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2013年12月25日水曜日

音楽と酵母

テレビのニュースで酒蔵の杜氏が音楽を掛けながら仕込みをして熟成させると良い酒が出来ると言っていた。その時はモーツァルトだったと思うが、酒も人間が作るもの、人間が気持ちよくなれば良い酒も出来るのだろうとあまり深く考えなかった。

ところが最近この醸造と音楽の関係について科学的アプローチが試みられて結果を残したというのだ。ニュースによると音楽=ある種の振動が酵母に影響するのだという。そもそも酵母菌の中にはオスとメスが存在するものもあり、それらは性ホルモンのような物質で接近したり離れたりしていることが分かった。そこにある種の振動が加わると分子どうしがくっつき、空気を排他し、嫌気性の酵母の働きが活発になるというのだ。これは白眉である。確かに発酵というのは微生物の働きである。無機質ではない。だからこそ森羅万象に影響される。納得である。

音楽を振動ととらえればそれまでだが、考えてほしい。別にアイドルが嫌いじゃないけれど、セラー内に大音響で流されるヘビーローテーションによって赤ワインが美味しくなったと聞いたらどう?モーツァルトと行かないまでもピーターアップルヤードやコルトレーンの方が美味しく感じません??ただそれだけですけど・・






2013年12月2日月曜日

クラス会


大学のクラス会というのは色々な人に聞いてみるが中々珍しいらしい。確かに新入生の頃最初クラスに振り分けられるが共通する授業は幾つかにとどまり、あとは各人が好きな授業をとっていく。さらに上級に進めばゼミや各人専門が分かれ一緒に集うことは少なくなるからだ。

ところが昨年辺りから有志が立ち上がりこのクラス会が開催されるようになった。
ある作家が面白いことを言っていたのを思い出した。高校卒業が最終学歴のその作家が言うには友達と呼べる友達は高校まで一人も居なかったというのである。今いる友だちはそれ以降つまり社会に出てからなのだと。確かに一理あると思った。私も考えてみると中学までの友達で今でも付き合っている人はいない。高校で数人、大学ではその倍以上になる。そして社会人になってからの友人のほうが圧倒的に多い。その理由は簡単である。義務教育という好き嫌い関係なく押し込まれた箱の中で私達は友達ごっこをしていた。しかしあくまでそれは「ごっこ」であり、実際の友達ではない。私達はそこまで成長していないからだ。そしてその枠がなくなればその友達との音信は無くなる。
高校や大学の場合、決められた箱は同じだが、社会的階層が近しい人が多い。つまりその後の社会に出ても同じようなステージで出会う機会も多くなる。だからその一部の人と繋がっていられるのだろうと推測する。

ところが社会に出てからの友達というのは決められた箱のなかで選ぶわけではない。子供の学校だったり、共通の趣味だったり、自らがその箱自身を選ぶことが出来る。そこには共通の話題が存在する。ここが肝要である。この共通の話題が無いまたは少ない場合、友達との関係は疎遠になっていくからだ。私も一度だけ中学の同窓会に参加したことがある。苦労をして幹事をされた方には申し訳ないのだが出席していること自体苦痛だった。共通の話題が全く無いのである。

話を大学のクラス会に戻そう。今回で3回目であるがどうしてなかなか楽しい。もちろん会社の肩書やその規模で人を判断する年齢ではなくなったということもあるのだろうが、話題を見つけやすい。その理由は合う前にお互いの概況を確認できるということが大きいのではと思う。そうフェイスブックやブログを読めば今どんな仕事をしているとか、どんな趣味なのかといったことは悠々に理解できるからだ。このことは前と比べて大きな変化だと思う。中には会社の重職のためこうしたソーシャルネットワークに情報の発信をすることの出来ない人もいる。そうした人でも相手の情報は読み取れるわけだ。私は4年前にこのリスクとメリットをよく考えた上で友人からやってみればと勧められた。お陰で今では色々な友達との会話がしやすくなった。
時々、妻より早く私が昼食に食べたものを知っている輩もいるがそれはご愛嬌。だから悪い事や嘘はこのSNSでは出来ない。情報というのはものすごい速さで正誤性の合わないものに収斂していくという法則があるからだ。それ以外ならとても使いやすくハッピーな道具なのだが。










2013年11月21日木曜日

ワインの話

ワインの話

 恵比寿の路地裏で店を15年やってきた。当時の私は日本酒やビールの味はそこそこわかっているつもりだったが、ワインとなるとからきし駄目だった。それでもバブル景気のせいかお客からワインを聞かれることも多くなっていた。もちろんそれ以前にもワインは飲んでいたがいつも頭の痛くなるような酷いシロモノばかりだったのでワインに対する印象は悪かった。
 そこで意を決して日本橋の高島屋に行きワインを買った。当時8千円近くしたと思う。買ったワインはシャンベルタン。ブルゴーニュの赤ワインである。何故このワインを買ったか。それは名前がかっこよかったからである。他のものは舌を噛みそうで頂けなかったからだ。当時はデキャンタージュもマリアージュもあったものではない。帰るやいなやコルクを開け、小さな安物のワイングラスに注いで飲んでみた。色も薄く、香りも感じられない。ちょっと酸っぱいような変な味だった。どこが良いワインなんだと勧めた店の人を恨んだ。そのような経験が災いしてか店で置いたのはオーストラリアのワイン、値段も手頃のワインが多かったが、本当に美味しいとはあまり感じられなかった。

 それからしばらくして二人のワイン通からカリフォルニアワインを教わった。リーズナブルなのにハズレがない。特にシャルドネの白ワインはさっぱりしたものから、重厚でこくのあるものまでバリエーションもあって飽きが来ない。それにひどい二日酔いもなくなった。今も冷蔵庫とセラーにはこのカリフォルニアワインがいつでも抜栓できるようにスタンバイしている。

 ある三ツ星レストランに行ったときに、それぞれの料理にワインを合わせてくれた。ランチだったので料理は9千円以下だったと思うが、ワインがその料理と同額だった。前菜で供された貝の料理に合わせられたのが20年もののムルソーだった。貝を口に運んだ後にムルソーを飲むと石灰質の土壌から吸い上げられたミネラル分が口に残り何とも言えない美味しさが広がった。そしてメインの魚料理にはカリフォルニアのシャルドネが合わせられた。ジャッジだった。先ほどのムルソーとは違う酸味もあり力強さと濃厚な味が肝を使ったソースと絶妙の火入れされたマカジキと上に載せられたホウズキの酸味と絶妙にマッチしていた。なるほどワインとは料理によってここまで味が変わるのかと三つ星レストランの凄さに驚嘆したものだ。それ以来、このワインはどんな料理とあうのかといつも考えるようになった。

 ワインは講釈より飲んでみなければ分からない。講釈は要らないという人がいる。確かにそうだと思う。でもワインを知ることはちょうど何故勉強しなければならないのかという問に似ている。そう勉強というのはいつ使うか分からないような無駄な知識を頭に入れる作業だからだ。無用なことはしないという合理主義者ならば別だがこの歳にして思うのは人生とはその無用なことが肝要なことのような気がする。ワインのラベルを見てそのワインが生産されたぶどう畑をイメージして、収穫された時の気候や温度、景色の色まで想像してみる。確かにカリフォルニアはとてもわかり易い。決して劣るとかという話ではない。ただそれに対してブルゴーニュは難しい。ブルゴーニュで美味しいワインと出会うのは10本に1本、いやいや100本に1本かもしれない。それほど飲み頃や相手(食べ物)を選ぶ。でもそれが魅力であるのも事実。難しいからこそ最高の一杯に出会った時の感激は言葉では言い表せない。天然の採ってきたばかりの舞茸を天ぷらにして合わせたボーヌロマネの美味しさは4年たっても口の中に残っている。








2013年11月13日水曜日

舌の記憶


私の好きなビストロでのディナーは大変満足のいくものであったがワインについては己の経験と知識のなさにやや自己嫌悪に陥った。ソムリエ殿には大変申し訳無いがワインというのは好き嫌いがある。その好みまで観慮してワインを選ぶということはなかなか難しいのであるからソムリエ殿に文句をつけることではない。私が拘っていたところは鴨というジビエひとつとっても季節、その調理法によって選ばれるワインが異なってくるということだ。実は美味しい料理を楽しんでもらいたいとの一念から前々日に鴨を料理し相性を確かめてみたのだ。野生の鴨は入手困難だったので京鴨を用いた。骨もないので軽くローストしてキャトルエピスで味付けした。

フランス料理のワインとの相性ではそのソースに近いワインを選ぶという基本がある。ところが当日作ったものはローストで鴨の味が直接舌に来る。この場合には開栓したばかりの南ローヌのグルナッシュではバランスが取れなかったのだ。翌日、一日置いたそれはかなり相性が良くなっていたがまあまあという出来栄えだった。
そこで私はやはりサルミソースのコクを考え、ブルゴーニュのシャッサーニュモンラッシ・プリミアクリュを選ぼうと決めていた。このワインは高年齢の樹木を用いるため輪郭がはっきりしていて落ち着いている。ところがどうだろうそのワインは品切れとのことである。その代わりに選んだのがシャンポールミジュニー2011である。ミジュニーらしい薄明るい液体は果実もあり滑らかであるがいかんせん若すぎる。恐らく樹齢は20年も経っていないのではないか。ミジェニー村はぶどうの病気によって多くの樹木を失っていたからだ。それとあまりにも早く供されたため魚のサーブの時にこのワインが注がれる始末だった。これはいけない、ワインは全く料理とかけ別の味わいとなって胃袋に消えてしまった。

メインの青首鴨のサルミソースが運ばれてきた時にはワインのグラスは空なっていた。しかたなく、ジゴンダスを頼んだ。グルナッシュらしい軽さと渋さが口元に残りローヌらしい力強さを感じたが如何せんフルーティ過ぎる。鹿肉には良いだろうが、この店のサルミソースは軽く仕上がっているので相性は今ひとつだった。やはり強すぎるフルーツ香が邪魔をする。

何故そうなのかと少ない経験と虚ろな頭のなかから昔のページを紐解いてみる。今から5年前にカンテサンスで鴨を食していた。その時のメニューはシャラン産鴨のロースト島らっきょソース、鷹が峰とうがらし添えというものだった。季節は8月。そうさっぱりとした家禽に近い鴨を軽めのソースで仕上げたものだった。これにソムリエが合わせたのが先ほどのシャンポール・ミジェニーだった。そうか私の試験は間違っていなかったのだ、だからローストのようなさっぱり軽めにミジェニーを合わせていたのだ。ということは少なからず肉の個性の強い青首鴨のサルミソースにはよりはっきりとしたワインのほうがあうということだ。グルナッシュを一晩寝かせたような滑らかさ、数年前、天然の舞茸に合わせて供されたワイン・・・・そうやはりピノ・ノワールしかない。あの時のボーヌロマネのように・・今閃いた・・・








2013年9月20日金曜日

秋の夜長のJAZZ PIANO

秋の夜長のJAZZ PIANO

昨日は中秋の名月でした。家の近くのススキを5本だけ花瓶に生けて満月を愛でようと20年ぶりに天体望遠鏡を屋根裏より引っ張り出し見ようと試みたのですが、光軸がずれてしまっていて結局見る事は出来ませんでした。それにしても綺麗な満月でした。

こんな日は静かな音楽が聞きたたくなります。JAZZに造詣が深いわけでも誰かの熱烈なファンという訳でもありませんが、耳に心地よい音楽が聞きたくなります。

大学生の頃、阿佐が谷に住んでいたことがあります。自転車で高円寺や吉祥寺に出掛けてウィスキー1杯で何時間もJAZZ BARにたむろしていました。今はもうなくなってしまった店がほとんどですが私のJAZZとの出会いは紛れもなくこの頃でした。

レコードを買うお金もなかったので深夜のラジオからカセットに録音していました。NHKのラジオでクロスオーバーイレブンという番組があって毎日欠かさずに聞いていました。オスカーピーターソンのNIGHT CHAILDという当時は異色の電子ピアノを使ったアルバムもその当時の物です。JAZZとは言い難いかもしれませんが私は結構好きです。

エディ・ヒギンス、リッチー・バイラーク、キース・ジャレット、ティエルリー・ラング・・・静かなピアノ曲が今日のような秋の夜長に聞きたい曲です。テイエルリー・ラング・トリオのプライベートガーデンは特にお気に入りです。

あれあれ確か昨日開けたばかりのジャックダニエルがもう空にになってしまいました。秋の夜長は時間が立つのも早いものです。





2013年6月26日水曜日

思い出のハイボール

思い出のハイボール

数日前に銀座にあるハイボールの美味しいバーに行った。根魚と言うなんともキテレツな名前のそのバーのハイボールは氷が入っていない。とても繊細で美味しいハイボールだったが、私の探しているハイボールはそれではなかった。
私が学生の頃、遊び場では肩身の狭い思いをした。当時、文武両道の早稲田や慶応は早慶戦の時などそれぞれの学生達が意気揚々とそれぞれの場所で青春を謳歌する。慶応は六本木、早稲田は新宿で大いに盛り上がった。私達の学校の運動部はからきしだめで、六大学にはとうに及ばず、東都大学リーグでも辛酸をなめていた。それでも早慶戦に関係なくお酒を飲みたいと言う欲求は抑えられず、そろりそろりと酒場に向かうのが常だった。
私達は地元の四谷を除けば、新宿と渋谷で飲んだ。これは二つ年上の先輩の実家が代官山にあり、新宿で高校時代を過ごしたこともあり、この二つの盛り場に明るかったからだ。
渋谷は風林会館にある酒場だった。確かオールドを飲んでいた記憶があるので高級な感じがした。もう一件は新宿だった。あの頃、盛り場にはコンパと呼ばれる安く飲めるカウンターバーがあった。私達がよく行ったのは歌舞伎町にあるコンパエアーラインという店だった。店内は広く、いくつかのブースに分かれていて、それぞれが各国の航空会社の名前になっている。カウンターにはその航空会社の制服を着た若い女性が一人いてお酒を作ってくれる。これだけ書くと秋葉原や神田にあるイケナイコスプレバーを連想される方もいるかもしれないが、至って真面目、女性はただお酒を造るのである。そしてなによりとても安かった。先輩がボトルキープしているので千円以下で飲めた。
私はいつもハイボールを頼んだ。氷の入ったグラスにウィスキーを注ぎ、ホースのようなもので炭酸水を満たす。そして軽くステアして出す。出されたそれは薄く、かすかにウィスキーの味がする程度だった。それでも楽しく飲んでいた。
私が(先輩が)好きだったのはSASと書かれたブースだった。ご存知の通り北欧の航空会社である。今こんな事をしたら商標やらなんやらでとんでもない自体が予想されるが、当時は鷹揚だった。誰もそんな事を気にしなかった。
この店のカウンターの女性はほとんどがアルバイトだった。私達と同じような学生が多く、このカウンターの女性は多くても二名がいて、いつもは一人で切り盛りしていた。
一人の子は中央線の某有名女子大学に在籍中だと言っていた。もうひとりは最後まで素性を明かさなかった。
女子大に通うその子はストレートのショートカットで笑顔の可愛い子だった。出身は愛媛県と言っていたが、みかんが嫌いだとも言っていた。小さい頃に食べすぎて体が真黄色になったからとも教えてくれた。地方から出て来た者同士、私もその子と話をすると何故か落ち着けた。彼女はその店のアルバイト以外にも色々なアルバイトで学費を稼いでいた。家はあまり裕福でなく入学金も何とか工面してもらったようだった。私達はどちらが多くのアルバイトをしているか競い合った。私が家庭教師を筆頭に、駅前のティシュ配り、新聞の配送、土方手伝い、プールの監視員と言えば、相手も負けてない。この店のほかにあと二店、そして添削のアルバイトと張り合った。彼女の別の店のアルバイトは知り合いの女性が病気になり急遽頼まれてするようになったと言っていたが、あまり乗り気ではなかった。時給は他のバイト三倍するものの接客しなければならない。常連客がほとんどなので滅多に酷い客はいないのだが、中には酩酊して時々困る客もいると話していた。
それでもすぐに笑い顔を取り戻して薄いハイボールを作ってくれた彼女だった。
最初の夏が終わり秋に差し掛かる頃、彼女はその店を辞めていた。風の噂で聞いたところによると病気をして実家に戻ったと言う。何の病気なのかそれ以上誰も口にしなかったが、休学ではなかった。
今でも私のハイボールはあの店で飲んだ薄いハイボールを思い出す。彼女の可愛い笑顔と共に。

出店 新宿「コンパエアーライン」





2013年6月24日月曜日

西陽のとんぺい焼き

西陽のとんぺい焼き
材木座に通うようになって20年が過ぎる。それは同時に犬を飼い始めて同じ年月が経ったと言う事だ。
我が家に最初にやってきた犬はゴールデンレトリバーで、女の子なのに家族に幸せを運ぶ魔法使いのようになって欲しいからとジーニーと言う男の子の名前を付けられてしまった。その犬とはよく材木座海岸を散歩した。聞きわけの良い子はノーリードでも大丈夫で、つねに私の目を見て行動していた。
子供達も幼かったが、ジーニーを連れて食べられる店しか入らなかった。それでも子供達は満足していた。
材木座海岸の中ほどに「かたつむり」という広島風お好み焼きを食べさせてくれる店があった。水色の建物が特徴で裏手には倉庫があり、そのすぐ近くに犬小屋があった。
目のくりっとしたキングチャールズスパニエルと大きな体躯のゴールデンリトリバーの男の子がいた。
その店につくと最初にその子たちを撫でて挨拶をしてから店に入った。私達は海が見える戸外のデッキに席を取り、思い思いの食べ物と飲み物を頼んだ。
この店の主人と思しき女性は、私達より幾分年上であったが、その凛とした表情や立ち振る舞いから、銀幕で活躍した女優のようでもあった。いや、きっと若き日はそれに近くお仕事をされた方だと推憶する。二人の娘さんは私達より幾分若く、その美形ぶりに驚く、すらっと長く延びた手足は母親譲りなのか、日本人離れした小顔で切れ長の目をしていた。
最初は姉にあたる人が調理をしていたが、何かの理由で姉が厨房に立てないようになり、妹が今度は調理を担当した。
私は必ずとんぺい焼きを注文した。とんぺい焼きというのは豚のバラ肉の上に生の卵と沢山の葱を散らしたあれである。ところがこのとんぺい焼きが微妙に違うのだ。いや、微妙ではない、はっきりと違うのである。
どちらが旨いと言う事を書くと、国際問題にも発展しかねない懸案なので明言は避けるが、この店のものより美味しいものを食べた事が無い。それほど美味なのである。
とんぺい焼きはバラ肉の歯触りと卵の焼き加減が肝要である。肉はカリカリとした食感でありながら、柔らかさも残さなければならない。卵も生ではいけないが、火の入りすぎには最も気をつけなければならない。
このとんぺい焼きを食べながら富士山の横に沈む夕日を見て麦酒を飲む。横には妻と娘や息子たちとジーニーがいる。これ以上の幸せはなかった。心満ち足りた時間はあっと言う間に過ぎてしまう。
店は数年前に売り渡され暫く閉店していたが、新しいオーナーが水色からアイボリーに壁を塗り替え、新しく店を始めた。その店の名前は「リプレイ」という。オーナーは元俳優と言うから、何かしらの縁があるのかもしれない。
とんぺい焼きはなくなってしまったけれど、デッキはまだある。ジーニーは亡くなり、娘が嫁ぎ、息子も多忙で中々一緒に散歩をする機会も少なくなったが、妻もそして2匹の犬も元気でいる。今年の夏には2匹の犬に妻と娘と娘の旦那そして孫も連れて来てみよう。西陽と麦酒は変わらないのだから。


出店 材木座「かたつむり 閉店」「リプレイ」







2013年6月7日金曜日

シンガポールスリリング

シンガポールスリリング

友人とラッフルズホテルのブランチを食べるその目的だけのためにシンガポールに行ったことがある。観光もレジャーもなしの、一点豪華主義、豪勢な旅である。友人の後輩、といっても企業の現地法人の社長が自らハンドルを握って、私達をインド人街やアラブ人街に連れて行ってくれたが私達は一向に車から降りようとしない。それはそれで徹底していて今考えると変な日本人一行だったと思う。
友人はその時は某大手ホテルの社長を兼務していて、その数日前にマレーシアでの会議を終えての合流だった。友人がとってくれたホテルの部屋はとても良い部屋でシンガポールの街が一望できた。部屋は広く、体躯の小さな私達には持て余すものだった。
ラッフルズのブランチはご存知のようにイギリス仕込みの伝統と格式のあるものだ。料理はどれも手がこんでいて味付けも上品である。邦国のそれのように暖かいものが冷たくなり、冷たいものが暖かくなったビュッフエ形式のそれとは明らかに質、種類、量とも違う。
ラッフルズホテルのもう一つの名物がドアマンとバーである。ドアマンは頭にターバンを巻いた大男で一見いかつい印象であるが、口を開ければ優しいチャーミングな男である。
そしてもうひとつがロングバーなるラッフルズのバーだ。その日は時間的に合わず入る事こそ出来なかったが、ここで生まれたというシンガポールスリングというカクテルを飲みたかった。
私は若い頃、シェーカーを振った。と書けばカッコ良いが、要するに女の子に美味しいお酒を作れる事を自慢したかっただけである。
カクテルというのは中々の物である。数種類のシロップやフレーバーを用意しておけば色々なカクテルが出来る。独身時代に金沢出身のある女性のために作ったカクテルは、ウオッカベースにミドリとアンゴスチェラビターを加えて最後に塩をグラスにふったものだった。女性が古都金沢の兼六園をイメージして作ってくれたと感謝してくれた。私は兼六園に行った事も無かったのだが、カクテルとはそういう手合いのものである。
妻が買物に行くというので私は時間を持て余し、ホテルにマッサージを頼んだ。30分後に現れたそのマッサージの女性は背が高く、マッサージは力強く、とても上手だった。ただひとつ、問題だったのは白い制服に黒い下着がくっきり映るので気の弱い私は直視することができなかったことだ。そうこうするうちに妻が帰ってきて、私の背中を力いっぱい押しているその女性と目があった。妻は何も言わず部屋を出て行ったが、その後、私は何も悪い事をしていないのにバツが悪く体操窮屈な思いで横たわっていた事を思い出す。その後、高いブランド物のバッグまで妻に要求され、散々な目にあったのは後の祭りである。

出店 ラッフルズホテル 「ロングバー」


2012年3月9日金曜日

美味しいもの トラバニ風ペーストのジッリ ヒコイワシのフリット







トラバニ風といえばアーモンド、ニンニク、トマト、バシルのソースです。それに喇叭のようなパスタでからめます。二日前から登場した季節メニューです。

妻はいつものイワシのサシャレッテイです。ソースは同じなのに何かが違う。パスタの大きさが変わっていたため少し味が薄く感じたのでした。

前菜のヒコイワシのフリット・・・旨い!!  ????でもワインとの相性がいまいち、!!!!

思い出しました!!!!!

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今日の夕餉は春キャベツのコールスローに朝、佐島で上がったヒコイワシのフリットです。

お店で閃いたのはロイ&シェリー家より頂いたシャブリと会うだろうなと思ったのです。

フリットは作り方研究の余地有りですが、相性は抜群です。シャブリも色々ありますが、グラスに神の雫が見られるのは相当作り手で凝っています。しかも、フレンチオークでない。これは旨いです。

こういった旨いシャブリは生牡蠣よりこうしたフリットや鶏肉が合うのです。

このワイン、本当に海老鯛でした。御馳走様!!

先日、衝動買いした密売東京のミニミニマッチ気に入ってもらえたようです。あのシュール感引かれたらどうしようと思いましたが・・・ホッツ!!

息子が今日は鎌倉に帰ってきます。妻はイワシのフリットを再現するつもりです。

炭酸水、コーンスターチ、ベーキングパウダー、卵白、塩コショウで衣を作るようです。

2012年2月22日水曜日

ワインと料理

ワインを戴いた方がお料理が好きな方で、その方のブログに「運動音痴は残念じゃないけど、お酒が飲めないのはチョット」と書かれていました。

私も実はワインがきっかけで料理をするようになったのです。私のワインの師匠はSパパ→ドクターF→私という順番でワインにハマっていったのです。

ワインはいくら蘊蓄を言われても飲んだ者勝です(笑)

フレンチにしてもイタリアンにしてもプロの料理人のレシピは材料に中々手に入らないものがあったりで、大変です。大変と言うよりそこまでしてそんなに違うのと言う代物もあるのです。

私がお薦めするのはこの人の本です。簡単に言ってしまえばその土地の料理とお酒は抜群に相性が良いのです。そして作り方も簡単です。以前、紹介したとき間違えて大野由紀子さんと書いてしまいましたが間違いです。大森由紀子さんです。自宅で料理教室も開催しているようですよ!!
確か八雲だったか世田谷だったか???





ちなみにこの本に出てくる鶏肉のオージュ風煮込みはノルマンディ地方の料理でワインを使わず名産のシ―ドルで煮込みます。とても美味しいです。もちろんシ―ドルやカルバァドスで合わせます。

白の琺瑯のテリーヌ皿に鴨肉と牛肉をミンチして、干しブドウとピスタチオにコニャックで味付けして混ぜ合わせ、網脂でラップし一晩か二晩寝かせたテリーヌを食べることはまさに至福であります・・・・

2010年11月1日月曜日

日本酒 試飲

横浜そごうで明日の夕餉の干物にあう日本酒を探そうとコーナーに行ってみると、日本酒の試飲をしていました。

居酒屋の経営歴15年の私としては日本酒にはチトうるさいのです。

まずは静岡(浜松)の酒蔵のもの、生酒が一番好きです。これはフルーティですが甘すぎません。切れはありませんが万人向けです。吟醸はもっと切れがありません。

一方、新潟の酒蔵「越の誉」は以前飲んだ時には良い印象ではありませんでしたが、どうしてどうして中々本格的な味です。


特にこの純米酒は大変良いのど越しと辛さです。毎年、年末にお歳暮の代わりにテナントさんに渡している日本酒、今年はこれに決めました。越の誉の吟泉です。この酒蔵は柏崎にあります。柏崎は私が父に海に連れて行ってもらった海水浴場の隣町です。



朝一番で、ジャージ姿で講釈たれながら日本酒飲んでいる私達はどんな風にみられているのでしょうか?まあいいや、人は人、私達は私達です。

いささか酔いが回ります。午前中ですので・・・・・・・

2010年8月17日火曜日

西瓜のカクテル

先般BARのMIZUMACHIで戴いた西瓜のカクテルに刺激を受けてあまりの暑さのためフローズンスタイルで西瓜のカクテルを作ってみました。

昨日は生ミントの葉があったので同様にフローズンモヒートを作ってみました。

作り方
☆西瓜をジューサー(またはザルなどで濾す)する
☆西瓜にラムを加える
☆グラスにレモン汁を縁にぬり塩を付ける
☆かき氷状にした細かな氷をグラスに入れる
☆そこに西瓜ジュースとラムを加え、よくミキシングする
☆かざりにミントの葉を添えて完成

2010年8月5日木曜日

鎌倉通信

まだ早いですがナイトキャップはこのモヒートです。

新鮮なペパーミントを使い、砂糖は控えめです。ポイントはペパーミントの葉をラムの中でつぶしてあげることです。

おやすみなさーい!!!

2010年2月3日水曜日

Gimlet "I suppose it's a bit too early for a Gimlet"


私の作るスペシャルギムレットです。

レイモンドチャンドラーは私の生まれた年に亡くなりました。

まさにa bit too early ですがどうしてもギムレットを飲みたくなりました。

正式にはギムレットというよりこれはウオッカベースなのでスレッヂハンマーです。

ポイントはシェカーでキリキリに振ります。甘いシロップは入れません。

チャンドラーファンのことをチャンドリアンというそうです。

私のアパートを使って下さった今は亡き松田優作氏もチャンドリアンだったかもしれません。

ギムレットで乾杯です。