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2013年3月25日月曜日

大人の読書感想文


大人の読書感想文

子供の頃学校で夏休みの宿題に必ずと言っていいほど読書感想文の提出を求められた。
12.3歳の子供が本を読んで書くのだから、そこには12.3歳の経験からしか物語を読み解くしかないのだが、艾年を過ぎてもう一度読み返すとなるとそこには50年を超えた経験と知識が含まれる。もっとも全てにおいて経験と知識が優位だとばかり喜んではいられない。少年の頃のキラキラした夢や希望が滓に沈んでしまったことだってある。
友人が本を薦めてくれた。私よりずっと年上の先輩であり友人と言っては失礼にあたる先輩であるが、いつも私に知の刺激を与えてくれる。この年になって嬉しい限りだ。
紹介してもらったのは四方田犬彦の「ハイスクール1968」である。著者の事もこの本も読んでなかった。しかしながら、矢作俊彦は読んだことがあった。彼は息子の学校の先輩でもあり、歯に物着せぬ彼の物言いには好き嫌いが分かれるであろうが、私は好きである。実はこの四方田犬彦も同学なのである。
先輩よりお借りした文庫本を一晩で読了した。尤、推薦された当日に新書を発注していたのだがまだ届かなかった。(私は本にマーカーや印を付けて読むことがあるので)新書と文庫版では装丁が異なるが、私としては文庫版の表紙に使われたモンキーパンチの絵柄の方があっていると思うが。
その文中に庄司薫著の「赤ずきんちゃん気をつけて」が登場する。(頁163)実はこの本は私が高校生の頃、友人たちと愛読したベストセラーだった。恐らくクラスの中でこの本を読んだことのない者はいなかったのでないだろうか。私は彼より6つ年下なので彼が読んでいた5.6年後に読んだ計算になる。ところがこの本の感じ方が全く違うのだ。彼は最初すっと受け付けなかったと書いている。ところが私達(少なくとも私)はこの本に大いに共感し、本の主人公に自分たちを投影していた。ところがあれだけ愛読した庄司薫の3部作は数回の引っ越しの間に無くなってしまった。結局、先の矢作俊彦著「ららら科学の子」「赤ずきんちゃん気をつけて」も購入して読むことにした。つまり、3冊を併読した訳である。
私は息子が通ったのである程度分かるようになったが、あのような学校があること自体知らなかった。私の育った市では進学校といえども1年に一人東大に受かれば良い方で、それくらい東大は遠い存在だった。だから毎年120名程度の生徒数から100名近い東大合格者を輩出する学校など考えられなかった。数でこそ開成や灘に負けるものの生徒数の絶対数に比すればダントツの合格率である。
四方田犬彦の「ハイスクール1968」の書評の中には、このような知が存在する事を評価し、彼の優秀さに驚嘆する読者も多いようだが、今の教駒(筑駒)も同じようだから私は驚かなかった。当時も今も変わらずに各進学校の一握りのトップが集まる。彼も言っているように中学組と高校組は確かに分かれる。高校組は将来の希望が東大への進学であるのに対し、もっと詳細な設計図を公言する。つまり東大は経過の一つに過ぎないのだ。
数学が出来る人間は物凄く出来る。息子を見ていても大数、数オリを中学から解いていたし、数オリでもメダルを獲ったが、それでも上がいると知り、数学への道は諦めた。四方田犬彦も出来たであろうが、そんな中の一人だと思う。
彼は下馬から浜田山の100坪の家に引っ越したと書いている。彼は近くの三井のグラウンドとか新日鉄のグラウンドの入場券を何とか手に入れプールで泳ぐのが好きだったと書いている。奇遇だが私はそこでアルバイトをしていた。企業の保養施設だから社員やその家族が使うのは当然であるが、彼のように一人でやってきてプールサイドで本を読み日がな水泳と日光浴を楽しむ若者をときおり見かけた。彼らは決まって自分は特別だというオーラを放っていた。私は労働者階級として彼らを観ていた。
息子の通っていた頃の筑駒生の家庭は彼の時と同様、裕福な家が多かった。そんな彼らもこの学校に来ると勉強が出来なければ始まらない。逆に言えば、そこそこ勉強が出来た位でここに来ると大変な目にあう。これは教師も同じだ。全ての事はここに収束される。
息子のように全くの運動音痴でも勉強が出来ればなんとかなるのだが、逆は否なりなりなのだ。彼が勉強をそっちのけで遊び呆けていたのも、私にはエクスキューズに感じる。じゃお前はどうなのかと言われれば、私も大いにエクスキューズしたのだから彼を糾弾するつもりもないし、彼の行動には共感すら抱く。ただ、いえるのは井の中の蛙ということだ。彼も私も。
本書の中に出てくる映画批評や文芸評論はどうでもいい。何故なら、それらはほとんど後天的に知識の後付けだからだ。
本書の中にもう一つ重要なテーマが隠されている。それは音楽である。彼は幼い頃クラシックを聞いていたと書いていたが、その後、マイルスデイビス、コルトレーン、ビートルズに変遷していく。この音楽趣味が好き嫌いは別にして、とてもポピュラーだと思う。
つまり万人が愛した音楽なのだ。読んでいた本や彼が観た演劇や映画の内容に比べるとあまりに普通なのだ。実はこれこそ彼を読み解くカギなのかなと思っている。
もう一つのこの本の楽しみ方は当時の世相が散りばめられている点である。もっとも彼とは6歳離れているので全てが同じ時期という訳ではないが、私も渋谷の田園には行った事があるし、私が就職を決めたのも当時の西武のアバンギャルドさに惹かれてのものだった。西武のB館の地下のBE-INは忘れられない。ファッションに興味を持ったのもあそこからだった。
では彼とはこうした事物を共有しているのに何が決定的に違うのだろうか。前出した「赤ずきんちゃん気をつけて」が私にとってすんなり受け入れられた理由はその何年間の間に大きく潮目が変わったからだと思う。私が高校の頃には学生運動は急速に下火になり、高校2年の時に東京を訪れた際、大学には学生運動の姿は無かった。無かったと言えば嘘になるが、私立のいくつかの大学にプラカードが立っていた程度である。
氏も書いている通り、「赤ずきんちゃん気をつけて」はドライフールの所業だと思う。庄司薫は既にその当時、攻撃的にわめき散らし周囲を罵倒する全共闘がビターフールつまり道化だと看破している。だから数年間の遅れが私達を十分承知させていたのであると思う。
渋谷の街も変わった。東横線の駅舎は地下にもぐり、プラネタリウムはとっくに姿を消した。西武のA館とB館も当時の面影は観る由も無くつまらなそうな大人の空間になってしまった。アルバイトでカウンターを打ち続けたパルコパート1とパート2の交差点もパート2はなくなり、行きかう人は全身ユニクロづくめだ。
姿を消してしまう前に、百軒店の階段を上ってムルギーでランチでもしようか、それとも暗くなってから麗郷の蜆のにんにく醤油漬けと腸詰で一杯やりながら当時を思い出して定点観測してみるのも悪くないかもしれない。

音楽はレディマドンナからサムシングに変わったところだ・・