テレビの事で昭和っぽいと揶揄したが、私が少年時代いつも側にいるのは雑種の犬だった。裏手の河原には野犬がいた。これは危ないので保健所の係の人(私たちは失礼にも犬殺しと呼んでいた)が捕まえて持ち帰っていた。車に積まれいつまで遠吠えをしていた白黒のぶちの犬の目が忘れられない。
子犬は神社の社の下に段ボールに入れ捨てられていた。やっと目が開いたその犬を段ボールごと抱きかかえ家に持ち帰った。母いつも決まって飼っては駄目というが、私の泣き落としが失敗したことはなく、最後は仕方ないと言って飼うことを許してくれた。最初に飼った犬はコロと名づけた。2.3年生きたが病気で死んでしまった。次の犬はタヌといった。目の周りがぶちになっていた。この犬も2.3年で死んだ。当時の犬小屋は屋外にあり、北側で日の差さない劣悪な場所にあった。父親の手作りの犬小屋は粗末で北風が入り込み、犬は丸くなって寒さを凌ぐしかなかった。
父親が誰も面倒を見ないと珍しく語気を荒らげて山奥に捨てに行ったことがある。しかし、翌日には何食わぬ顔でその犬は犬小屋で寝ていた。その時キソウホンノウという言葉を知った。
3匹目はチコといった。高校生の頃だった。暫くすると彼女の足は外側に大きく曲がりはじめた。彼女は動物病院に初めて連れて行った犬だった。病名はくる病。日光不足が災いした。彼女は避妊手術もした。雑種だったが気が強く、食べている時に手を出すと家人の手でも噛み付く。しかし、私だけには従順だった。
私が進学で上京した年に母が子宮筋腫の手術をした。母は犬の面倒を見ることが出来ず私に黙って保健所に渡した。私が何かの用で実家に帰ると犬小屋にチコの姿が見えない。母を問いただすと渋々本当のことを言い出した。私は急いで車のハンドルを握りアクセルを目一杯吹かして保険所に向かった。保健所の冷たいステンレスの仕切りの一番奥にチコはいた。なんとか間に合った。チコは私を見ると全身で喜びを表し、子犬のように甘えた。私はチコを奪い取り車に載せた。チコにゴメンネといい涙が止まらなかった。取り残された保健所の犬達が哀れだった。
そのチコも母が再婚をすることになり。山奥の農家に預けられた。真偽の程は確かめたことはない。ただ、そう思うことにしている。それから犬は飼わないと心に決めた。
今私の膝の上に11歳になるレオンベルガーのサクラが顔を乗せている。もう一匹の14歳のセプはテーブル下の定位置で夕食の準備を待っている。平成生まれのサクラもセプも、昭和生まれのチコやタヌ、コロも、ただ人のそばに一日でも多く居たいと思っている。これには平成も昭和もないのだ。
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