが私は銀色のつぶつぶの一杯入ったサンドウイッチをイメージしてしまうのだ。何故サンドウイッチかというとこれはショパンの庇護者でもあり彼の恋人、ジョルジュサンドの影響が大きいからだろう。しかし、私の中ではメーテルリンクの戯曲ペレアスとメリサンドの森の中の絵に登場する人物がショパンに思えたことがさらに複雑に絡み合い、生成されたのではないだろうか。そして銀色のぶつぶつはケーキを作る時に使うアラザンという。これは分からないが言葉が似ているから思ったのかもしれない。そう私の中でショパンはアラザンが一杯詰まったサンドウイッチとしてイメージされるのだ。
私の場合、記憶力の低い脳をカバーするために多くの事象や物体を連結し定着しようと映像化する、能力の少ない器官の補完作用なのかもしれない。あからさま否定はしないが困る事も多い。
先日もテレビの映像で流されていたスカイツリーを見て変な想像をしてしまった。変な想像と言ってもまた変なイメージをされては困るのであるが、未成年者禁止のそれではない。まるで蟻塚だと。これもまた困ったイメージである。こちらの方は実際の蟻塚のように脆くては困るのだが。
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