分袖と共感
妻の父が逝去した。79歳だった。私をこの道に引き入れた人であり、色々な意味で教師でもあり、反面教師でもあった。
私がサラリーマンをしていた時に「君は社長になれるのかな、なれないなら会社でもやってみたら」と私に誘い水を仕向けた。意気地の無い私はさっさと会社を辞めこの道に入った。
ところが言うとやるのとは大違い、サラリーマンをしていた時の気楽さは何処かへ行ってしまった。絶えず不安と心労で眠れない日々が続いた。
私が分袖と書いたが、義父もきっと同じだったのだろう。親分肌の実父と同じ道を歩みながら何か違うと感じて自分の道を歩んできたのだと思う。私も同様だった。
私が会社を大きな会社にするよりも従業員を大切にする偉大な商店で良いと思ったのもその反動だった。
義父は人の扱い方とお金の使い方が本当に下手くそだった。つい、かっこをつけてしまう。本心ではそんな事を思っていないのに口にした罵詈雑言が人を遠ざけてしまう。
誰かが言っていたお金を儲けるようになるのは1代で出来る。しかし、お金を上手く使えるようにはそう簡単にはならない。確かにその格言はあたっている。
晩年は孤独だったに違いない。そんな義父を見ているから私は他人と容易に仲良くなれない。そう私は孤独になるのが怖いのだ。
人は生まれてくるとき満面の笑顔で迎えられ、死んでいく時悲しみの涙で送られるのが幸せだと誰かが言っていたが、義父もその点では幸せだったに違いない。
私など死する時には娘は離れていて、息子も日本にいるか分からない。その幸せを担保できる保証さえない。それも人生、これも人生である。受け入れるしかない人生はリセット出来ないのだから。合掌。