「公共性」という言葉で思い出すのは「ハーバーマス」「ハンナ・アーレントン」などではないかと思いますが、実は仕事でこの公共性が問題になりました。問題になったのは小泉首相時代に官邸主導で策定された、「都市再生特別措置法」のことです。この法律は当時の停滞した経済状況の打開策として打ち出され、規制緩和の合言葉のもとに民間による都市開発を積極的に進めるというものです。
現在長い不況は脱した(また不況になりそうですが)にも関わらず、多くの民間都市開発がこの法律の下に行われています。私は都市開発がいけないとは思いません。多くの外国からのお客様は日本の都市変化スピードは世界でも最速であり、エキサイティングだと言われます。良い面もあります。しかしながら、この再開発は従来、国や公共機関が行ってきた政策としての開発とは根本が異なっています。何故なら、「公共性の内部に私企業の利益が内包されており、純粋な意味での公共性とい言えないからです。」今回、司法はここにまでは踏み込みませんでしたが、彼らの心証には「公共性に傾倒した開発」というものが感じられました。今後も日本が同様の司法制度を継続する以上、益々司法が日和見的傾向になりそうです。
「雨新者」とは法華経にある仏語らしいのですが、この本は私の尊敬する知人(故人)から戴いたものです。さらにその方も石橋湛山先生のご子息さんより戴いたものらしく、大切にされていました。今の政治家に「政治家は国民の盾塀になれ」という気概をもった政治家は果たしているのでしょうか?