京都では「丸山」と決めていたので、村田さんの「菊乃井」にも行ったことがなく、「瓢亭」にいたってはパルコの本館にいったのみです。折角チャレンジしようと嵐山の「星のや」に逗留した際にもまんまんと「嵐山吉兆」にも逃げられたのです。ということで老舗料亭にはてんでご縁のない私達ですが、サラリーマンをしていた若かりし頃名古屋の日銀近くにある「河文」という老舗料亭に連れて行ってもらったことがあります。
都心なのに広い庭と洗練されたお料理の事は良く覚えています。名古屋に行く際には是非訪ねてみたいものです。
水鏡の石舞台では邦楽や能を演じたりします。ここで私は初めて信長が舞ったという「敦盛」を初めて聞いたのはここだったような・・・・
格式のある料亭は博多、新潟、金沢、滋賀、京都・・・古い由緒ある街にほんの少し残っているようですね。残念ながら大阪のそれはすでに廃業のため記載されてはいません。
京都に夏前に行く予定があるのでその際には・・・・迷ってしまいます。やっぱり丸山も美味しいので本当に・・・・・・少ない夕餉ははずせませんから・・・・
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2011年2月15日火曜日
ケインズ再考 モラル・サイエンス
ケインズといえば経済学を机上の学問にしばりつけたと経済=合理性と人間の不確かな感情や欲動を無視して結論付けると批判されることがありますが、よくよくケインズを読み解くとそんなことはありません。
1938年に経済学者のハロッズに向けてこんな手紙を書いているのです。
「経済学は本質的にモラル・サイエンスであって、自然科学ではありません。すなわち経済学は内省や価値判断を用いるのです」
「経済学は動機、期待心理的不確実性といったものを取り扱っているのです。我々は素材を不変かつ同質的に扱わないように、たえず注意しなければなりません。言ってみれば林檎が地面に落ちることが、あたかも林檎の動機に依存したり、地面に落ちることが勝ちあることかどうかとか、地面が林檎の落ちることを望んでいるかどうかとかに依存したり、地球の中心からの距離についての林檎の誤算に依存しているようなものなのです」
言うまでもありません。ここでいう林檎はニュートンの林檎です。ケインズのこの考える林檎によるレトリックなのです。2つの世界観をつなぐ重要なファクターそれが林檎なのです・・・・
1938年に経済学者のハロッズに向けてこんな手紙を書いているのです。
「経済学は本質的にモラル・サイエンスであって、自然科学ではありません。すなわち経済学は内省や価値判断を用いるのです」
「経済学は動機、期待心理的不確実性といったものを取り扱っているのです。我々は素材を不変かつ同質的に扱わないように、たえず注意しなければなりません。言ってみれば林檎が地面に落ちることが、あたかも林檎の動機に依存したり、地面に落ちることが勝ちあることかどうかとか、地面が林檎の落ちることを望んでいるかどうかとかに依存したり、地球の中心からの距離についての林檎の誤算に依存しているようなものなのです」
言うまでもありません。ここでいう林檎はニュートンの林檎です。ケインズのこの考える林檎によるレトリックなのです。2つの世界観をつなぐ重要なファクターそれが林檎なのです・・・・
Jean Baudrillard 記号の経済学批判
ジャンボードリヤールといえば「シミュラークルとシミュレーション」「象徴交換と死」などの著作が有名ですが、それよりもう少し前の著作がこの「記号の経済学批判」です。
ー著作より抜粋ー
かつてマルクスは商品の物的集積を対象とした経済学批判に着手した。しかしいまや商品は記号として生産されており、消費はその記号と差異の論理そのものである。記号および象徴交換の経済学批判は、商品=物の内的論理から、欲望の全体的関連と資本・権力の戦略を読み取る
そして最後に
つまり、ラジカルな欲求の立場、物や価値ではなく、交換という関係自体を、今日至るところで勝ちのテロリズムがつぶしているパローロの互酬性を解放するはずの革命の立場なのだとされるのである。
マルクス批判のある一定の矜持を持った見解であります。
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