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2011年8月22日月曜日

山岡洋一氏 逝去





これらの本全部読みました。

何が共通項か、それは山岡洋一さんという金融・経済の翻訳家が訳したものなのです。

この山岡氏が脳梗塞により逝去されたとニュースにありましたが、なんと市ヶ尾に住まれていたとは知りませんでした。それも長男は息子の小学校の先輩のようです。

文学の翻訳が翻訳家により異なるように、この山岡氏のように金融経済の分野も翻訳の旨い人だとすっと入っていきます。

そういえばA・グーリーンスパンの本の中に「根拠なき熱狂」と訳していたのは彼だったのですね。

SパパのKBSでの講演の際にも話されていたあの言葉です。

ご冥福をお祈りいたします。

竹と昆布

鎌倉に住んでいる知り合いから聞いた話なので真偽のほどはわからないが、その知り合いは猫の額ほど庭に竹を植えていて、筍を取ったくらいでは竹の成長を抑えることができず、なんとかならないものかと思案に暮れていたところ、寺の住職が昆布を植えると成長が止まるというので、乾物屋で立派な利尻昆布を買い求め試しに植えたそうな。

するとその植えたところの竹は他の竹と異なり、中々成長せず細い竹になってしまったということだ。

実際に見たことはないのでどのくらい細くなったのか、何故そうなったのかわからないが、知り合いは嘘を言うような輩でもない。

世の中には面白い取り合わせというのがある。竹と昆布もそのひとつ。かもしれない。





バタフライ効果 待てば海路の日和あり


少し前の映画に「バタフライ・エフェクト」という映画があった。

もちろんこの映画はバタフライ効果をサスペンスに仕上げたものだ。

バタフライ効果とはいうなれば「風が吹けば桶屋が儲かる」の事だ。

世の中絶えず、動いている。若い頃には絶対的だと思っていた事も、儚げで脆いものだとこの歳になって理解した。

しかし、考えようによってはこのバタフライ効果を見過ごしてしまうこともままある。

例えばとある銀行がさらに有利な貸出条件を提示してきたとしよう。これを全面的に受け入れて再構築するのも一つの手段だ。

私の場合は、他の金融機関に「こんな話が来ているのよ」「お宅とは取引を続けたいのよ」そう持っていく。

「風が吹けば桶屋が儲かる」待てば海路の日和あり。今日はそんな一日です・・・

大概の場合は、そこで相手のプライオリティやシンパシーを感じ取る踏み絵にもなるのだから・・・・


ある若者の会話

ある若者が友達と思しき人物と会話していました。

聞く気はなかったのですが、声が大きく相当ヒートアップしているようで、嫌が応にも聞こえてきます。

A男「俺、会社辞めちゃった、だって営業の仕事おれに向いてないもん」

A男「それにアルバイトと自給そんなに変わらないし、どっちみち家の仕事手伝うことになっているんだから何だって良いんだよ」

B男「お前、何年勤めたの?」

A男「一年と半年」

B男「それじゃ、何にも分からないんじゃないの?」

A男「いたって分からないよ」

B男「おまえんち何やってるの?」

A男「開業歯科医」

B男「お前、医者じゃねえのに継げないじゃん」

A男「いや事務とかそういうのあるでしょ」

B男「開業歯科医で事務ねえ・・・」

A男「楽して生きて生きたいじゃん」

B男「今だけね」


こうして下流社会に一人の若者が加わったのであります・・・・・・・

モルゲンシュテイン

これも中島京子さんの小説に出てきて40年ぶりに思い出した言葉です。

確かジャンプの選手にこんな人がいた記憶があります。

小学校の時、スキーに通っていた道すがら、あの選手のヘルメットのような山を見つけて勝手に「モルグ山」と命名していました。

場所は中の条から草津に向かう途中です。

吾妻渓谷の左手にそれらしき山がみえてきたら、その「モルグ山」に他なりません。

モルゲンシュタイ山です。でもどうやって登るのでしょう。今でも不思議な山です・・・・・・

大人の水中運動会 逗子マリーナプール

以前はテレビでも子供は見てはいけないような、お色気番組がありました。

大磯プリンスのプールで行われる芸能人の水中運動会なんかその典型でしたが、今や健全化のためどの局でも放映することはありません。

ところが昨日も逗子マリーナのプールでその水中運動会が行われていたのです。

MCはマイケ*富*氏でした。

どうりで日曜なのにお休みになっていたはずです。

もちろん昔のような乱痴気騒ぎを陰をひそめ、健全化した、子供も参加する内容だったのですが、夕方までマイクの声は響いていました。

今は一般から参加者を募って行うようです。参加費も必要なようです。

私が学生でテレビ製作会社のアルバイトをしていた頃には、参加者は女優や歌手の卵(卵というより孵化して育ちすぎた雌鶏)ばかりでした。30年前の話です。わたしなんざぁ、ちょいとひねられておハイ終わりといった感じでした。

送迎のバスの中で人目を気にせず化粧直しをし、あの新宿二丁目のような独特な香水の匂いが鼻をつき、とても弁当が食べられなかった事を思い出します。

健全化について、しばし考えた日曜日でした・・・・

中島京子 ゴセイト

中島京子さんの短編「東京観光」に「ゴセイト」というものがある。

実は私も小学校の頃、同じような体験をしていた。

私の住む北関東のK市はかつては日本の上海とまで言われ、織物業の盛んな街であったが、当時すでに外国製の安い製品にその座を奪われ、まるでチューブを外された延命患者のように徐々に衰退していた。

彼の名は確か永田君といっていたと思う。彼のその後の消息は知らない。

風の噂では調理人になったとも、交通事故で死んだとも、またやくざの抗争で服役しているとも聞いた。

彼は正確に言えば中島京子さんの「ゴセイト」とは違う。

午前中には学校に来るのだから少なくとも「ゴセイト」ではない。

ただ、かならず授業を抜け出す。

先生も慣れたもので、ある一握りの生徒を追跡させるのだ。

選ばれた生徒はまあ普通に勉強が出来て、運動もそこそここなせる輩が選ばれる。

家が税理士をしていて、N社の株がカップヌードルの誕生で大儲けして、自宅を新築したH君(一橋に進学後、今は大手の証券会社Mインベ****の役員)や私、足の速いY君などが選ばれた。

彼の行き先は決まっていた、理科実験室の前の水槽のところか、音楽室の裏庭だった。

彼を捕捉しても、すぐには授業に戻らない。特別に与えられた自由な時間こそ我々の特権だった。

数時間を費やし、やっと見つけた風に授業に戻る時にはそろそろ給食の準備が整っていた。

今でも、あれは幻だったのではないかと疑うことがある。そもそも永田君はいたのだろうか?