丸谷才一と鮨屋
25年近く前に雑誌太陽に大きな写真入りで岡山の鮨屋が紹介されていた。その寿司屋の名前を忘れてしまい何とか思いだそうとしても思いだせない。インターネットの書きこみを見比べてこの店かなというものも見つかったが定かではない。まるで喉元に刺さったままの秋刀魚の骨のような嫌な気分だった。投稿者のある人の文章に丸谷才一氏の名前があった。もしやあの雑誌の文章は氏のものだったのかもしれない。私の偏狭な読書癖を考えて紡いでいくと確かに私は氏のエッセイばかり読んでいた。そのような題名のエッセイがあったはずだ。自宅の本棚を探すが見つからない。残念ながら数度の引っ越しで消えてしまったようだ。
何故この鮨屋が印象に残っているかと言えば、当時の鮨屋はショーケースにネタを保存する店が大半であった。銀座の高級店でも右に同じで何の変哲もない冷たい表情のショーケースが客の目の前に鎮座していた。私はカウンターでの料理の出し方を研究していた。研究していたとは大層なものではないが、新しく自分で始める飲食店で何か新しくて気の効いた出し方は無いかと思案していたからだ。そしてもうひとつこの店は女性が寿司を握る珍しい店だった。
写真には内水をされた細い路地と妙齢な和服の女性の横顔が写っていた。
この店はその日に使う分のネタを木製の箱に入れ、客に説明し握るとのことであった。なるほど、ある寿司職人から聞いた話だが、ショーケースは乾燥するので、氷の室に入れるのが一番と言っていたからこれは理にかなっている。
丸谷氏の著書は「食通知ったかぶり」というものだった。残念ながら今は絶版している。古書店を見るととんでもない金額が付いている。本をそんな風に買う気はないから諦めたが、なんと電子書籍で売っていた。420円だった。早速、購入し、パソコンの苦手な私なので操作方法をスタッフに聞きながら今ページを開けている。
目次の中にそれらしきものを見つけた。岡山に西国一の鮨ありとある。岡山生まれの吉行淳之介氏をしてその店が紹介されている。その店は「魚正」という。私にとって25年ぶりの邂逅である。私は小躍りしたい気持ちを抑えて、グーグルマップにその店の住所と電話番号を記録した。もちろん真っ先に頼むのは穴子に決まっているのだが。