私は人と合うときに先入観に引きずられないように出来るだけその人の良い面を見ようと努力することにしている。学歴や職歴など些細な事は聞かない。なんていうと偉そうに聞こえるがそうではなく、普通の人以上にバイアスに引っ張られる傾向があることを知っているからである。聞くことは一つ今何に熱中しているのか尋ねる。それでも半数以上は熱中しているものがないと答えが帰ってくる。そういう人とはあまり親密にはならない気がするが、これとて長い年月という押し蓋にかかれば馬の合う人となりえるかもしれない。事実、学生時代、こいつとだけはウマが合わないと思っていた男と30年以上付き合い、今では一番の相談者だ。
なぜあわないと思ってしまうのだろうか。考え方が反対だからとも言えまい。逆に似ているからか、それもそうとは限らない。なぜなのか手繰ってみると、その時々であわないものが違うことに気がつく。例えは難しいが、その時々の自分の価値観の相克とでも呼べば良いのか分からぬが、そうなってはいけないと自分に言い聞かせる心の叫びに似ている。
あわない奴が嫌いとかそういうのではなく、あわないただそれだけのことだ。カレーやラーメンについて執筆しているIKという人がいる。行ったことはないが横浜にあるカレーミュージアムの初代館長にもなったことがあるようだが、この人とはとにかくあわないのだ。この人が好きとか嫌いとか抜きにしてとにかくあわない。彼がプロデュースするカレーを食べたが違う意味で鳥肌が立った。カレーで食べられないこと自体珍しい。
その人が絶賛していた湯島の親子丼を食べた。例えあわないと分かっていても乾坤一擲その努力は惜しまないのである。しかし食べてみて何で絶賛していたのかやはり分からない。玉子は極端に硬くなっているか生かどちらかで、鶏肉は塩辛い。丼というのはひとつの宇宙である。宇宙の中ではそれぞれが混ざり合ってひとつの宇宙を作らねばならぬのに、一つ一つがバラバラ別の方向を見ている。これでは丼もの失格である。やはりあわなかった。会わない奴と理解し、調停しようと試みる訳であるがこれがなかなか難しいのである。
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