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2013年12月11日水曜日

評論家と実務家

日出る国の国民はどうして猫も杓子も評論家気取りで自分のことを棚に上げて天下国家主義主張のことを論ずるのだろうと公言したことがある。それは今も変わらない。いや、以前にも増してその傾向が政治家ならまだしも一般の庶民にまで広がっている気がする。

今日ではSNSの普及で誰でも簡単に自分の意見を公開することが出来る。それはそれで良いことだが、そうした発言の中に主義主張、理念、宗教といった、本来、より個人的なものを己の吐露を絞り出すかのように世に問いている。それ自体が悪いのではない。主張するなら吐露ではなく、その論理的根拠を説明するべきだし、神がいるというのならその存在を証明してほしい。こんなことをいうと盲信者の怒りを買うだろうが、これがエスカレートすればテロリズムの発端となるからだ。

特定秘密保護法案についても私には賛成か反対か論ずる資格はない。何故ならそれを決定するほど内容を知らないからだ。法案の中味が片手落ちのことはわかる。ただ、反対の先鋒であるはずの民主党も自ら政権を運営していた時の原発対応の詳細を雲散霧消せず秘密裏にしていることはこの問題を論ずる資格すらないと考える。

SNSを見ているとまるでアレルギー反応のようにこうした事に反応する人がいる。生まれ育った環境と言ってしまえばそれまでだが、何故か高学歴の人に多い。

ドイツで暮らしたことがある人が言っていた。ドイツでは自分の家の前の道路しか清掃してはいけないそうである。何故なら、それを生業としている人の食を失わせることになるからというのだ。もちろんそれは比喩であるが、中には日本に帰ってもそのまま踏襲する人もいるから驚きだ。ゴミがあれば拾う。当然のことなのではないか。

私はスタッフにもよく言う。やらなければならないことをやらないのは、やらなければならないことを知らないのと同じかそれ以下であると。そしてフリーライドそのものであると。残念ながら本当にこれが多い。

電球が切れていれば交換する。ゴミが落ちていれば拾う。汚れていれば清掃する。当たり前のことだ。この当たり前のこともせず、天下国家、主義主張を論ずる。嘆かわしいばかりだ。そうした当たり前のことが出来なくても組織の中なら何とか生き延びられる。中級以下のサラリーマンに多く見られるが、組織を束ねる主たる人はこうした先送りをする人を見たことがない。実務家が消え失せ、国民が総評論家になる日も近いのかもしれない。




2013年10月29日火曜日

大局と小局


大きなスタジオを運営している人が売上が減少しているのは若者の雑誌離れが顕著でその煽りを受けているのだと言った。その時はなるほどそうなのかと思った。
その後知り合いのプロカメラマンのスタジオは震災で多少の落ち込みはあったがその後は順調に推移していると聞く。この違いが何故なのか分からなかった。そしてつい一昨日、仕事を一緒にしている設計士さんが大手の雑誌社のスタジオの回収を手がけているという話を聞いた。全体はコーディネイトするがスタジオの中味はその雑誌社の人たちが手作りで行うという。
このスタジオをつくるには理由があったそうだ。まず、既存のスタジオの中に自分達が使いたいスタジオがないということ。そしてとても高額な使用料に辟易していること。だから自分達で作ったという。

私は仕事をしていて同じようなことに遭遇する。それは物事をすぐ大局で済ませてしまう評論家のような人が多いことだ。こうした人達は自分の足元のことに気づかない。スタジオは箱だと思っている人がいたらそれは大間違いである。スタジオがただの箱の時代はもう終わったのだ。単純な写真ならばPCで好きな様に加工できる。どうしてもそこでないと撮れない写真は海外に出かけて撮ってくる。その間を埋めるときだけ必要なのだ。そしてカメラマンが劣悪な環境で作業する時代も終わったのだ。考えてみればスタジオに集うすべての人が酷い環境だと思っているのならばそのスタジオには明日はない。

つい最近テレビで大阪の有名ホテルがメニューの偽装をしたと報じられた。残念ながらあそこで出されていたジュースが搾りたてだとは私は思わなかったからいいのだが、本物を飲んでいたらすぐ分かるはずだ。この問題の芽は彼ら自身の経験のなさにつきる。前述のスタジオもそうだが運営している本人達にプロとしての自覚も興味も感じられない。だからこんなものでいいだろうと思ってしまう。

親戚筋に当たる人が長らくアパレルメーカーを経営している。昨今の経営環境を考えると驚きである。もっともその人は小売からの叩き上げの人でたとえ息子であっても好きでなければ続けられないと会社には二人の息子は入れていない。そして今も黙々とデザインを研究している。

これは人ごとではない。私のところも貸しホールを運営している。オーナーの懐具合や経営環境をつい考えてしまうと利用者側に立った助言が遠慮がちになってしまう。それではいけないのだ。絶えず利用者の目線に立たなければ明日はないのだ。自戒も込めて。




2013年4月23日火曜日

接待と共感


接待と共感
私もこの年だからサラリーマン時代もそして独立してからも接待を受けたことも、した事もある。良い思いをした事が無いと言えば嘘になるが、総じて接待の裏側に見え隠れする損得勘定が酔いを冷めさせる。
考えてみれば世の中そんなに旨い話は無いのだから当然と言えば当然だが、ある時に自分が接待をしてもらってそう感じるのだから相手だってきっとそう思うだろうと思って一切やめた。
今は接待ゴルフも接待で夜の街を案内する事もされる事もなくなった。
相手が私はそうした誘いに乗らないと分かると気が楽である。サラリーマン諸氏に言わせればそれも仕事の内という事になろうが、個人商店では残念ながら断じてそれは仕事ではない。
私が30代の頃ある人に言われた。お酒で接待するなら、ゴルフを誘いなさい。1日酔わずにその人と対峙することは普段の接待の100倍も200倍も効果がある。
さっそく試してみた。しかし、中にはゴルフをやらない人もいる。それに折角の休みを家族と離れて一人だけゴルフの興じるということは如何なものであろうと思った。
英語でひとり残された妻の事をGolf Widowと言うらしい。尤、「夫元気で留守が良い」という謳い文句の通りなら、妻も喜ぶであろうが、そうでない女性には申し訳ない事になる。実はその女性よりその家族、とりわけ幼い子供がいた場合など私は一番気になるのだ。サラリーマンの場合、父親が子供と接するのは土曜日曜位なものだ。その機会を奪ってしまう事になる。それからゴルフの接待もやめた。
忘年会や新年会というものもある。普通なら社員の懇親の意味合いが強いのだろうが、同業の中には得意先や関連会社を招いての会を催すところもある。こうした手合いのほとんどは如何にお金を持っていて、高級な店を知っているかという事を誇示するかの如く金満下衆で品が無い。
巷で言う一般的な接待をしなくても相手に共感してもらえれば良いのでないか。確かに赤の他人が一人の人間の考え方を簡単には共感してもらえないのは分かるが、個人商店の究極の目標は実はこれに尽きるのではないだろうか。それを究極の目標として実践するしか会社の根っこを育てる方法はないのだ。個人商店にとってオンもオフもない。そんな事を言っていたら時間などいくらあっても足らなくなる。時間は自分で作る。忙即閑、閑即忙である。
自分の引き出しを人に見せるというのは恥ずかしいものである。私だって無知無能の中身をさらけ出すのは恥ずかしいし気後れする。でもここで躊躇しては駄目だ。一切合財全てさらけ出して見てもらわなければ共感力を引き出せないからだ。
最高の接待とは何であろう。自宅に相手を家族で招き入れ、ゲストに心をこめた手料理をふるまい、そしてお互いの趣味や興味のあるプライベートな話をすることではないだろうか。実は美味しいとか不味いといという舌の感覚はもっとも共感しやすいものでもある。美味しい店の話題で盛り上がるのは村上春樹氏の新作の評論をするより簡単でしょ?(例えか変かな)
出来ればこれに友人たちが加われば尚更宜しい。そうすることでどんな意識を持って生活しているのか、そしてそれが実践されているのか一目瞭然だからだ。
そんな会を家でやるようになって8年目を迎えた。最初の頃は仲の良い友達だけだったが、今では社員の家族もお世話になっている方々も加わり大所帯になった。ある人が言うとおり、残る人、去る人もいるがそれは世の常。ただ、今年も腕によりを掛けて料理を作らねばと思うのである。折角の料理がまずかったら共感などしてもらえないからね。

 




2013年3月28日木曜日

オーセンティック(真正性)


オーセンティック(真正性)について

この頃この言葉を気にする。ネットワーク社会が広がり始めて個と個の結びつきは脆弱になった。その代わり仮想空間でやりとりされる情報は増え、情報の受け手としてその真贋を見極める目が必要になった。当然嘘は排除される。帰結として正しいものだけが残る。
私が初めて目黒通りにインテリアショップを導入しようとした時に、とある家主がそれは無理だと言った。あれから20年、その手の店が林立し今ではマーケットで言う回周り性が向上した。私が先見の目があったとは思わない。あの時、ただマーケットの声に耳を傾けただけなのだ。私も昔は企業にいた。企業は利潤追求が目的だ。その結果効率性が求められる。ショッピングセンターのような箱の中でも同様だった。ところがそうでないものもあらわれる。渋谷の雑貨を集めたSCを作る時、店子に言われた。そちらは3.4年で古くなるとお考えのようですが、私達は10年いやずっと愛される店を作るのです。そういって普通の倍の厚さのコンクリートで床を作った。それはサザビーだった。
先月、ロスアンゼルスに行った。シルバーレイクにあるFORAGEというレストランに行った。何の変哲もない白い平らな建物だった。季節外れの寒さの中、コートの襟を立てながら多くの人がシンプルなプレートランチを食べていた。野菜は裏庭でとれるようだ。
鉄道ファンから聞いたのだが、鹿児島空港からほど近いか嘉例川という無人駅が話題らしい。なんでも個数限定で売られる駅弁が人気でほとんど乗降客のいなかった駅に休日には200人を超すファンが詰めかける。売られている駅弁は特別に贅沢な材料が入っている訳でもない。ただ、全てが安心できる手作りの本物だ。
これだけ聞くと本物なら何でもよいのかと思うかもしれないが、そこにはネットワーク時代だからこその妙薬が隠されている。つまり、それらを真正な情報としてマーケットに伝えるとうことだ。
知り合いに素晴らしい椎茸を作っている農家がいる。どう見ても手間を掛け、他のものより美味しいのに市場では評価されないと嘆いていた。当たり前である、市場では作り手の個人的な情報は割愛されてしまう。需要と供給による価格メカニズムが優先されるからだ。
必要なのはその椎茸にどれだけ手間が掛り、美味しいのかと言う個の情報発信なのだ。
街づくりにも同じ事が言える。私の居る中目黒は幸いな事に大資本にいまだ食い物にされていない。隣の代官山や恵比寿を観る限り、こうしたマーケットのオーセンティク性を欠いた開発は街を活性化しない。中目黒は小さな商店主が駅から胞子の手を伸ばすが如く少しずつ開発されていった。20年前と比べるとその広がりは雲泥の差である。
ニューヨークに行くと分かるが、よりニューヨークらしいものが光っている。あそこにあるイケアほど似つかわしくないものはない。恐らく日本から行く観光客でイケアに行く人はまずいないと思う。何故なら、ニューヨークらしくないから。
私は一緒に仕事をしている建築士に言う。一番カッコ悪いのは少し前に流行って廃れたもの。だから普通の物を作ってほしいと。赤プリが出来た頃、ネオパリエという新建材が盛んに使われた。いかにも大理石風と言う手合いの物。大嫌いだった。カーテンウォールがもてはやされた。さほど大きなビルでもないのによく使われた。今では漏水の温床になっている。建物はその制約から来る面白さを最大限に生かせばそれでいい。そして化粧は出来る限り薄く。もっとも蜑戸を良しとする私だから経済的制約も大きい。これが結果、オーセンティックになる。
おそらくオーセンティクというのは座り心地のよい代物だと思う。邪魔にならず、周囲にすっと溶け込んで違和感のないそんな真正性。偉大なる商店を目指す当方としては無視する訳にはいかないのだ。






2013年3月7日木曜日

お金の話



考えてみると太古の昔よりお金は禍福と深いつながりにある。小学生の時にベニスの商人の短い演劇の脚本を書いたときにお金が初めて恐ろしいものなのだとぼんやり思った。
それ以来、この魔物に取りつかれて家や財産、家族、はたまた命まで無くしていった人を多く見てきた。

バブルの頃だったと思う。今はもう跡かたも無くなってしまったが、新宿に本社を構える証券会社の役員がどこから嗅ぎつけてきたのか、私に100億円借りなさいと薦めた。そして返さなくて良いとも。当時の無知な若者でもその胡散臭さが鼻についた。いや、それどころか身を滅ぼす危うさを感じた。借りなかった。

その人に限らず、こうしておけば儲かるという謳い文句で誘ってくる人がいる。そんなに儲かるのだったら人に言わず自分で買えば良いだろうと思う。
こういう被害にあった人はテレビでも相手が如何に旨く誘い自分は被害者だと強く訴える。でもこういう手合いに引っかかる人にも問題ある。

楽をして儲けたいという欲がある。その欲が目を曇らせる。楽をして儲けられるものなのこの世には無いと断言できる。数億円稼ぐ野球選手だって幼いころからの人並ならぬ努力をしてきたであろうし、ずっと続く訳でもない。
不動産所得をよく不労所得だと言う人がいる。とんでもない、何もしないでいて大丈夫なはずがない。

私の周りには2種類の大家がいる。ひとつは昔からの家業として続けている人達で、この人たちは慎ましやかでかつ疑り深い。もう一方は、お金が出来て、または借りて大家になった人達でこちらは派手で、人の言う事やマスコミをすぐ信用する。

大家業で大切なのは店子に儲けさせてもらっているという感謝の気持ちだ。ところが後者の人達は貸してやっているという奢りの態度が強い。さらにここが肝心なのだが、自分を良く見せようとする傾向が強い。これが全てをマイナスに導く。

例えば前者の人達は一番使いづらい場所に自分の居所を作る。一方、後者は一番目立つ他人から良くみられる場所につくる。私も縁あって都心のホテルの社長室にお邪魔したのだが、それは決して良い場所にはなかった。なるほどホテルは貸すプロフェッショナルである。そのあたりを心得ている。そしてその結果、両者には何十年という間に大きな差が生じる。

後者の人達はネットで買い物はするけれどフェイスブックのようなSNSやブログで情報発信しているような人を見かけない。もちろんヒルズ族の様な人達で豪遊ぶりを他人に見せびらかす人達は居るだろうが、それでもこの文章を読んでいる人達が読者とは思えない。

バブルの頃、借りる事も一つの能力であり、借りたお金も財産だと言う人が居た。今はさすがに言わないだろうが、そんなことあるわけない。借りているものは借りているものなのだ。決して、自分のものではない。

例えばローンで車を買う。その車は決して自分の物ではないのだ。家だって同じ、何十年というローンを払い終えて初めて家を持ちましたと言えるのではないか。
ある人がオフバランスの経営を説いていた。なるほど見え体裁が無ければこのオフバランスが良い事もあるのだ。使わなくなって処分できない別荘地、固定資産税ばかり高い都心の土地、住宅だって家族構成が変化すれば家の形も変わってくる。ならば最初からオフバランスというのも良いかもしれない。

こうしたことは色々な人から教えられた。親戚でアパレルメーカーの社長をしている人は寝覚めの悪いことはしないと言っていた。なるほど寝覚めの悪い金というのも分かる気がする。その会社はこの荒波の中脈々と続いている。

もしその気があるなら一度自分にはどの位お金が掛るのか毎日細かく付けてみると良い。私の場合も驚くほど少ない金額だったのだから。

お金の話は人前でしないというのが江戸時代からの暗黙の了解である。しかし、この江戸っ子気質というのは少し問題である。何故ならこの根底にはどんな種類のお金でもお金はお金と言う考え方がある。極端な話だが着物を質草に入れたお金も、娘を売り飛ばしてコサエタお金も一緒だからだ。だから敢えてお金の話をする訳ではないが、人生を豊かに暮らす方法としてお金の事は気にかけていた方が良いと思う。お金はぼんやりとふんわりとそんな感じで良いじゃないですか?所詮あちらには持って行けませんから・・




2012年10月18日木曜日

証左 

私の敬愛する方で、わが社の法律顧問をしてくれているK先生が良く使う言葉であり、とても大切にしているのがこの「証左」・・・

どんなに法律論を戦わせてもその土台となる部分がぼやけていてはとうてい法廷では受け入れられないという。

裁判に限らず、この証左にあたる仕事はとても大切と考えている。

私生活は別としても私は仕事ではこの証左を求めることにしている。

人間の基本はまずその人となりがどんな人なのか、十中八九初対面の印象で決まる。

そのためにどんな言葉を使うのか、とんな身だしなみなのか、それによってその人のバックボーンがすべて見えるのである。

背広や革靴で人はごまかせない・・・すべてお見通しなのである・・・今日も証左に当たる仕事をした・・・・・



2012年4月3日火曜日

就活の若者へ 適職とは

少なからず私は今就活している若者より歳をとっている。だから経験上多少のアドヴァイスは出来る。

私たちの時でも「こんなはずしゃない症候群」に罹患した人間がいて、人生をドロップアウトしていった。

もちろん経済的価値や家庭の安定が全てではないと思うが、自分を過大評価することは自らの将来を食い物にする。

そんな私より内田先生のブログに全くその通りと思う記事が載っていたのでそのまま掲載する。

就活を目指す人是非ご一読あれ。私はそう思うことで切り開きましたから・・・・・

ちなみに内田先生はブログというのは開かれたものだからと言っているのでそのままお借りしました。

もっと読んでみたい人は先生のブログに

http://blog.tatsuru.com/

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「適職」は幻想である「君、頼むよ」と言われ仕事は始まっていく


自分の適性に合った仕事に就くべきだと当たり前のように言われていますが、適職などというものがほんとうにあるのでしょうか。


僕は懐疑的です。


それは就職情報企業が作り出した概念ではないかとさえ僕は思っています。


「キャリア教育」の名のもとに、大学2年生から就活指導が始まり、その最初に適性検査を受けさせられます。これがいったい何の役に立つのか、僕にはまったくわかりません。


大学で教えている頃に、ゼミの学生が適性検査の結果が出たのだが、と困惑してやってきたことがありました。


「あなたの適職は1位キャビンアテンダント、2位犬のトリマーと出たんですけど、私は一体何になればいいのでしょう」と。


就職情報産業は学生たちを、自分には「これしかない」という唯一無二の適職があるのだが、情報が足りないせいで、それに出会えずにいるという不安のうちに置きます。それに乗じられる学生たちが僕は気の毒でなりません。


仕事というのは自分で選ぶものではなく、仕事の方から呼ばれるものだと僕は考えています。


「天職」のことを英語では「コーリング(calling)」とか「ヴォケーション(vocation)」と言います。どちらも原義は「呼ばれること」です。僕たちは、自分にどんな適性や潜在能力があるかを知らない。でも、「この仕事をやってください」と頼まれることがある。あなたが頼まれた仕事があなたを呼んでいる仕事なのだ、そういうふうに考えるように学生には教えてきました。


仕事の能力については自己評価よりも外部評価の方がだいたい正確です。頼まれたということは外部から「できる」と判断されたということであり、その判断の方が自己評価よりも当てになる。


キャリアのドアにはドアノブがついていない」というのが僕の持論です。キャリアのドアは自分で開けるものではありません。向こうから開くのを待つものです。そして、ドアが開いたら、ためらわずそこの踏み込む。


消費者マインドを就職に持ち込まない




労働市場における「適職」という語の意味は、意地悪く言えば、「自分が持っている能力や素質に対していちばん高い値段をつけてくれる職業」のことです。とりあえず今はそういう意味で使われている。最も少ない努力で、最も高い報酬を得られる職種を求めるのは、消費者にとっては自明のことです。いちばん安い代価でいちばん質のよい商品を手に入れるのが賢い消費者ですから。


その消費者マインドが求職活動にも侵入している。


でも、「費用対効果のよい仕事がいちばんいい仕事だ」というロジックを推し進めれば、ディスプレイの前でキーボードを叩くだけで何億円も稼ぐような仕事がいちばん「賢い」仕事だということになります。
でも、「仕事をする」というのは「手持ちの貨幣で商品を買う」ことではありません。


それはむしろ、自分がいったい何を持っているのかを発見するプロセスなのです。


(つづく)





2012年3月23日金曜日

予定調和

皆さん、知り合いの脳外科医から聞いた話なのだが、脳外科医にとって一番大切なことは何かご存じだろうか。手先の器用さ、手術数、経験・・・・・・・確かにそれらは大変重要なファクターだが、もっとも大切なのは物事を俯瞰する力だと言っていた。

そう脳外科の書籍を見ても多くの「経過観察」というものが登場する。

私の第四脳室にある白い訳のわからないものも、すでに52年経過観察なのだ。

珍しく私の意見に息子も同意していた。

ところで昨日、ホームページの作成をしようと27歳の若いクリエーターの人とお話をした。

真面目で企業のSEを務めた後、学校に行きスキルを身につけて独立したそうだ。

ざっとイメージをお話した後、概算の金額の話になったときに、相手はその金額をずばっと提示した。

私にはその金額が高いのか、安いのか分からない。ただ、彼の理論は今までの経験やこれから生じるであろう時間的制約や諸々の事情を勘案して算出したいわば予定調和である。

断っておくがこの予定調和はライプニッツのモナドのことではない。ごく一般的意味として。

あるお得意さんの見積もりが上がってきた。スタッフT氏は相手の心情をある程度慮って、見積もりの減額提案を考えていた。

しばらく成り行きを見ていたが、その行為の中に「なんとか丸くおさめる的」予定調和が感じられた。

案の定、お得意さんは違う切り口、つまり予定調和でないものを欲していたのだ。

私はへそ曲がりの偏屈シジイである。人がいくら言ってもおいそれとは信じない。

物事が予定調和的進行にある場合、そこには既得権益に依願する甘えが生じる。

それはそのものを成長させないばかりか、私たち自身も愚鈍な人間と化してします恐れがある。

急いではいないし、絶対にしなければならないことなどそう多くない、ゆっくり世の中の流れを見ながら決めて行こうではありませんか、決して予定調和を求めるのではなく・・・・・


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こんなことを書いていたら昨日の若い男性から私が帰った後連絡を受けたようで、色々な問題があっても柔軟に対応したいとのことだった。これが一番、私たちもそれなりに努力し、お互い切磋琢磨していくことで向上したいのである。一つの縁が繋がった気がする。

2012年2月15日水曜日

シェアビジネス



フェイスブック、その他のソーシャルネットワークを始めシェアビジネスが謳われ久しい訳ですが、

私も数年前にこのことを調べた事があります。

同期の三浦展氏もシェアについて書いていました。

日本通として昨年、日本に永住する為に来日したドナルド・キーン教授のHPを時折り覗いていたのですが、そこに日本の不動産業者がリンクしているのです。

この業者の物件は契約期間も固定化されておらず、シェアできる物件を紹介しています。

コロンビア大学という知の学府の生徒に直接、訴求するそのビジネススタイルも一考ですが、すでにシェアは当たり前になっているという気がしました。

そこへ行くと日本はどうでしょう。

日本ではまだワンルームスタイルが主流です。経済的には疲弊し、仕送りも数年前より1万円以上下がったと聞きます。

それでもまだ効率的と言うことで土地の立地を無視して、ワンルームマンション建てる地主が多いのも事実です。私には柔軟性失った細胞のようで一つ一つが独立しているものの、脆弱で儚い物のような気がします。それよりこれからは可塑性を持った脳細胞のようにお互いが助け合い成長する手段を考えても良いのではと思います。

最新号のブルータスでもシェアの特集をしていました。確かにニーズは高まっているのです。世の多くの地主さん緒勉強して下さいね・・・・

閑話休題
日銀がインフレターゲット論を持ち出しました。世の経済学者は何を考えているのでしょう。日銀は金融緩和し市場にお金を流し、ある程度のインフレを起こしたいと言っていますが、ナンセンスです。

前述したシェアの思想はそうした従来の経済学が取りこぼしてきた部分なのです。何故、大企業は結婚と持家を進めるのか分かりますか?それは社員を隷属させ、有無を言わせぬ、企業にとって造反、離脱しない都合のよいものに作り替えるためです。

私は正社員と非正社員がごちゃまぜで良いと思います。非正社員だとしても隷属させられぬメリットを享受できるし、企業が永続だなんて発想は古すぎます。

昨日も設計やデザインをお願いしているK設計事務所のSさんが今年からシェアをしたいと言っていました。大いに結構ではありませんか。シェアにも問題があるでしょう、でも経験しないとその解決の仕方も課題も見えてこないのが事実です。

個人的には鎌倉あたりの古民家を皆で借り受けて、路地で野菜など栽培して、毎日、お金をかけずとも楽しい生活をする(すみません既に勝手にやらせていただいています・・笑)ことを推薦します、だって3月の末になれば500円で3杯は食べられる生シラスのシーズンになりますし、今時期は海岸でワカメが取り放題ですから・・・・・まあ、鎌倉さんに間違えられる可能性はありますが・・・・

2012年2月9日木曜日

ロゴ 素案

インターネットの新しいライフスタイルを提案するお店のトレードマークの素案です。

あくまでイメージを素人の私が作ったのですからプロの手が加わりもっとカッコよくなっていくと思います。

私が数年前に伊勢志摩の海女さんが素潜りをするときに洋服に縫い付けてあった魔除けのドーマンセーマンを見て日本古来のこんなマークが海の生活にふさわしいと感じていたものです。

もうひとつの赤い旗は国際船舶信号です。意味???危険物積載中!!!

人間ほど危険極まりないものはありませんから(笑)

もちろんこれから商標は調べて行きますので大きく変わってくるかもしれません・・・・・

2012年1月30日月曜日

小さな目標 PRIVATE PRACTICE

10年以上前になりますが、恵比寿でコロッケ屋をやろうとしたことがあります。確かに美味しいコロッケパンをニューヨークスタイルのデリで出せば、ある程度の売り上げは見込めましたし、夜、営業していた飲食店との連続性も加わり、恐らく旨く行っていたと思います。

そんな時妻から待ったが掛ったのです。40歳からの十年、どうせ苦労するなら好きなことで苦労したいというのです。

スタッフにやらせるにしても、オーナーだって手伝いもします。コロッケ油だらけになることはやぶさかではありませんが、確かに一理あります。

そんなこんなで2店目は輸入文房具の小さなお店にしたのでした。雰囲気はパリのセーヌ川の河畔にあるブキニストを少し賑やかにしたようなお店でした。

それ以来、好きな事をやろう、自分がしたくない仕事をしないように出来るだけ頑張ろうという小さな目標を持つようにしたのです。

もちろん不本意な仕事もありますが、出来る限り顧客や社会に還元できる仕事を選ぶようにしたのです。

その間に小売というマーケットは激変しました。10数年で資金を回収するようなビジネスモデルはもはや昔のもので、如何にリスクを少なく、即効性を出すかが肝要となってきました。

こんな仕事です。空き店舗の情報はどんどん入りますが、どれもビジネスモデルの構築にはなりませんでした。

一方、楽天の売り上げは一兆円を超えたと言っています。つまり、ネットショッピングは一部の人のものだけてなくなったのです。

昨年来、私の好きなものはShabby Chicなものだと良く分かりました。





ピカピカの新品ではなく、長い間自然で削られ変形した流木や貝殻、ガラスのようなものに美しさを感じます。



KKAFに置いてある置きものには、「HAPINESS IS THE SAND BETWEEN MY TOES AND THE SUNBURN MY NOSE」と書かれています。まさに理想のライフスタイルとはその言葉に2匹の犬を加えれば完璧です。

新しいHPを作るにあたって参考となるHPを教えてと言われました。予算も無いのに色々と注文が多くて申し訳ありません。

商品は全然違いますが、ひとつは日本の誇るビッグウェーバー櫛本氏のKi SurfboardのHPです。写真が抜群の雰囲気です。

http://www.kisurfboards.com/

2つ目は私の好きな北欧家具のお店hikeのものです。こちらも商品もさることながらダイアリーにてオーナーの山行きが楽しくて、つい覗きこんでしまいます。

http://www.hike-shop.com/

3つ目は七里が浜にあるインテリアショップです。こちらはリフォーム等が中心のようですが、SHABB感が出ています。

http://www.hlc-style.jp/

最後にハワイにあるSand Peopleというお店のHPです。こちらは掲載してある商品が全て私の好きなものとは違いますが、いくつか既に購入して参考にしています。先の看板もその一つです。

http://www.sandpeople.com/


理想としてはHPで商品も紹介し販売もしますが、ブログやフェイスブック(まだやっていませんが)、会社のHPなどとリンクさせ、ごく個人的事柄までリンクさせ、情報のパスを増やしたいと思っているのですが如何でしょうか??またKKAFをそうした商品のディスプレイとしても使用したいと考えてもおります・・・・

2011年12月16日金曜日

サブリース契約と借地借家法

日本には欧米にはない借地借家法という珍し---------い、法律があるのです。

家賃を支払わなくても部屋に住み続けられるのです。欧米では考えられません。

バブルの全盛期、不動産業者の規模にかかわらずサブリース契約というものが流行りました。

例え入居者が決まらなくても家賃を保証し、家賃が下落しても契約の家賃は補償するという、ちょっと聞くとビルオーナーには嬉しいことばかりのような謳い文句でした。

しかし、そんなうまい話はないのです。

実際、大手の不動産会社は市況の変化を理由に、家賃減額に応じない(当たり前ですよね、約束では家賃の減額はしないとして建築した訳ですから)オーナーに対しての裁判が行われ、最高裁までいって出てきた判決はこの借地借家法だったのです。

結論から言うと裁判所の判断は家賃減額は正当だとするものでした。借地借家法に定める減額請求権は存在するとしたものです。

そもそも借地借家法は関東大震災により住むところが無くなった多くの人たちを救済する目的で設定された時限立法のようなものでした。ところが、いつの間にか定着し、自由な契約に大きく関わる存在となってしまったのです。

バブルの時、家賃差額で多大な利益を得ていても、市況が悪くなれば踵を返すごとく都合のよい理論を持ち出します。

ではどうすれば良いのか?まずは世の中そんなにうまい話はないと疑ってかかるべきです。そして、実行するなら自らの責任において行い、リスクテイクを意識すべきです。

まあ、相手は納得しないでしょうが、借地借家法から逃れるには、定期借地借家契約にするという離れ業もありますが、・・・・まあ無理でしょうね・・・・現実には・・・・

2011年7月29日金曜日

二子玉川ライズ

今年開業した「二子玉川ライズ」は東急電鉄が進めた市街地開発事業のひとつです。

同時期に開発された渋谷の開発事業「渋谷ヒカリエ」ではずいぶん同社にお世話になりました。

私、一応ビル経営管理士の資格を持っているので同協会の機関紙が送られてきます。

機関紙は「いしずえ」です。

今回は前述した二子玉川ライズの特集でした。

SCに勤めていたこともあり、ゾーニングやテナントミクスにはつい目が行きます。

今回のライズのそれは結構頑張っている感じがします。

さらに電鉄が二子玉川の開発に踏み切った経緯にはITの発達があります。今までは一極集中型のオフィスプロパティを拡散型、並列型に移行しつつあります。

今回の震災により帰宅困難者を多く生じたこともあり、職住の接近を望む声も多くなりました。

そうです、用賀の開発をしたころとは異なる時代背景なのです。

行く川の流れは絶えずして・・・多摩川のことではありません・・・・方丈記です・・・

2011年7月28日木曜日

共感力

仕事をする上で私がとても大切にしていることに「共感力」があります。

このために仕事をしているといっても良い位です。営業力とはつまりこの共感力に他なりません。

スタッフにもよくこのことを話しています。

ごり押しで通しても良い結果は生まれません。どう相手に共感してもらうかが重要です。

ただし、何もしなければ共感力は高まりません。そのためには、相手の立場、思想、とりまく環境など出来る限りの情報を集めて風を読むのです。そして自らの足で動くのです。

経験知は必要です。誰だって経験もしたことのない人の話は聞かないものです。

仕事とプライベートを別けるなんて私の場合には愚の骨頂なのです。全ての興味ある事象対象が仕事なのです。そうでなければ経験知は高まりません。無駄な知識もいつかは日の目を見ることがあるかもしれません。

意外なほどに無理難題の壁が目の前から取り払われ、視界が開けるものです。

昨日も、風が吹きゆらぎを起きました。このゆらぎが別のゆらぎを生み、物事を正の循環へと導きました。何もしないようでいて(笑)、このゆらぎを作ることがいわば私の仕事なのです。

このゆらぎこそ大きな力です。金額に例えるのは馬鹿げた話ですが、数千万、数億円の高までゆらぎが拡散することだってあります。だから大きなゆらぎこそこの共感力を必要とするのです。

2011年6月22日水曜日

Sunk Cost お金の話

経済学部に行って今でも有用な(笑)法則で筆頭に挙げるられるのが、限界効用逓減の法則つまり一杯目のビールと2杯目は効用が違うといやつです。

もう一つはサンクコスト=Sunk Costつまり沈んだ費用のことです。

今回は後者のお話。

以前、会計を専門にしている人が「全て費用になるし、計算が簡単だから私は車はリースにしている」と言った人がいます。この人のお話は後段で・・・・

高速道路に1000円払って乗ったものの大渋滞でしたが、この1000円がもったいなくてその渋滞をのろのろと4時間かけて走り続けた人がいます。

映画館に入り1000円払ったものの映画の内容がつまらなく、それでも1000円のため最後まで観た人もいます。

これ全部サンクコストつまり考えてはいけない費用のことなのです。この手の呪縛から逃れられない人を結構多く見かけます。

こういった多くの人は支払った費用を考えるあまり、現在価値を高めようとしません。高速道路にしても映画にしても時間という価値が助かります。

前段の人は数年後事業が縮小し倒産しました。

私はもうずっと現金でしか支払っていません。お金が無いのなら諦めます。ローン組んでまで買おうとは思いません。不動産も車も自転車も(笑)全部現金払いです。

コンパクトにすることで固定費も人件費も抑えられます。エレベーターも無ければ管理費用も掛りません。健康にも有用です。そしてあまった部分から収益を獲得できます。

もうお分かりですね、サンクコストお金の話です。言いかえれば「選択と集中」です。そして身の丈を知ることです。

みなさん見栄や体裁など要らないものが多すぎるのではありませんか?その代わりに賞賛と敬意を込めればお金は何倍になって戻ってきます(笑)

これ本当です!!魚は住む水を選ぶのです・・・・

2011年6月9日木曜日

ビジネスモデルの終焉

インターネットの普及と言うのは私達の生活を大きく変えている。これによって今までは必要とされていたビジネスモデルがもはや無用の長物となり、新たなビジネスが生まれてきます。

私は長年飲食店や輸入文具の店(これは6年くらい)やってきたことがあります。

事情あっての閉店だったので、もちろん次のビジネスチャンスのために新規出店の資金はプールしてありますが、前出の市場を見ているとおいそれと出店することが良いとは思えなくなります。

私自身、SCや百貨店に足を運ぶ回数が3分の1以下になったと思う。百貨店や商業施設の不況と重なります。私の周りでもここ数年飲食店はまだ出店が続いていますが、新規の物品販売の出店のペースが大きく落ち込んでいます。これもそのような影響なのかもしれません。

今までは自動車を買おうとするとディーラーに行き、営業の人の話を聞き、購入に至った訳ですが、現在はネットにより情報を検索すると、自動車評論家の評判、他の競合車の情報、さらにアメリカでは安全性や保険料の算出までしてくれます。

そうこうしているとディラーの営業の人(全てではありませんが)が嘘は言わないまでも都合の良いことばかり言っていると分かるのです。

このディラーという拠点の役割も大きく変容せざる得ないのです。

事実、私の周りにはBMWを乗る人が多く、多くの人が営業ではなくサービスの人と懇意にしているのです。困った時に相談する人が直接のセールスにはうってつけなのに、まだBMWは気づいていません(気づいていてもあえて距離を置かせているのかもしれませんが)

もちろんインターネットの情報を鵜呑みにしてはいけないと何回も忠告してきましたが、それはその通りです。

だだユーザーが慣れてくればこれは不要の情報、これはうその情報、これは蓋然性が高いと判断が出来るようになり、リテラシーは強化されると思います。

もちろん終焉するビジネスモデルもあれば、新たに作られるビジネスモデルもあるはずです。

一部のコンビニチェーンがすでに行っているターミナル化はその一端です。

ネットで買った商品をターミナルのコンビニに取りに行くことで、遠方に足を運ぶことも必要なくなり、ついでに生活の必要なものを補充できる訳です。

我々は激動の時代に生きています。モノラルからデジタルへの変容は私達に複眼的思考を要求しているのです。

2011年3月12日土曜日

Brainwash 

この答えを見つけるものがサンフランシスコのフォルソム通りにあります。



brainwashは1999年にジェフリー・ザレスが経ちあげたコインランドリーです。

コインランドリーは暗い、汚い、怖いといったイメージを払しょくしてカフェを併設し、ハッピーアワー音楽ライブ、コメディの上演という仕掛けや、ピンボールマシン、無線LANまで作ってしまった。

彼は言います「ここに来ているのは皆洗濯機買える奴ばかりだよ」「でもここの方がカッコいいじゃん」

そうです、カッコいいんで。消費傾向がどうのとか、大量消費社会がどうのとか、そういうことではないんです。つまりは大企業の作ってきた価値観が若者のそれより遅れて、陳腐なつまらないものになってしまったのです。

私のオフィスのすぐ近くにHRMの聖林公司さんの事務所があります。ここのオーナーは私より一間より上の方で元VANの出身です。あるとき錆び錆びにしたレンジローバーにどうしてしたのですかと伺った時「だってこっちの方がカッコいいじゃん」

そのことをふと思い出しました・・・・・

シェア 

シェアビジネスについて現在勉強しています。

考えてみたらシェアビジネスは今にに始まったわけではありません。

私たちが手掛けている借家、借地だってシェアビジネスです。空間を提供するスペースビジネスも同様です。横町の旦那はシェアビジネスだったのてす。

では何が違うのか?それはインターネットを通じて情報がパラレルにそしてものすごいスピードで広がる点です。

そしてもう一点は所有するから共有して使用するという概念の定義変更です。

この本の著者は消費が美徳とされる前時代的価値観から共有やシェアに意識が変化したダイナミックな社会構造の変革の中にあり、リーマンショックなどはその後押しをしたにすぎないとも言っています。

映画でフェイスブックが上映されています。その設立者のひとりクリス・ヒューズがオバマ大統領の選挙ブレインであったことを考えあわせると、今中東で起こっている民主化の波の強大さは看過されることはないでしょう。

フェイスブックのようなSNSは確実に増加するでしょう。好き嫌い良い悪いは別として。

しかしその結末は誰にも予想できないのでする既得の価値観からの離脱=イノベーションとはそうしたものなのです。

2010年12月9日木曜日

RAGGED 中目黒

商売というのは独りよがりでは旨くいきません。マーケットが何を欲しがっていて、どういうベクトルにあるのか直感力と分析が必要です(なんて偉そうなことを言っていますが、痛い経験からです・・笑)

中目黒は代官山がヒルサイドテラスといメルクマークと大手アパレルを中心に広がっていったのに対して、小規模な特徴あるオーナー店舗が多く、広がりは点と点で結ばれるような商業圏の広がりを持っていました。もちろん駅前の開発もありましたが、あちらの方が例外的なのです。

それらのオーナーは「決まりきった」「真面目でカッコよく」「高そうなもの」は受け入れられていないんです。例えば若者を中心に圧倒的人気を誇っているHRMのオーナーは高級車レンジローバーをぼろぼろに錆びさせて(錆色の塗装)にして乗っていました。

この街で受け入れられるテーマこそ「RAGGED」なのです。後述する「嫌消費」でもこの現象を説明します・・・

中古の資産(建物)を2千万で手に入れて、毎月40万家賃が入り、この人が年収1000万だとすると、この中古資産は5年で償却出来、毎年400万の償却と増加するキッシュフローが480万になりますです。ということは480万円収入が増えてもほとんど所得税は掛らないのです。もちろん絵に描いた餅ではありません。マーケットのニーズもあります。

マーケットを見るときにはこの俯瞰的象徴をどこに見つけるかが大切なのです。

2010年12月3日金曜日

マンションリフォーム  税法にご用心

古くても躯体のしっかりしたマンションを買って全面リフォームを考えている人におひとつご忠告です。
税法では中古資産を取得してその後その資産の取得価額の50%を超える資本的支出がなされた場合には、その資産の減価償却率は中古資産のそれではなく、元々の資産の償却率が適用されるというものなのです。

早く言えば2000万のマンションを買って1200万のリフォームは出来ないということになります。

国税庁のHPよりお借りした一文です・・・

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(見積法及び簡便法を適用することができない中古資産)



1-5-2 法人が中古資産を取得した場合において、当該減価償却資産を事業の用に供するに当たって支出した資本的支出の金額が当該減価償却資産の再取得価額の100分の50に相当する金額を超えるときは、当該減価償却資産については、別表第一、別表第二、別表第五又は別表第六に定める耐用年数によるものとする。(平6年課法2-1「四」、平10年課法2-7「一」、平20年課法2-14「五」により改正)

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築35年のマンションを購入して定額法により償却する場合償却期間は14年となり、償却率は0.072です。しかし、もとに戻ると47年で償却されるため0.022となるのです。

税法では資本的支出により耐用年数が延長すると見るのでしょうが、その税法の解釈ちよっと待ったてください。そもそも建物の寿命は躯体や配管等の共用設備によって決まるのであり、専用部分をいくらいじっても建物本体の寿命が延びる訳ではありません。

新しく資本的支出により付加されたものはそれぞれの用途により償却されていくのは分かります、でも躯体や共用設備までもが一律に47年になるのは合理的な解釈は得られません。

景気浮揚の政策として減価償却制度の見直し議論がなされていますが、そもそもこんな矛盾を取り払い企業や個人が積極的に投資できる環境を作る事こそ必要なのではないでしょうか・・・

財務省がこの国の行く先に立ちはだかる伏魔殿では困ります。