40代と思しきサラリーマンと恰幅の良い中小企業の社長と思われる二人のある日の会話・・・・
40代のサラリーマンA氏
「社長は国産の物にこだわって持っておられると聞いたのですが、その鞄もそうですか」
社長B氏
「そうそうこれ銀座のTというカバン専門店にオーダーして作らせたもの。皮も国産に拘ったのだよ」
A氏
「なるほど丁寧な仕事ですね。つい先日新築されたお宅もそうですか?」
B氏
「国産の檜をふんだんに使った和風の住宅だよ。家具類もほとんど松本の銘木家具で合わせた。」
「もっとも若い頃より車だって国産しか乗った事がない。今乗っているのもそうだ。」
「外国製は頼りにならない。壊れても国産ならすぐ治る。それに費用だって安い」
B氏の携帯に自動車修理工場から電話が入った
修理工場
「社長の車なんですけど部品が手に入らないのです。あの部品タイの工場で作っているのでもそのタイの工場が水没して再会の見通しが立たないんです。もう少し待っていただけますか」
社長は顔を真っ赤にして下を向いたまま顔をあげることはなかった。ちなみにこの社長の妻は年齢が二周りも違うチリ人の妻だった事は伏せておく事にしましょう・・・・・
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これは一部脚色はしていますが実際の会話です。多かれ少なかれ、この頃の日本人は好きか嫌いかとすぐ白黒付けたがる方が多い。
世の中そんなに簡単に割り切れるものばかりじゃないのに、すぐに2項対立に持ち込もうとする。
原発事故後に東北の野菜は一切食べないという人が増えているらしい。そういう人は理屈じゃないのよね。科学的根拠なんてどうでもいいの、つまりは「正しい事」をしているということが大切な訳。
息子の高校の先生がオウム事件を含めたカルトの研究をしていた。
極端な宗教やカルトには知るには実はこの「正しき事」の動機づけが大切なのだそうな。
拘らないのも困るけど゛、拘り過ぎて科学的知見を忘れてしまうのも問題だ。
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2012年6月12日火曜日
好きこそものの上手なれ 開口 健
開口 健の小説と言えば純文学として芥川賞を獲った「裸の王様」や「夏の闇」「輝ける闇」など人間の内面、心の闇に迫った作品も多いが、なんといっても彼が好きだった食べ物やワインそして釣りに関する雑文にこそ彼の魅力が詰まっていると思うのは、私の勝手な思い込みであろうか。
先日買った、「完本 釣魚大全」はまさに開口の面目躍如、起死回生の一冊である(もともと死んではなかったか)
魚をとらえて万物の流転の転成を論じてみたり、魚の餌を話題に世のグルメ高級志向にチクリと釘をさしたり、読んでいて実に面白い。
そういえばヘミングウェイも好きなカジキ釣りの描写は他の作家には類を見ないダイナミックでそして静謐な表現だった。
そう好きこそものの上手なれ。私はそれで良いと思うのだが・・・・・
先日買った、「完本 釣魚大全」はまさに開口の面目躍如、起死回生の一冊である(もともと死んではなかったか)
魚をとらえて万物の流転の転成を論じてみたり、魚の餌を話題に世のグルメ高級志向にチクリと釘をさしたり、読んでいて実に面白い。
そういえばヘミングウェイも好きなカジキ釣りの描写は他の作家には類を見ないダイナミックでそして静謐な表現だった。
そう好きこそものの上手なれ。私はそれで良いと思うのだが・・・・・
野上彌生子 「森」
先日、鎌倉の古書店で野上彌生子の遺作となった「森」を購入した。この作品は最後の数ページを残してほとんど完成したものが後になって補筆され出版された。
九州のご出身の方ならば「フンドーキン醤油」はご存じであろう。また最近では女子プロゴルフのトーナメントでもその名前を聞いたことはあるかもしれない。
野上彌生子はその老舗の醤油製造所の娘であった。野上の作風は一貫して世間を少し離れたところで鋭く観察し、歯切れのよい言葉でばっさりと示す。
武田百合子もそうであったように、この時代の女性の強さは驚きである。世の中に媚びず、常に批判的精神を忘れない、そんな姿勢が今の時代に読んでも頼もしいである。
野上は鎌倉の寺に眠っている。鶴岡八幡をすぎて大船に向かう途中にある東慶寺である。
この寺には海外に日本の禅文化を広めた鈴木大拙が設けた「松が丘文庫」が存在する。
鎌倉の古書店には東京では中々お目にかかれないような書籍と出会うことがある。やはり文士が多く住んだ街のお陰であろうか・・・
九州のご出身の方ならば「フンドーキン醤油」はご存じであろう。また最近では女子プロゴルフのトーナメントでもその名前を聞いたことはあるかもしれない。
野上彌生子はその老舗の醤油製造所の娘であった。野上の作風は一貫して世間を少し離れたところで鋭く観察し、歯切れのよい言葉でばっさりと示す。
武田百合子もそうであったように、この時代の女性の強さは驚きである。世の中に媚びず、常に批判的精神を忘れない、そんな姿勢が今の時代に読んでも頼もしいである。
野上は鎌倉の寺に眠っている。鶴岡八幡をすぎて大船に向かう途中にある東慶寺である。
この寺には海外に日本の禅文化を広めた鈴木大拙が設けた「松が丘文庫」が存在する。
鎌倉の古書店には東京では中々お目にかかれないような書籍と出会うことがある。やはり文士が多く住んだ街のお陰であろうか・・・
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