妻の実家は茶屋坂の上にある。昔は富士山も見えたというが、今は清掃工場の煙突が正面に見えるだけだ。
ご存知のようにこの坂は江戸時代将軍家の鷹狩の帰りに、将軍が茶屋でサンマを所望し、あまりの美味しさにさんまは目黒に限ると言わせしめたという逸話が残っている。
秋はさんま祭りなる催し物も行われる。そのサンマは宮古産を使用していたが震災の影響で北海道産に変えられたというが今年はどうなのだろう。並んで食べたことはないが心配である。
実家の前には大きなボーリング場があったという。私は知らないが夏にはプールが開かれ有名芸能人がステージに上っていたという。妻は運動音痴なのに水泳が得意なのはその家の前のプールに毎日通っていたせいかもしれない。今は高層の薄っぺらのマンションになっている。
町名の三田は港区の慶応大学のある三田と同名である。理由は春日神社がともに氏神であって、おそらくその分社が出来た時に地名を拝領したのかもしれない。
妻の実家から防衛庁の施設局が見える。ここには巨大なプールがあって戦前にはこのプールで伊号なる日本の名潜水艦が開発されたと聞く。
義父もなくなりもう行くこともなくなってしまったが、妻にとっての故郷はこの茶屋坂なのである。