小説と車
私の家にテレビがやってきたのは1歳の時だっと母は言っていた。赤ん坊の私の後ろに写るそれは白黒のパンダテレビ、アンテナは大きく開かれてテレビの上に鎮座している写真があるのでおおよそ間違いはないだろう。
ところで幼い当時の私にはアメリカのドラマ「バークに任せろ」という西海岸が舞台でハンサムな富豪の刑事ものが記憶の片隅に残っている。もちろんストーリーや詳細は覚えてないし、この記憶だって曖昧だ。題名の「バークに任せろ」が原題の“Burke‘s Law”を上手い事訳したと感じたのはもう20年後になる。私が言いたいのはこのドラマの中ですごくかっこいい車が登場していたということだ。もちろん当時の私にはその車が何という名前だったのか知る由もない。
歳日が経過し、サンダーバードを見たときにまたしてもかっこいい車が登場したのだ。ペネロペの運転するピンク色のそれは白のレザーと相まって、一瞬にして私を虜にした。それが前述のドラマにも登場していたロールスロイスだった。それが私の意識にある初めてのカッコ良い車だった。
私の住む街は当時、それでも今と比べれば繊維業が盛んで関東の上海などと呼ばれ、街も活気を有していた。小学生の私は学校からの帰り道、市役所の駐車場に止めてある車を見ながら、一年もしないうちにその車が何というメーカーの何という車なのか全て答えられるようになっていた。けれどもテレビで見たあのカッコイイ車は一台も見つからなかった。
マウイ島へのトランジットのため空港のロビーで時間を持て余していると、正面の男性が読んでいる本の表紙が目にとまった。それがダンブラウンとの最初の出会い。偶然にも席が隣り合わせになったその男性に読んでいた本の事を聞いた。彼はそれが最新作「天使と悪魔」であること、自分もこの作者が小説の中で使用する車の描写が好きなので読んでいることを私に説明した。島に渡って2日目には同じ本を購入していた。
小説の中で出てくるのはレンジローバー。私も先代のレンジローバーに乗っていたので多少なりとも詳しいと自負している。小説ではジャバブラックのレンジローバーと書かれている。そうレンジローバーの黒はジャバプラックなのだ。断然、ジャバプラックのレンジローバーであって黒のレンジローバーでは感じが出ない。もちろん小説は2日で読みおえた。
最近、MITのメディアラボ所長の伊藤穣一氏が薦めるダニエル・スアレース氏の「デーモン」を読みおえた。内容は近未来のコンピューターネットワークの話なのだが、さすがに著者自身がその道のプロであることも加わって大変楽しかった。ビッグデータといわれる最近耳にする話題もその一翼なのだけれども、私にとってはまたして車の記述に興味持ってしまった。黒のBMWのM6やリンカーンタウンカーといった新旧の車が登場する。それぞれが場面の貧富、正悪を対照させるように登場する。読んでいるだけでその臨場感が一気に高まる。
小説ではないのだけれど映画の中でも車は大切な役割を果たす。同型の車を持っている方には大変失礼だとお断りしておくが、ケビンスペーシー主演のアメリカンビューティーに出てくるのはメルセデスのMクラス、これがまさにはまり役でごくごくありふれたアメリカの中流家庭の表と裏を現していた。私はこの映画に使用されたことでかなり売り上げに影響したとみているが実際はどうだったのだろう。
私は自他共に認める村上フリークである。彼の作品は長編、短編を問わずほとんど愛読している。しかし、彼の車に対する表現はイマイチピンと来ない。ピンとこないというのではない、時代翻訳が必要と言うことかもしれない。「国境の南、太陽の西」に登場する主人公の家庭が青山の高級住宅街に住んでいて妻がチェロキーでご主人がBMWというのは当時の青山なら確かに分かるが、今読んでみると少し陳腐な感じがする。今ならさしずめ妻がアウディで、夫はメルセデスといったところか・・・
LAのハイウェイでブロンドの女性がオープンの白のメルセデスSLを運転していて、途中で束ねていた髪をはらりとほどきそのまま髪を風に靡かせながら、チラッとこちらにウィンクして走り去っていったという情景は想像できますよね・・・