このブログを検索

2013年4月22日月曜日

夢の記憶


夢の記憶

私はよく夢を見る。子供のころからよく夢を見た。子供のころの夢は崖から落ちる夢やスキー場にいるのにスキー靴を忘れたというような夢が多かった。

40歳を過ぎて1年間、夢の記録をとったことがある。もちろん覚えている範囲でしか記録は出来ないので全てというわけではない。

最近ニュースで夢のメカニズムが解明されたとあった。恐らく脳のどの分野で活動が活発になり、その関連性を高性能のコンピューターで前日や過去の行動からそのどの部分が合致しているのか判別しているのではなかろうか。

そんな高性能のコンピューターを使わずとも類推できるものが多い。人間の心の中に表面化しない滓のように沈んでいるものが、夢の中でその事にはっとさせられることがある。いくら良い人ぶっても人間には複雑な一面かある事を知らされる。

昨日見た夢は母が急激に老化し、その顔飄が変わり痴呆化する夢である。その原因は我が家の13歳になる高齢犬がおむつをするようになったことが影響しているかもしれない。前の犬は7歳で突然あの世に逝ってしまった。だから、介護も手当ても何もできないまま一晩で急変した。今の犬はその犬の2倍近く生きていることになる。介護を楽しめと言う人もいるが中々はそうは旨くできないだろう。ただし、介護はその犬(人)とのお別れの時間にゆとりを与えてくれていると思うのは如何であろう。

父が危篤で病院に向かった時にはすでにこん睡状態だった。父は満州の夢を見ていた。馬に跨りライフルを片手に馬族と対峙していた。父にとっての人生の最高の時間が最後に巡ってきたのかもしれない。それが私の唯一の救いだった
。
最期をみとった病院の前を毎朝私は車で通過する。神社の横のうす汚い建物はすっかり綺麗に見違えるように新しくなった。

誰でも必ずその時がやってくる。いつもは忙しさと日常生活に追われてそんな大切な犬(人)の声をつい簡単に片づけてしまう。だから、ほんの少し、いつかお別れする犬(人)に優しくしてあげられたらと思うこの頃である。焦る必要は無い、別れの時は必ずやってくるのだから・・・





2013年4月19日金曜日

越前蟹


越前蟹

蟹の好みはその人の出身地によって異なるようである。
北海道出身の道産子なら厳冬期の毛ガニが一番うまいというだろうし、南の島国ならアサヒ蟹が美味しいというかもしれない。上海の人に言わせれば陽澄湖のもくず蟹が一番というだろう。

私の場合は間違いなく越前蟹である。越前蟹を食べたのは岐阜に赴任している時だった。私が仕事中の平日、妻と義父が車で越前まで出掛けて生きたままの大きな2匹の蟹を買ってきた。茹で上げて食べたそれは今まで食べたどの蟹より甘みが強く、しっとりしていた。

蟹は同じ蟹でも住む場所によって全く味が変わると言う。ロシアやサハリンの遠洋で獲れるものは半値近く安い。もっともこれらはすぐに冷凍にされるので生ではないのですぐ分かる。近縁にオオズワイガニ、ベニズワイガニ、オオエンコウガニなどもいるが本ズワイガニが一番甘みも強く、各地でブランド化されている。

ズワイガニは楚蟹、津和井蟹と書く。楚とは古語で「すわえ」と読み、細い枝を意味する。なるほどこの蟹の脚はすっとしていて美脚である。もっと脚の長い蟹は他にもいて、戸田で獲れるタカアシガニは1メートル近くもある。一度食べたが大味だっと記憶している。

越前蟹で思い出すのは大食漢で食通の開口健氏である。今年こそは氏の名前が冠された「開口丼」のある、こばぜという旅館に逗留し食べてきたいと思っている。
氏が言うように蟹は食べるのが面倒くさい。この丼のように白いご飯の上に蟹の身がどかっと乗っているのをガツガツと食べたい衝動に襲われるのは無理からぬ話である。

六本木に老舗のステーキハウス瀬理奈がある。ここでは越前蟹のシャブシャブを食べさせてくれる。薄い昆布出汁の澄んだスープにぷりぷりの身をくぐらせて食す。口の中で肉を噛みすっと身を剥がしながらそのまま呑みこめば、口の中に百合の様な蟹肉独特の甘い香りと微かな磯の香りが交互にやってくる。至福のひと時である。

そうそう蟹は何の仲間か知ってました?
答えはクモ。最初に食べた人はさぞ勇気が必要だったのだろうな・・・



2013年4月17日水曜日

鎌倉散歩


鎌倉散歩

鎌倉に通い始めて20年になる。居を移して2年になるがそれまでは縁遠い存在だった。唯一、小学校の修学旅行で鎌倉を訪れたことがあるが、あのとき横浜に住まう事になる事も、ここ鎌倉が私の身近な存在になるなど毛頭考えも及ばなかった。

鎌倉は四季を通じてその時々の面白さがある。桜咲く、若宮大路の春。紫陽花が海に向かってむせび泣くように開花する成就院。歴史に名高い大銀杏の落葉。数え上げればきりが無い。

そんな中でも私は夏の鎌倉が一番好きだ。人によっては何故気候のよい春と秋ではないのかと訝しがる向きもあると思うが、一番良い時期は観光客に譲る事にしたのだ。それは冗談であるが、やはり夏の鎌倉が好きなのだ。

鎌倉には自転車が置いてある。いつも練習で使っているロードバイクではなく、いわゆるママチャリである。それにサンダル履きでひょっと飛び乗ってあてもなく鎌倉の街を巡るのである。夏の暑い日差しの中、銭洗弁天への坂を登る、汗が滝のように噴き出す。そして弁天の中に入ると汗がすっと引いて行く。その気持ちよさは格別だ。

極楽寺へ続く坂を上り、七里ガ浜に向かう。134号線の渋滞が嘘のように裏道は空いている。お気に入りの家の前で黒いゲレンデが無ければ今日は留守かと要らぬ心配をする。

この春ひとつの楽しみが減った。丸七商店街の中で長く営業していた鰻屋さんが店を閉めたのである。

鎌倉には「つるや」という名高い店がある。味も私の好きな江戸前でお値段も高くない。この店の近くには小花寿司という、これまた鎌倉で1.2を争う店がある。

どちらにしようかといつも思案してしまう。丸七の鰻屋は本店を佐助におく「うな豊」の出店であるが、鰻をこの商店街の中で焼いている。本店にも行った事があるが、出来たてを食べるのであれば、「つるや」に軍配が上がる。もっとも鎌倉には他にも「妻木家」、「浅羽屋」などもあるが、私の個人的嗜好からは「つるや」が上に来てしまう。たれの辛さと蒸しの柔らかさが私の好みなのだ。

一度、天然のうなぎを食べた事がある。一緒にいた人は天然ものだと浮かれていたが、私には固くて甘くて、美味しさを感じられなかった。

丸七内のその店は頭におまんじゅうを載せたような古風な髪型のおばあちゃんが一人で切り盛りしている。もちろん持ち帰りのみ。

私は出来る限り売れ切れ間近に行くようにしている。そのおばあちゃんの笑顔が見たいからだ。最後の鰻が売れた時のその嬉しそうな顔は何よりの味付けになる。

冷めた鰻を温め、熱々のご飯に乗せて、うな丼を作る。それにはここの鰻が一番良いのだ。残念ながら私は今そのおばあちゃんが焼いた最後の鰻を食している。

冷凍してあったものを温めなおし、食している。半分はうな茶にした。これも旨い。

丸七を覗く楽しみが減ってしまった。また、何か楽しみを見つけよう。夏が来る前に。
 
 
 


2013年4月16日火曜日

贔屓の店


贔屓の店

辻静雄氏や山本益博氏について料理や文化についての総合知としての慧眼を持っておられると賞賛したばかりだが、ひとつだけ私と違う点がある。それは贔屓の店についてである。
氏は美味しい物を食べたければ贔屓の客になるべきであると言っておられる。確かにそうかもしれない。それに異論はない。しかし、どうだろうミシュランの形骸と以前申し上げたが、星を獲った店の中には客を客として扱わない店もある。私も経験した事があるし、つい先日、銀座のそんな店に友人が出掛けたら、客の前で板前を叱りつけていたというのである。これでは興醒めである。
こうした店は贔屓の客を特別に扱う。いや、それ自体店が生き残っていくために必要ならば仕方ないだろうが、ならば一般客などとらず会員制で営業すればいい。一般客に門戸を開いておいて、そんな気分にさせる店は良い店だとは思えない。
私などそうした高級店と縁遠い存在なので、私の贔屓の店はそんな事は一度もない。
その親父は常連であろうが、初めての客であろうが、年寄りでも子供でも誰にでも江戸ッ子訛りで満面の笑みをもって話しかけてくる。そして出される牡蠣フライのカリカリでジューシーな事、それはもう笑わずにはいられない美味しさだ。料理に真摯に向き合う事も必要だが、客が楽しく帰る事のできる大らかさも必要な気がする。
私の贔屓の店は、「そこそこ美味しくて」、「肩ひじ張らず」、「客を楽しい気持ちにして帰してくれる店」である。
今日のランチは中目黒の駅裏のあの店にオムライスを食べに行こう。壁に大相撲の取り組み表の張ってあるあの店に




出藍の誉れ 「八雲」 池尻大橋


出藍の誉れ    「八雲」

私は30年近く前、浜田山に住んでいたことがある。叔父の家が西永福にあるので衣食住、何かと世話になっていた。当時は家庭教師のアルバイトに加え、大企業の厚生施設でもある運動場でもアルバイトをした。テニスコートの整備や雑草取りといった単純労働だったが、これが以外と楽しかった。当時、駅前にはホームセンターがあって、仕事中、足りないものが生じると買物に行かされた。そんなとき、食欲旺盛の若者はこっそり近くのT亭というラーメン店でお腹を満たしていたのである。この店は当時やっと名前が挙がる程度の控えめな繁盛ぶりだったが、今となっては知らない人はいないだろう。この30年の間にここ出身の人が暖簾分けして独立しているから、分派も含めれば10軒近く同系列の店があるはずだ。

ここの特徴は澄んだスープとしっかりとしたチャーシューである。そしてラーメン店のものとは思えない本格的なワンタンを出す。魚介の香りは最後に来る程度で、臭みは感じられない。

つい1年ほど前に、西永福に仕事で行ったついでに久しぶりに寄ってみた。

ところがどうであろう???麺が少し伸びてしまっている上に、ワンタンは融けてしまっている。うーむ、期待はずれである。スープは以前のままであるが全体としてのまとまりが無かった。

話は変わるが、ミシュランの寿司の三つ星店は銀座に多い。筆頭は小野次郎氏率いるすきやばし次郎であろうが、氏の薫陶を受けた後輩でも星を獲得している店もある。

そんな店の一つがMである。残念ながら私は行った事がないのだが、友人は気分を悪くしたという。客の前であからさまに従業員を叱咤し、常連の客とだけ会話するような尊大な態度だと言っていた。友人は二度と行かないと言っていた。

これでは、その人を教えていた親方を侮辱することになるのに、本人は分からないのだろうか。

私の事務所の近くに「八雲」というラーメン店がある。池尻から徒歩5分程のところにある。以前、その横はガソリンスタンドで私は洗車待ちの間に何回か食した事があった。当時はそれほど行列が出来ていた訳ではないが、近頃では開店と同時でないと長蛇の列に並ぶ事になる。土日では1時間待ちというからその人気は驚きである。私の場合はこのスタンドがなくなってしまったので暫く食す機会がなかったが、先般偶然にも11時半にその横に所用を済ませ入店することが出来た。

頼んだのは特製ワンタン麺(白だし)である。私の入店した5分後にはすでに満席で外には行列が出来ていた。器を温める人、具材をまとめて並べる人、麺をゆがき盛る人、その3人のプレーが完ぺきである。きっちりと湯切りして供されたそのラーメンの食感は30年前に食べたあの喉越しそのものであり、鼻腔に抜ける魚介の控えめな香り、スープを邪魔しないチャーシューといい、完璧だった。店を切り盛りするのは30代から40代のあぶらの乗り切った人達だ。何より勢いを感じる。不味いはずがない。

先般の銀座の寿司店に見習わせたい。これぞ出藍の誉れである。

後から入ってきた、近くの付属病院の研修医と思しき若者が、仲間にこの店の説明をしている。どうやらその若者の実家は歯医者で浜田山に住んでいるらしく、意気揚々とT亭との関係をべらべらとじゃべっていた。出されたラーメンを食せず話し続けている若者を店主が一猊したのは私の見間違いではなかろう。若者よ、ここの常連はそんなこととっくに知っているし、だから食べに来ているわけじゃないのだよ。一生懸命に作る一食を食べに来ているのだから蘊蓄や説明はその位にして麺が伸びないうちに食べなさい。店主の瞳がそう語っていた。
 


2013年4月15日月曜日

低温調理器


低温調理器

友人のお嬢様にお願いしてアメリカから低温調理器を調達した。
構造は何て事の内単純なものだ。大きなポットだと思えば良い。そのポットに温度を一定に保つサーモスタットが内蔵されている。
これによって低温で定温を保つ訳だ。
ところが一度間違った方法で料理してしまったことがある。京鴨(合鴨の一種で少し大きい)が手に入ったので真空になるビニールに入れて3.4時間調理した。(この方法だとドリップがほとんど出ないのだ)
出来あがった鴨肉は綺麗なピンク色で中心にゆっくり火が入ったことがわかる。焼き加減は旨く行った。ところがここで問題が生じた。皮目に焼き色を付けなかったのでこの見た目と食感が悪い。慌てて皮目を焼いたが今度は火が入りすぎてしまった。
この調理器を使う場合は出来るだけ塊の肉を使い、最初に強火で表面を焼き。冷ましてから真空のパックに入れて調理するこの手順を踏まなければならないのだ。
二度目に料理したそれは自画自賛になるが火の入り加減、焼き色といい、最高の仕上がりだった。
私はこの手の料理にスペシャルスパイスをあわせる事にしている。フランス料理では良く使うカトルエピス(Quatre Epice)である。このスパイスは白コショウ、ジンジャーパウダー、ナツメグ、クローブ、パプリカ、フェネルなどから4種類を混ぜ合わせて使うのだが、私はこれにクミンシードパウダーとシナモンを加えることにしている。こうすることでフランスの対岸である北アフリカのどこかエキゾチックな雰囲気になるからだ。そして京都からやってきた鴨に敬意を表してシナモンを加えた。もし手元に八橋があればそれを粉砕して使っても良い。断っておくが生は使えないのであしからず。
こうしてカトルエピスならぬ7種のスパイスで焼かれたお肉はとても上品な味になる。
そして付け合わせはかぼちゃのムースである。これには生のオレンジを絞ったジュースを加える。少量のバターとクリームが適度な柔らかさをつくり、滑らかな仕上がりになる。



2013年4月13日土曜日

村上春樹にご用心Ⅳ 「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の旅」


村上春樹にご用心 Ⅳ

夜中に並ぶ勇気と体力は持ち合わせてないのでアマゾンに注文していた。発売日翌日には手元に届く予定になっていた。ところが昨日書店の平積みされた本を見るや他の本に混ぜ隠すように会計を済ませていた。つまり土曜日には2冊同じ本が手元にあることになる。

私は誰に何と言われようが村上春樹氏のファンである。それも相当のファンだ。
第一の理由であるが氏は私より一回り上であるが、氏の観て来たものの多くは私と時代をだぶらせて体験している。つまり私がとても「共感」できるという点である。私は小説においてこの共感こそが面白いと思うか、思わないのかを大きく分けるものだと思う。

もうひとつは彼の言葉の巧みさである。これは彼の観察眼によるところが大きいのではないか。例えば1Q84に出てくる3号線の描写。西側のベランダにゴムの木があると描写している。そこに置かれる木はゴムの木でなければならないのだ。アジャンタムでもベンシャミンでも駄目なのだ。ゴムの木でなければ。高速道路に面したマンションのそれも高速道路から見えるベランダは滅多に開けられる事も無く、そこにぽつんと取り残されたゴムの木がいわずとこの物語の方向性を与えている。
私は一時期、伝説のバーラジオに通っていた。通っていたと言うほどの常連ではないが先輩にくっついて末席で静かにグラスを傾けていたのである。そのバーラジオで村上春樹氏や安西水丸氏、糸井重里氏にも邂逅した。同じような空間にいたのに彼の観察眼はそのまま彼の身となり肉となり筆致に生かされている。氷一つの描写も舌を巻かざる得ない。まさしく仕立ての良いオーダースーツのように無駄な物は無く、その言葉が文章にぴたっと収まっている。

話を「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の旅」に戻そう。
もちろん、まだ1回読んだだけだし、内容を話すなんて無粋な事はしない。
ただ、冒頭から村上ワールド全開である。さらに物語に花を添える音楽の話題にも事欠かない。1Q84がヤナーチェックだったのに対して今度はどんな音楽が用いられたのだうか。読めばすぐにわかる。村上氏の文学はジェネレーション文化だと言う人もいる。確かに私もその点の面白さは前述のように理解できる。しかし、本作はそうじゃない物も書けるよと氏からメッセージを受けた気がする。これも読めばわかる。

凡人の私にはただ悪戯にギムレットやマティーニを飲んでいるだけで何一つ身にならなかった。ところが氏は違う。バラバラに分解咀嚼され再構築されている。そこが凡人と違うところだ。ノーベル賞を獲ろうがとらぬかは、私にとってさほど重要ではない。それよりも一冊で多く著作を世に出して欲しいと願うのである。これからも村上春樹にはご用心が続くと思う。レコードの針をスターターのブラックドッグに落としたものが、天国への階段に変わろうとしている。コーヒーは冷めてしまった。