串カツ 大阪梅田 松葉
我が家のモットーは人には向き不向きがあるから何でも出来るようにならなくて良いという、一見すると出来ない事を肯定するような甘い親の口癖のようなものなのであるが、これには些か説明を要する。
私はどちらかと言うとスポーツ万能だった。バスケでは1年生からスタメンに入れられて試合にも出させてもらった、上の学年に進級してからはキャプテンも務めた。水泳だって個人メドレーの選手だった、小学生の時は一番上のクラスだった。コロコロだった小学校の低学年は別として背が伸びた頃には短距離も、走り幅跳びも、マラソンも体操もそこ以上にこなした。
ところが妻は全くの運動音痴。水泳は唯一得意だったらしいが、そのせいで真っ黒に日焼けしていたからその姿かたちだけでリレーの選手に推薦され辛酸を味わったと言っていたから、相当駆け足は遅かったようである。そんな二人の間に生まれた娘と息子と言えば、娘はごく普通の運動能力で飛びぬけたところはなく、中の中と言ったところだった。ところが、長男はイケナイ。公園に逆上がりの練習に行けばそのまま脳天から落ちるし、キャッチボールをすれば顔面でうける有様だった。水泳だけはなんとか教室に通わせたが、運動は彼にとってこれ以上と無い責め苦のようであり、私は息子が運動で活躍する夢はさっさと放棄したのだった。
そんな家庭事情であるから運動で活躍する子供を見ると必要以上に応援したくなる。無い物ねだりの典型ではあるが、仕方ない、我が子にはその線の能力はないと判明したのだから。
リトルリーグから全国的に名前が知れていた友人の息子が甲子園に出た。周りの友人知人変人総出で応援に出掛けた。最初は春の大会だった。楽天で活躍する田中投手率いる駒大苫小牧に完敗した。そして夏の大会。甲子園で強くなるという話があるが、まさにそれだった。快進撃を続け決勝で同校と対戦した。そして優勝した。一緒に行った人たちは老若男女皆抱き合って喜んだのは言うまでもない。
そうした一連の甲子園に出掛けた時に、梅田の地下街にある松葉という串揚げ屋を生粋の大阪人に教えてもらった。前の日に一人1万円以上する梅田にある高級店の串揚げを食していたが、味も雰囲気も断然松葉の方が上だった。ご存知のように串揚げは2度付け禁止である。ソースが足りなくて手持無沙汰にしていた私に常連さんと思しき初老の男性が優勝のささやかな祝福として野菜の串揚げを一本ご馳走してくれた。食べ方も教わった。最初にどっふりと付けて余ったソースを小さな皿に貯める。そして足りなくなった時はその皿のソースを加えて食すのだ。これなら2度付けにならない。暖簾の汚れは美味しさの証という。昔は食べた手で暖簾を手ぬぐい代わりにそっと拭いていたようである。なるほど松葉の暖簾はその噂に違わない貫禄があった。