居心地のいい場所
バブルの頃には毎週のように夜の銀座に繰り出し日に何十万、何百万というお金を使っている人がいた。私には残念ながらそのような経験もないし、もし出来たとしてもやらなかっただろうがそこは価値観の違い、それが楽しいとして遊んでいたのなら他人が口を挟むことではないと思っている。何故なら、当時そうしてお酒を飲み歩いたのはその人がその場所こそ居心地のいい場所だったからだ。
若い時に出会った人がいる。当時、新進気鋭のデザイナーとして世界的に有名になった人のマネジャーをやっていた。デザイナーはほどなくしてエイズで死去し、そのブランドもなくなった。その人は白髪交じりの長髪に赤みを帯びたヘリンボーンツイードのジャケットを颯爽と着ていた。今でもこの柄のツイードの生地を探すが見つからない。そのくらい私にはインパクトがあった。ジェットセッターで世界中を旅するその人は一枚のブランケットを携行していた。そう、どんな場所でも自分にとってそこが居心地の良い場所にするために。その人は東京を離れた。今は益子の山の中で自分のしたい仕事をしている。きっと居心地のよい場所を求めて行き着いたのだろう。
私もずっと居心地の良い場所を探し続けている。しかしそれは決してバブルの頃の銀座の飲み屋でもないし、一食数万円もする高級レストランでもない。海岸の突端でハンモックに揺られながら擦り切れたヘミングウェイを読み過ごした時間、911のハンドルから伝わる路面の情報を楽しみながら、ほとんどブレーキを踏むことなくスムーズに運転できた通勤の30分間、空港のラウンジで青から茜色に変化する窓の外を眺めながら出発までの時間、そのどれも居心地を求めている。そう若い頃には居心地を作るのは場所だと思っていた。ところがこの歳になって気づくことは、居心地は経験なのだと。どんな場所でもどんな時でも居心地のよくなる方法がある。
先ほども事務所の近くの小さな額縁屋のおばさんに三連のペギーホッパーの額装について相談した。同じ町内なので実物を持ってきますと伝えるとおばさんが笑顔になった。居心地がよくなった。
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