平松洋子さんが茗荷の事を書いていた。秋茗荷が終わったばかりなのに無性に茗荷が食べたくなった。
我が家の茗荷は家の東北にひっそりと植えられている。その出所は川越で生まれ、目黒の青葉台(昔は日向町といっていた)に引っ越し、そこで青春時代を送り、横浜の辺鄙な我が家に嫁いできた。茗荷が何故女の子かと問われればこれといった確証はないが、甘酢に付けて暫く置くと、仄かなピンク色に染まるその容姿がうら若い女の子を想像させるからとしておこう。
私の恩師にあたる人と海外旅行に行くことになった。その人は日本の地勢史を研究されていて前職もその編纂にあたっていたため、日本の歴史、地理については大変詳しい方であったが、趣味も仕事も同じとばかり国外に出かけるようなことはまずなかった。ましてや今回はハワイである。派手なことと時差ボケを心配し、当初二の足を踏んでいたこともあり、私はその方に少しでもリラックスしてもらおうと、空港に茗荷の甘酢漬けを持参したのである。何分、その茗荷の株はその方から頂いたのであり、正真正銘の里帰りである。
お酒を飲まないその方と空港のラウンジでやわら瓶を開け、つんとする酢と甘い砂糖の匂いが鼻先をかすめるころ、窓の外は夕暮れに染まっていったことを思い出す。
あれから5年、その方は戻らぬ人となってしまった。今は枯れて見る跡もないが、我が家の茗荷は春先になると濃い細長い葉を生い茂らせ茗荷が地中からひょこんと芽を出すに違いない。主がいなくなっても植物は毎年芽を出す。
手で摘んで、またあの甘酢付けをこしらえよう。そして墓前に供えて。