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2013年5月20日月曜日

丸谷才一と鮨屋


丸谷才一と鮨屋

25年近く前に雑誌太陽に大きな写真入りで岡山の鮨屋が紹介されていた。その寿司屋の名前を忘れてしまい何とか思いだそうとしても思いだせない。インターネットの書きこみを見比べてこの店かなというものも見つかったが定かではない。まるで喉元に刺さったままの秋刀魚の骨のような嫌な気分だった。投稿者のある人の文章に丸谷才一氏の名前があった。もしやあの雑誌の文章は氏のものだったのかもしれない。私の偏狭な読書癖を考えて紡いでいくと確かに私は氏のエッセイばかり読んでいた。そのような題名のエッセイがあったはずだ。自宅の本棚を探すが見つからない。残念ながら数度の引っ越しで消えてしまったようだ。
何故この鮨屋が印象に残っているかと言えば、当時の鮨屋はショーケースにネタを保存する店が大半であった。銀座の高級店でも右に同じで何の変哲もない冷たい表情のショーケースが客の目の前に鎮座していた。私はカウンターでの料理の出し方を研究していた。研究していたとは大層なものではないが、新しく自分で始める飲食店で何か新しくて気の効いた出し方は無いかと思案していたからだ。そしてもうひとつこの店は女性が寿司を握る珍しい店だった。
写真には内水をされた細い路地と妙齢な和服の女性の横顔が写っていた。
この店はその日に使う分のネタを木製の箱に入れ、客に説明し握るとのことであった。なるほど、ある寿司職人から聞いた話だが、ショーケースは乾燥するので、氷の室に入れるのが一番と言っていたからこれは理にかなっている。
丸谷氏の著書は「食通知ったかぶり」というものだった。残念ながら今は絶版している。古書店を見るととんでもない金額が付いている。本をそんな風に買う気はないから諦めたが、なんと電子書籍で売っていた。420円だった。早速、購入し、パソコンの苦手な私なので操作方法をスタッフに聞きながら今ページを開けている。
目次の中にそれらしきものを見つけた。岡山に西国一の鮨ありとある。岡山生まれの吉行淳之介氏をしてその店が紹介されている。その店は「魚正」という。私にとって25年ぶりの邂逅である。私は小躍りしたい気持ちを抑えて、グーグルマップにその店の住所と電話番号を記録した。もちろん真っ先に頼むのは穴子に決まっているのだが。




匂いの記憶


匂いの記憶

子供頃蝶に夢中になった。蝶の図鑑が私の愛読書。だから蝶の名前には今でも詳しい。
どんな捕蝶網が美しい羽を傷つけないのか、そして採りやすいのか今でも分かる。蝶を捕獲して紙に挟む前に小さな胴体に注射器をさす。蝶は絶命して標本となる。この残酷な儀式が済まなければ標本は出来ない。それでもおびただしい数の蝶の標本を作製した。

家の前にアオスジアゲハが蜜を吸いに来る生け垣があった。薔薇の花もあった。その生け垣がアベリアという種類だと知ったのはずっと後の事だった。ここにくる蝶は捕獲しなかった。いや、同じ種類の蝶は捕獲する気がなかったからだ。絶命させるのは一つで良いと子供心に思ったからだろう。薔薇の花弁の中に小さな昆虫がいる。はなむぐりというコガネムシのような小さな虫だ。今頃の季節になると一斉に色々な花が咲き乱れる。このアベリアの匂いは夏の始まりを予感させる。

匂いとはあらゆる感覚の中でもっとも原始的で脳の深部に伝達されると聞く。私の中でアベリアの匂いは夏の到来を告げる匂いだった。
あの夏の記憶はこのアベリアで始まる。
友達はいなかった。でも少しも寂しくはなかった。図鑑と捕蝶網があれば何億光年の冒険旅行が出来たからだ。

大人になって宮益坂の上にあった志賀昆虫社に通った。店内に入るとあの頃の夏の思い出がフラッシュバックのように蘇った。
私の夏の記憶はアベリアで始まる。今年もまたその季節がやってきた。