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2010年4月20日火曜日

NIKON D5000




最後までこのX3と悩んで結局ニコンD5000を購入しました。決め手は汎用性と使えるレンズの多さと手に持った感触です。

今まではコンパクトデジカメで撮っていたので、動くもの(犬や自転車)などが旨く撮れませんでした。さくらやセブの元気なうちに一杯取りためておきたいので清水の舞台から飛び降りたつもりで(おおげさ?)で購入しました。明日届きます。

購入したのはアマゾンです。アマゾン結構安いんです。その前に某Y電機で価格確認をしたところWEBと実店舗での購入では1万円以上、WEBの方が安いんです。これおかしくありません。これじゃ実店舗に行く必要ありません。

運動会や学芸会を控えたわが社のスタッフもお使いください。楽しみです。

アンチエイジング

私がアンチエイジングに懐疑的だと思っている人がいたらそれは誤解です。確かに生物学的に見た細胞死=アポトーシスは避けられないものの、アンチエイジングにも様々な要素がありますから全否定している訳ではありません。

私の友人で世界一可愛い50歳になると歯の矯正やティップに励んでいる女性もそれはそれで意味のあることです。

私の通っている眼科の女医さんはアンチエイジング学会にも所属しています。本当にあるんですねそんな学会が!!!(笑)

私にとってのマウイや海もアンチエイジングなのかもしれません。そうアメ車もアンチエイジングなのです(勝手に私が思っているだけ?)

閑話休題

以前にも人生に目的など見つけてはいけないと書きました。その通りです。この一日一日が人生なのです。

究極の幸せとはつまり「死ぬ直前に生きていて良かった」と思えることです。
どんな経験をして(つらいことも悲しいことも両方)その経験の数しか幸せは増量しないのです。

今は自分の傷口を見て感傷的になっている人でも、後になってその傷が生きたことへの勲章に思える日が来ます。人生とは山と谷の連続です。他人からは山続きに見えても本人は相当なアップダウンを繰り返しているものです。でもそうでもなければ面白くもありませんけどね。

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今年はサーフィンして、自転車に乗って真黒になってSIMIの勲章いっぱい作ろうと決心した私であります。


最高のおもてなし 利休の七則

千利休が示した茶の七則というものがあるのですが、それは茶道における「もてなし」と「しつらえ」を基本とする教えだそうで、以下のようなものです。

利休七則

1.茶は服のよきように点て
2.炭は湯の沸くように置き 
3.花は野にあるように 
4.夏は涼しく冬暖かに 
5.刻限は早めに  
6.降らずとも傘の用意 
7.相客に心せよ 
 
つまり、相手のことを考え、事前の準備はおこたりなく、本物を提供し、心地よい空間を心掛け、心にゆとりを持ち、さらに準備を怠りなく、相手に気に入ってもらえるように心掛けるという風に解釈できます。
 
ここ5年間続けているGWのホームパーティも俳優の原田芳雄氏の餅つきとまでは行きませんが、小さな拙宅に40名以上が集います。もともとはある人が「どんなに高いレストランで供される食事よりも、そのホストが精魂こめて相手のために料理した以上の料理はない」という言葉を聞いて、それならばやってみようと思った訳です。いつも頑張ってくれている会社のスタッフ、仕事を通じてお世話になっている人たち、私の生活によい刺激をもらっている友人たちと家族も交えての会となります。
 
そう公も私も私にはないのです。私は私ですから。
 
千利休の七則を心にとめ今年も5月3日に開催します。
 

村上春樹論

今、朝食を終えイノダコーヒーを飲みながら、ローリングストーンを聞きながらディスプレイの前に座っております。

私などが村上春樹氏を論ずることはおこがましいことは分かっておりますが、ふと想った事を綴ってみました。

以前、司馬遼太郎氏の著作は海外ではほとんど翻訳されていないことに比して、村上春樹氏のものは我も我もという活況だと書いたことがあります。

その理由として「比較」できる文学であることが重要な要素だとも書きました。

今回、BOOK3を読み終えて、もうひとつ気になることがありました。それは「普遍性」の裏側にある「存在」です。普遍性できなく、個々の読み手によってどうにでも解釈できる「可変性」です。

ある読み手には「大きな公園」となり、別の読み手には「小さな公園」となりえるのです。

彼はそのことを「メタファー」していません。つまり、頭の中にすっと入って我々の記憶や体験を引き出していくのです。このことが海外でも日本でも読まれる一つの要素のような気がします。

フリオ・コルタサルの短編集に収められた「南部高速道路」も似た性質を帯びています。
その道路やロケーションも知らないのに人々の頭の中で組みたてられていく臨場感と寂寥感です。

好き嫌いは別として村上春樹氏の小説について考えました。