開高健の小説や散文はほとんど読破している。どうして好きかと言うと彼の文章には体験して知っている人にしか持ちえないニヒリズムとシャイが同居しているからだ。
後年、彼がアマゾンやアラスカの冒険旅行をしたのもそうした原体験を埋める作業のような気がしてならない。
私が当時、ワインのことなど何も知らぬ若造の身分で短編集「ロマネコンティ 1935」という本を読んだ記憶がある。
今は手元にもなく絶版となっているので、手に入れるのは古書店で見つけるしかない。ただし、文庫になっているので比較的手に入れやすいだろう。鎌倉で探してみようか・・・
先日、犬友のMちゃんパパにこの本をお借りした。著者は長年開高の編集者として身の回りのことや愛人への送金まで任された人である。これは読んでいなかった・・・
現在はパリに在住し、ワインの専門家として人気を博している。
そんな彼女が人生で薫陶を受けた開高のことを書いている。面白くないはずがない。
好き勝手に生きてきた開高が、いまわの際になって復讐をされる。独占と言う復讐を・・・そして彼が去った後に残ったものは・・・
男の優しさとはなんであろう・・・今、自分に出来ることとして相手の事を考え、封筒に100ドル札を束ねてそっと渡すことなのか、それとも君が来ると色々とまずいから君はこないように釘をさすことなのであろうか・・・優しさとはやっかいな代物である・・・・
開高とヘミングウェイはその風貌もさることながら、自分で何事も実践する作家として共通していると思う。
ヘミングウェイはスペイン内乱、開高はベトナム戦争・・ふたりとも人間の最も卑しい所作である戦争を体験している。
この二人は書くと言うことが出来なかったらもっと早く命を落としていたのではないかと思う。
ふたりにとって書くことは、唯一の現実だったのだ。それ以外は全て夢かうつつか分からないものだったのでは・・・・と考えてしまう。
それにしてもボルドーのシュバルブラン(今はどうかわからないが)のオーナーがサントリーださったとは初耳であった・・・・