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2009年10月28日水曜日

ジビエのフォン




北海道のマタギより蝦夷鹿が届きました。週末に向かってフォンを作ります。
素晴らしい骨が入っていました。これなら良い出しが出ます。
まず骨と野菜をオーブンで色づくまで調理します。


その後寸銅でじっくり煮だします。市販のフォンドボーを加え、フォンドジベリニィの出来上がりです。


灰汁をとり澄んだスープに仕上げます。


作っている間にローヌの赤が空になっていました。




サイドウェイという映画が始まります。この映画に出てくるワインのうち愛飲のニュートンとスタッグスリープ以外のワイン「ダリオツシュ」を試飲できました。


濃くてカルトです。これは買いでしょう。ソムリエの知識も素晴らしくもっと話していたいと思いました。これはよいよーです。


スウェードのバックスキン







玉高で待ち合わせです。茶はあるので黒のスウェードの靴を山陽山長で物色です。

今年からビプラムになり皮も「スーパーバックスキン」というスウエードです。あくまでスウエードです。

妻は25周年のバック゛をオーダーしました。7年前にパリの本店で「買ったら」といったのに買わなかったことを悔いていたようです。私も茜色のネックタイを注文しました。

ランチは地下のイートインです。ここ「星福」の限定20食はお勧めです。高菜チャーハンに薬膳スープとショーロンポウがついています。ショーロンポウは肉汁が溢れんばかりです。

八識

アーラヤ識とマナ識を前出したので「八識」について簡単に説明いたします。

八識とは眼識、耳識、鼻識、舌識、身識の身体で感じられる5識(5感)と意識、末那識阿頼耶識とからなります。意識は想起可能な意識領域の理解と解釈、末那識は意識不可能な深層心理下における自我の範囲に限定されたものであり、阿頼耶識はさらにその奥にある一切諸法の種子(シュウジ)であるとされています。

この阿頼耶識は「貯蔵する蔵の識」という意味が本来で、あの「ヒマラヤ」は「雪を貯蔵する蔵」という意味です。

唯心論との違いは、この阿頼朝那識が時空概念も超越した壮大な存在であるのに対して、唯心論は心の領域にとどまります。

本当の結婚記念日 


結婚25年の祝賀行事はは日曜日に前倒しでお寿司屋さんで執り行いましたが、本日がまっとうな結婚記念日です。


25年前芝にある「クレッセントハウス」で結婚した日であります。支配人は変わっていません。今度家族で訪れたいです。


結婚とは多少の勇気とヤケッパチが必要(妻のほうが そのコトバアタシだよと遠くから聞こえてきそうですが)です。


そもそもこの人がどんな性格でどんな環境で育ち、どんな風に将来なるのかなんてわかりっこありません。おしなべて今の人はそれを鋳型に嵌めようとする傾向が強いようです。


持論ですが、人間は意識下において種を存続させようとする能力を持っています。自分の欠けているところを補い、自らの仮構を正当化してくれるような潜在的能力を持った人を探しているのです。


ということで今仮構が成立しているのです。


お昼に高島屋でデートです。(仮構の我が身の目的は黒のスェードの靴を購入するためですけど)

一水四見

大井玄氏の著作にも登場しますが仏教用語のこの「一水四見」とは水は人間にとって飲むもの、魚には棲家、天人には宝石の床、地獄の餓鬼にとっては燃える血膿という意味です。

つまり自らが認識する水こそが真実なのだと信じるわけです。

一方、南太平洋のある地域には「怒り」の感情が存在しないともいいます。感情表現はそれぞれの文化において受容され継承されてきたスクリプトを演じるのであって文化を超えた普遍性は存在しないとも書かれています。エクスキュルの言葉「ただ主観的事実のみ存在し、そして環境世界のみが主観的事実である」と。

我々は情報伝達としての言葉を多用しすぎているのではと思いました。そこには自らが作り上げた仮構を正当化するべく無意識の作用が存在します。ゲラダヒヒのように情動による言葉ではないのです。

もう直らない病気を宣告されたとき「ポッカリ心に穴があいた」気持ちは、自分以外の近しい配偶者や子供のときとはまた違う感覚です。それこそ仮構の自己に対する基礎がポッカリなくなったのです。

仏教の「唯識」にあるアーラヤ識マナ識もこれに従います。

深いイイ話です。

ドッグラン 帯に短し襷に長し


台風で運動不足のさくらは家の中で元気一杯です。ということでドッグランにきました。


貸切状態だったのでさくらとセプは十分に運動しました。


それにしてもここのスタッフのピットブル「ラスタ」は小さい頃遊んだことを忘れないで、私たちが通るだけで分かるようです。顔を見ようものなら、子犬のように膝にのって顔中ぺろぺろです。いやはや可愛いです。


家に帰ってから、我が家ではちょくちょく「ウィンドシァ」が起こるので、ゴミ箱に救命ロープを取り付けるべく、コンクリートにアンカーをうったら1ミリ合いません。まさに「帯に短し襷に長し」です。丁度良いアンカーとオスとドリルの歯が必要です。エッサンにいきましょう。