テレビを見ていたら日本の消費税増税論議として、北欧の高福祉国家スウェーデンの税率と社会保障を取り上げていた。
数字を並べて各々の税率の違いを際立たせていた。しかし肝心の説明はなし。
前々からマスコミのこういった統計的思考には疑問を感じている。
まず日本と他国の税金の歴史的流れや、国民性(ヨーロッパの人は受け取るのが当たり前と思う人が多い、一方、日本は税金は取られる)の基本は説明していたがもう一歩踏み込んでいない。
さらに統計を揶揄した言葉に
"There are three kinds of lies: lies, damned lies, and statistics"(「世の中には3つの嘘がある。一つは嘘、次に大嘘。そして統計である」)がある。
これは英国、ヴィクトリア朝時代の首相でもあり、小説家として名を上げ、政治家となった。
ベンジャミン・ディズレーリ(Benjamin Disraeli)の言葉です。
私達の思考には細かな差異を平準化して、より簡単に説明しようとする傾向があります。理論経済学などはまさにこの罪を犯しているものが多いのものです。
今読んでいるこの本には「初期的ゆらぎ」が、いかに大きな違いを生み出すのかということが分かりやすく書いてあります。この初期的ゆらぎのことを「
バタフライ効果」と呼びます。そう日本では風が吹けば桶屋がもうかるという例えがあります。しかしながら単純化したい我々の脳は無数のこのバタフライがゆらいでいることを無視して結論付けようとしているようです。
閑話休題
「最小不幸社会」と首相が言っているが、私には自民党の2世議員でCMに応援演説にひっぱりだこのK氏が言っている「最大幸福社会」と変わらないと感じている。
リバタリアンの思想は徹底した個人自由の社会である。税金さえ支払いたくない。フリードマンやハイエクを読めばすぐ理解できる。一方、富の再分配を肯定する
リベラリストはこの対極にある。
この2つの主張はいずれも完全なる実現は不可能なことで共通する。
2つの党の根底にあるものは大して変わらないことを意味しているように思える。今の日本には政治評論家、経済学博士がやたらと多い、やらなければならないのは
実経済の底上げと政治である。