21歳の時にプルーストの「失われていく時を求めて」を読んだ時に初めて円環的時間の小説に出会った気がします。
それ以来、アランロブグリエの「去年マリエンバートで」や恩田陸の小説の多くがこの時間をモチーフに作られています。私は少し怖いもの見たさのようなところがあり、この手の小説や映画を多く見ているのかもしれません。
そんな私がまだ見たことのない映画を昨日教えてもらいました。クリストファーノーラン監督の作品で、「インソムニア」より2年前に作られた「メメント」という映画です。
題名のメメントはメメント・モリのメメントです。
これは教えて戴いたN氏が言うように円環的ではなく、時間が分断され、いくらかの糊代しかないものが現在から過去にフィードバックするそんな映画です。
主人公の記憶が10分しかもたない前向性健忘という病気によりこの状況が設定されています。主人公はメモとポラロイド写真により記憶を固定し、それでも忘れたくないものは刺青にして体に記録(記憶)させます。
物語が進むにつれ、誰が敵で誰が分からなくなってきます。(混沌)
考えてみると私達の記憶と言うものは曖昧です。ある記憶は鮮明に覚えているのに、つい何日前の献立は忘れているのです。
テレビでFECEBOOKの愛用者にインタビューしたところ、その男性が面白い事を言っていました。
「FECEOOKをやるようになってから懐かしさとか郷愁と言うものをあまり感じなくなった」というのです。
その時はその意味が分からなかったのですが、私も初めてみて妙な感じになって分かったのです。
そう今まで忘れていた遠い過去がすぐ近くに感じられたのです。言ってみれば分断されていた記憶が繋がったような妙な安心感です。
人間は記憶を忘れてしまわないように日記をつけ、手帳に記すのです。ビジネスで忘れたでは通りませんから。でもどんなに努力してもずっと前の記憶はすり落ちて行くのです。
そんなFACEBOOKとは対照的にこの映画はどんどん自分の記憶がなくなり、繋がりも、固定も出来ない状態です。私は恐らく耐えられないでしょう。
以前読んだ本に「ある分裂症少女の手記」というこの手の患者が寛解したことはまれだったので世界中で翻訳された本がありましたが、その少女の手記にも意識が分断(たぶんに時間概念と社会性の分断)が表されていました。
以前にも書きましたがアボリジニの画家・エミール・ウングワレーの作品を見ていると「死とは混沌」であると感じた事を思い出すのです。
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2012年4月30日月曜日
InfluenceとInspire
今ではブログやFacebookで手軽に情報をシェア出来ますし、何十年も会ってない友人にもつい昨日会ったような既視感さえ覚えます。
しかしながらこれらは実体験では決してありません。何故なら、直接会って相手の鼓動や表情を観ながら会話することはなく、あくまで仮想の中での話ですから。
ネットワークを意識するようになったのは今から6.7年前です。自分が30代より全く仕事関係でも血縁でもない多くの人の影響を受けてきたのか改めて思い知ったからです。
またそれらの情報の階層が折りたたまれて自分の行動を揺り動かしていたのです。
それ以来、自分と何らかの形で接点のある人に多く声をかけ、GWの一日に我が家を解放し、皆に集まってもらっているのです。
そうです仮想ではない、実際のネットワークの確認作業のようなものです。
昨日も過去最高の50名以上の老若男女が集いました。中にはお孫さん付で参加した人もいました。
またTEDに実際に参加し、スピーチをされた人がいたことも確認できました。
FACEBOOKは有用です。しかし、有用でも情報の一端しか見えないのも事実です。
ビールは30リットルしか消費されませんでしたが、ワインは3リットルのスーパーマグナムボトル2本と白ワイン9本、赤ワイン8本、さらに森伊蔵も空になりました。
光陰矢のごとし、Sパパが言っていたことを思い出します。
「今自分が選択しなければ次はないのだよ」確かにその通りです。
人生は選択の連続ですから・・・・・
しかしながらこれらは実体験では決してありません。何故なら、直接会って相手の鼓動や表情を観ながら会話することはなく、あくまで仮想の中での話ですから。
ネットワークを意識するようになったのは今から6.7年前です。自分が30代より全く仕事関係でも血縁でもない多くの人の影響を受けてきたのか改めて思い知ったからです。
またそれらの情報の階層が折りたたまれて自分の行動を揺り動かしていたのです。
それ以来、自分と何らかの形で接点のある人に多く声をかけ、GWの一日に我が家を解放し、皆に集まってもらっているのです。
そうです仮想ではない、実際のネットワークの確認作業のようなものです。
昨日も過去最高の50名以上の老若男女が集いました。中にはお孫さん付で参加した人もいました。
またTEDに実際に参加し、スピーチをされた人がいたことも確認できました。
FACEBOOKは有用です。しかし、有用でも情報の一端しか見えないのも事実です。
ビールは30リットルしか消費されませんでしたが、ワインは3リットルのスーパーマグナムボトル2本と白ワイン9本、赤ワイン8本、さらに森伊蔵も空になりました。
光陰矢のごとし、Sパパが言っていたことを思い出します。
「今自分が選択しなければ次はないのだよ」確かにその通りです。
人生は選択の連続ですから・・・・・
2012年4月26日木曜日
宇宙論 佐藤勝彦氏
みなさんは宇宙について興味はありますか?興味の無い方や宇宙の事を考えると怖くなる人(息子は小さなころ宇宙の話をすると耳をふさいでいました・・笑)はとばしてください。
佐藤勝彦氏という研究者がいます。この分野でノーベル賞に一番近い人だとも言われています。
数年前まで東京大学で教鞭をとっていたのですが、定年で退官し別の大学に移られました。
私は小柴教授のノーベル賞受賞記念の公演の折、直接佐藤氏の講演を聞く機会に恵まれました。
氏の講義は一般の聴衆のため難しい方程式は使わずに、至極簡単に彼の唱えるインフレーション宇宙論について説明してくれました。
ここにお薦めする本は氏がまさにそうした素人向きに分かりやすく書きあげたものです。
宇宙論の序章としてお薦めの書籍です。
ステープ・ホーキング氏は皆様もご存じの車いすの天才物理学者です。彼はスタートレックにも出演していますから知らない人はいないと思います(笑)
彼の著したこの本も入門書としてお薦めです。今最新の宇宙論の概要をつかむにはうってつけです。
そうそう佐藤勝彦氏はホーキングの訳者でもありましたね。
もう少し量子論や粒子の振る舞い(物理学は良い言葉を使いますね)を知りたいと言う人にはこちらの本をお勧めします。
内容的には日本人で先般ノーベル賞を受賞した益川・小林理論とも通ずるものがあります。
宇宙創成の謎は対称性の破れだった?本当に想像が膨らみます。
さらに宇宙の姿を俯瞰しようとするならばこの2冊がお薦めです。宇宙観が一気に広がること間違いありません。カラビヤウ多様体ということばや超弦理論もこの本で知りました。
読み終えると村上春樹のパラレルワールドが嘘ではなく、実際に説明されているところに驚きます。
金環日食が近づいています。専用の器具を使って目を傷めないように観測しましょう。私は日食の開始と終了間際のダイヤモンドリングが好きです。
佐藤勝彦氏という研究者がいます。この分野でノーベル賞に一番近い人だとも言われています。
数年前まで東京大学で教鞭をとっていたのですが、定年で退官し別の大学に移られました。
私は小柴教授のノーベル賞受賞記念の公演の折、直接佐藤氏の講演を聞く機会に恵まれました。
氏の講義は一般の聴衆のため難しい方程式は使わずに、至極簡単に彼の唱えるインフレーション宇宙論について説明してくれました。
ここにお薦めする本は氏がまさにそうした素人向きに分かりやすく書きあげたものです。
宇宙論の序章としてお薦めの書籍です。
ステープ・ホーキング氏は皆様もご存じの車いすの天才物理学者です。彼はスタートレックにも出演していますから知らない人はいないと思います(笑)
彼の著したこの本も入門書としてお薦めです。今最新の宇宙論の概要をつかむにはうってつけです。
そうそう佐藤勝彦氏はホーキングの訳者でもありましたね。
もう少し量子論や粒子の振る舞い(物理学は良い言葉を使いますね)を知りたいと言う人にはこちらの本をお勧めします。
内容的には日本人で先般ノーベル賞を受賞した益川・小林理論とも通ずるものがあります。
宇宙創成の謎は対称性の破れだった?本当に想像が膨らみます。
さらに宇宙の姿を俯瞰しようとするならばこの2冊がお薦めです。宇宙観が一気に広がること間違いありません。カラビヤウ多様体ということばや超弦理論もこの本で知りました。
読み終えると村上春樹のパラレルワールドが嘘ではなく、実際に説明されているところに驚きます。
金環日食が近づいています。専用の器具を使って目を傷めないように観測しましょう。私は日食の開始と終了間際のダイヤモンドリングが好きです。
2012年4月25日水曜日
TED
昨晩のテレビでアメリカで開催されているTEDの実際にスピーチをしている場面ととその前の練習の風景が写されていた。
今まではこのTEDを見ることはプラチナチケットを手に入れるようなもので、マスコミもシャットアウト知るのはネットワーク以外になかった。
実際に登場してスピーチする人物は老若男女、人種もバラバラでその守備範囲は相当に広い。
すでに名を馳せている人もいれば、全く無名の人もいる。
そしてそのスピーチの内容は各国のボランティアによって翻訳され各国に配信される。
Human Arabesqueなるビデオは人種や年齢を超えてアラベスクが出来あがる。このネットワーク社会の姿そのものである。
参加した茂木健一郎氏がこのTEDの素晴らしさはまず発表させる場を設けるだけでなく、どのようにしたら効果的に映るか、聴衆に感動を与えられるか徹底的に分析している点だと言っていた。
氏はこのプロジェクトの参加には「脱抑制」が必要だが日本人は苦手な部分を本質的に持つとも言っていた。
私がこうした一連のアメリカでの催し物(アカデミー賞の授賞式なども)はまず徹底してやることを徹底的にやっていることだと思う。何も特別な事ではない。やるべくしやっている点である。
そこへいくと我が国はだらしない。いや不甲斐ないのである。素人の討論会やクイズ番組は敬遠され、芸能人のお決まりのクイズ番組だけが生き残る。
英語でapplauseという単語がある、賞賛である。トヨタ自動車の元会長で経済界の重鎮である奥田碩氏が「そろそろ日本も嫉妬から賞賛の経済にかわるべきだ」と言っていたがまだまだ遠い話のようだ。
話を元に戻そう。このTEDでは知は個人や一部の企業によって独占、閉鎖されることは社会全体そしてその個人やシステムにも恩恵を預けず、オープンにして共有することで知そのものも、そして個人も企業も価値が上昇すると言っていた。
FACEBOOKでもこのTEDについて触れたが、残念なのは私の友人で「いいね」をしていたのが一人だったことだ・・・若い人にこそチャレンジしてもらいたい・・・・
世界はまさにThe next convergenceなのではないか?
この本を送った就活中の友人の息子はきっとこの深遠な意味を理解してくれていることだと思う。
今まではこのTEDを見ることはプラチナチケットを手に入れるようなもので、マスコミもシャットアウト知るのはネットワーク以外になかった。
実際に登場してスピーチする人物は老若男女、人種もバラバラでその守備範囲は相当に広い。
すでに名を馳せている人もいれば、全く無名の人もいる。
そしてそのスピーチの内容は各国のボランティアによって翻訳され各国に配信される。
Human Arabesqueなるビデオは人種や年齢を超えてアラベスクが出来あがる。このネットワーク社会の姿そのものである。
参加した茂木健一郎氏がこのTEDの素晴らしさはまず発表させる場を設けるだけでなく、どのようにしたら効果的に映るか、聴衆に感動を与えられるか徹底的に分析している点だと言っていた。
氏はこのプロジェクトの参加には「脱抑制」が必要だが日本人は苦手な部分を本質的に持つとも言っていた。
私がこうした一連のアメリカでの催し物(アカデミー賞の授賞式なども)はまず徹底してやることを徹底的にやっていることだと思う。何も特別な事ではない。やるべくしやっている点である。
そこへいくと我が国はだらしない。いや不甲斐ないのである。素人の討論会やクイズ番組は敬遠され、芸能人のお決まりのクイズ番組だけが生き残る。
英語でapplauseという単語がある、賞賛である。トヨタ自動車の元会長で経済界の重鎮である奥田碩氏が「そろそろ日本も嫉妬から賞賛の経済にかわるべきだ」と言っていたがまだまだ遠い話のようだ。
話を元に戻そう。このTEDでは知は個人や一部の企業によって独占、閉鎖されることは社会全体そしてその個人やシステムにも恩恵を預けず、オープンにして共有することで知そのものも、そして個人も企業も価値が上昇すると言っていた。
FACEBOOKでもこのTEDについて触れたが、残念なのは私の友人で「いいね」をしていたのが一人だったことだ・・・若い人にこそチャレンジしてもらいたい・・・・
世界はまさにThe next convergenceなのではないか?
この本を送った就活中の友人の息子はきっとこの深遠な意味を理解してくれていることだと思う。
2012年4月23日月曜日
時間とのかかわり方
30代の頃には分からなかったことが、たまねぎの薄皮剥くように一枚一枚ベールをどかし、目の前にその姿を現すことがあります。
私にとって時間とのかかわり方もそんなひとつ。
以前時間は相対的なものと言った事がありました。その通りです。ある人にって1時間はすごく長いものかもしれませんが、別の人にとってはとるに足らない時間であることもまま見受けます。
私は仕事をするうえで特に大切にしている考え方があります。
自分が取りかかろうとしているその仕事は果たし時間を味方に付けることが出来るのか否かということです。
成功するか分からない仕事でも、この時間を味方につけることが出来ればその成功の確率は驚くほど上昇します。
逆に相手にこの時間を味方につけられるとこちらの勝率は下がります。もちろん人生には勝者も敗者もないのですけど・・・
欲どおしい人というのはこの時間を味方に付けていません。
欲が時間に勝って独り歩きするのです。こうなったらその人に良い事はありません。
ある本に「怒らない心穏やかに生きる」と書いてありました。すべてがそうだったらその人は聖人です。誰だって頭に来ることも心乱されることだってあるのです。それは人間ですから仕方のないことです。
ただ、そういう時ほど丹田に力を入れて一度俯瞰するのです。すると時間の流れが自分の中で一度止まり自分が時間の雲の上にいるそんな感覚を覚えます。
すると時間はするすると川を流れ自分は何もせずその時間の雲に乗る事になる訳です。
世の中、あるがままに受け入れるということが出来るようになるのです。
全てが旨く行くとは限りません。失敗も多くあります。でも嘘だと思ってこの考え方を試して下さい。
本当に必要な事なんて本当に少ないのです。ほとんどはどうでもよい事。どうでもよい事に拘っているのは愚の骨頂ではありませんか。
まさに「断捨離」とはそのことを理解することですから・・・
私にとって時間とのかかわり方もそんなひとつ。
以前時間は相対的なものと言った事がありました。その通りです。ある人にって1時間はすごく長いものかもしれませんが、別の人にとってはとるに足らない時間であることもまま見受けます。
私は仕事をするうえで特に大切にしている考え方があります。
自分が取りかかろうとしているその仕事は果たし時間を味方に付けることが出来るのか否かということです。
成功するか分からない仕事でも、この時間を味方につけることが出来ればその成功の確率は驚くほど上昇します。
逆に相手にこの時間を味方につけられるとこちらの勝率は下がります。もちろん人生には勝者も敗者もないのですけど・・・
欲どおしい人というのはこの時間を味方に付けていません。
欲が時間に勝って独り歩きするのです。こうなったらその人に良い事はありません。
ある本に「怒らない心穏やかに生きる」と書いてありました。すべてがそうだったらその人は聖人です。誰だって頭に来ることも心乱されることだってあるのです。それは人間ですから仕方のないことです。
ただ、そういう時ほど丹田に力を入れて一度俯瞰するのです。すると時間の流れが自分の中で一度止まり自分が時間の雲の上にいるそんな感覚を覚えます。
すると時間はするすると川を流れ自分は何もせずその時間の雲に乗る事になる訳です。
世の中、あるがままに受け入れるということが出来るようになるのです。
全てが旨く行くとは限りません。失敗も多くあります。でも嘘だと思ってこの考え方を試して下さい。
本当に必要な事なんて本当に少ないのです。ほとんどはどうでもよい事。どうでもよい事に拘っているのは愚の骨頂ではありませんか。
まさに「断捨離」とはそのことを理解することですから・・・
2012年4月20日金曜日
超美味 生シラス
生シラスを食べた事のある人は多かろう。私も腰越の生シラスと言われて食堂で食したもののちっとも美味しくなく苦味さえ感じてどうでもいいやと思っていた。
ところが鎌倉に住むようになって春先に材木座でシラス漁を行っている前田水産(もんざ丸)で購入してから考え方が変わった。
シラスといえど場所や購入する店によって千差万別。ここで教えてもらった食べ方は生姜ねぎ、醤油のオーソドックスなものとユッケ風に生卵、ゴマ油と葱、醤油で食すというものだ。
ところがこのシラス毎日取れるものではない。まして青葉区のTストアーで売られている生シラスとは別物である。シラスは鮮度が命。料理店も買いに来るのだから。
今年は漁が遅れていて半月ばかり遅くなっているようだ。やっと2日前くらいから十分な量が取れ出したと聞く。
喜楽丸は坂の下のローソンの裏にある。いつもシラスを捕っている。今日はそのシラスだ。
春シラス特有の小ぶりの身は苦味はなく、甘さが際立つ。これは旨い。
シラスは内臓ごと食す。だから冷蔵庫の保存の仕方が重要だ。昨年、2回お腹を壊した。それは私が購入したまま冷蔵庫に入れただけだったからだ。
購入したら袋のまま、ボールに氷と水を入れたものにそのまま冷やす。これだとほぼ5.6度だ。菌は繁殖しない。そして食べる前に氷を取り除き氷水で洗う。これがお腹を壊さない秘訣だ。
いや、お腹を壊しても私は食したい。本当にこんな旨いものを食べられるのは幸せである。
明日は残ったシラスを小麦粉と卵とカイワレと小葱でワッフルにしよう。
これは又朝食に欠かせない・・・・・
ところが鎌倉に住むようになって春先に材木座でシラス漁を行っている前田水産(もんざ丸)で購入してから考え方が変わった。
シラスといえど場所や購入する店によって千差万別。ここで教えてもらった食べ方は生姜ねぎ、醤油のオーソドックスなものとユッケ風に生卵、ゴマ油と葱、醤油で食すというものだ。
ところがこのシラス毎日取れるものではない。まして青葉区のTストアーで売られている生シラスとは別物である。シラスは鮮度が命。料理店も買いに来るのだから。
今年は漁が遅れていて半月ばかり遅くなっているようだ。やっと2日前くらいから十分な量が取れ出したと聞く。
喜楽丸は坂の下のローソンの裏にある。いつもシラスを捕っている。今日はそのシラスだ。
春シラス特有の小ぶりの身は苦味はなく、甘さが際立つ。これは旨い。
シラスは内臓ごと食す。だから冷蔵庫の保存の仕方が重要だ。昨年、2回お腹を壊した。それは私が購入したまま冷蔵庫に入れただけだったからだ。
購入したら袋のまま、ボールに氷と水を入れたものにそのまま冷やす。これだとほぼ5.6度だ。菌は繁殖しない。そして食べる前に氷を取り除き氷水で洗う。これがお腹を壊さない秘訣だ。
いや、お腹を壊しても私は食したい。本当にこんな旨いものを食べられるのは幸せである。
明日は残ったシラスを小麦粉と卵とカイワレと小葱でワッフルにしよう。
これは又朝食に欠かせない・・・・・
美術史概論「ボストン美術館 日本美術の至宝」展
私は何故か知らないが、当時の大学の一般教養にあった「美術史概論」という授業をとった。当時の内容はもう忘れたがその時の講義の先生が「日本の美術が壊滅的な被害にあう事実が3回あった」「そしてその1回は辛うじて難を逃れた」といったような事を言ったことだけ覚えている。
1回目は応仁の乱、悉く焼き打ちされた。もう一つは太平洋戦争である。多くの文化財が喪失した。
その間を埋めるのが急速に西欧化した明治の時代の危機である。
その明治の言ってみれば、鹿鳴館にうなされて今までの芸術を見向きもしなかった時代に多く日本美術は軒先に置いてけぼりにされていた。その日本美術を海外逃避という選択で難を逃れさせた人こそ岡倉天心であり、協力者のフェノロサやピゲロだった。
そんな海外に逃避していた美術品の里帰りが国立博物館で開催されている「ボストン美術館 日本美術の至宝」展」である。
この展覧会は今年どうしてもみておきたかったものだ。
曽我蕭白はご存じのように奇才である。現存するものが多く伊勢地方で発見されたため当初はこの地方の出身と間違えられていたが、近年では京都の裕福な商家の生まれで、父母の死後、家は凋落し、自らも奉公に出て、色々な流派も含め独自で絵を学んだようである。
室町時代の画氏の曽我蛇足とは直接の関係はないようだが、蕭白はオマージュも込めて自らを蛇足軒と名乗っていた。
蕭白の雲竜図は実はつい最近まで、襖に張られていなかったため、展示されることが無かったと聞く、襖から外して急遽アメリカに運んだ当時の状況がうかがわれる。
専門家による修復も完了してお目見えになった逸品である。
私は絵の先生に「絵と言うのは写真とは違う、そのまま丸写しにすれば良いというものではない。描きたい対象を決めて、力強く、描くのです」と教わった事がある。
まさに蕭白の絵はそのとおり、描きたいものが何なのかはっきりと目に飛び込んでくる。
もちろん構図やそのデフォルメを嫌う人もいようが、私にはその個性がはっきりと感じられた。
展時には「平治物語絵巻」や「刀剣」「きもの」などもあったが「三条巻」より「信西巻」の方がスピード感を感じられて個人的には好きなのでさっと流す程度だった。
私の鑑賞方法は確かに一般から見れば邪道だと思う。みたいものを決めて直感的に視る。
そのほかの物ははっきりいってどうでも良いのだ。くぐっと心ひかれたものが何だったのかそれをみるために行くからだ。
笑っちゃう話だが、ルーブル美術館も1時間も掛らなかった。ニューヨークのメトロポリタンはフェルメールの青をみるためにだけにいった。
私のみるは「観る」ではなく「視る」なのかもしれない。
お時間があれば是非足を運ぶ事お薦めする。上野は丁度、八重桜とぼたんが盛りだった。桜の後、草木が一斉に光り輝きだした。
1回目は応仁の乱、悉く焼き打ちされた。もう一つは太平洋戦争である。多くの文化財が喪失した。
その間を埋めるのが急速に西欧化した明治の時代の危機である。
その明治の言ってみれば、鹿鳴館にうなされて今までの芸術を見向きもしなかった時代に多く日本美術は軒先に置いてけぼりにされていた。その日本美術を海外逃避という選択で難を逃れさせた人こそ岡倉天心であり、協力者のフェノロサやピゲロだった。
そんな海外に逃避していた美術品の里帰りが国立博物館で開催されている「ボストン美術館 日本美術の至宝」展」である。
この展覧会は今年どうしてもみておきたかったものだ。
曽我蕭白はご存じのように奇才である。現存するものが多く伊勢地方で発見されたため当初はこの地方の出身と間違えられていたが、近年では京都の裕福な商家の生まれで、父母の死後、家は凋落し、自らも奉公に出て、色々な流派も含め独自で絵を学んだようである。
室町時代の画氏の曽我蛇足とは直接の関係はないようだが、蕭白はオマージュも込めて自らを蛇足軒と名乗っていた。
蕭白の雲竜図は実はつい最近まで、襖に張られていなかったため、展示されることが無かったと聞く、襖から外して急遽アメリカに運んだ当時の状況がうかがわれる。
専門家による修復も完了してお目見えになった逸品である。
私は絵の先生に「絵と言うのは写真とは違う、そのまま丸写しにすれば良いというものではない。描きたい対象を決めて、力強く、描くのです」と教わった事がある。
まさに蕭白の絵はそのとおり、描きたいものが何なのかはっきりと目に飛び込んでくる。
もちろん構図やそのデフォルメを嫌う人もいようが、私にはその個性がはっきりと感じられた。
展時には「平治物語絵巻」や「刀剣」「きもの」などもあったが「三条巻」より「信西巻」の方がスピード感を感じられて個人的には好きなのでさっと流す程度だった。
私の鑑賞方法は確かに一般から見れば邪道だと思う。みたいものを決めて直感的に視る。
そのほかの物ははっきりいってどうでも良いのだ。くぐっと心ひかれたものが何だったのかそれをみるために行くからだ。
笑っちゃう話だが、ルーブル美術館も1時間も掛らなかった。ニューヨークのメトロポリタンはフェルメールの青をみるためにだけにいった。
私のみるは「観る」ではなく「視る」なのかもしれない。
お時間があれば是非足を運ぶ事お薦めする。上野は丁度、八重桜とぼたんが盛りだった。桜の後、草木が一斉に光り輝きだした。
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