このブログを検索

2011年7月7日木曜日

催涙雨 七夕

今日のような雨を催涙弾雨じゃなかった催涙雨といいます。織姫と彦星の流す涙という意味から。

中学のときにこの織姫星が琴座のベガで、彦星がわし座のアルタイルであることは教わりましたね、夏の大三角形知っていますね。残るははくちょう座のデネブです。では冬の大三角は?

オリオン座のペデルギウス、おお犬座のシリウス、小犬座のプロキオンです。これ受験に必携ですから。もちろん中学受験ですよ(笑)

桑田さんのMUSIC MANにもベガありますね。

ところで私の生まれた北関東の街では今の町名に変わる前は、織姫町といっていました。織物の盛んな街らしく良い名前でした。今では錦町です。まあこれでも織物に由来しますから悪くはないですけど前の方が良かったですね。

そんな町では七夕を商店街に飾り、各町々で八木節の舞台を作り大勢が繰り出していました。

中学の時に浴衣を着て、私も友人と繰り出したことを覚えています。淡い青春の思い出です(笑)

震災地支援の難しさ とあるイベントと牡蠣

義援金や支援金の実効性の難しさについては多くのところで語られていますので、その段に譲りますが、これからも継続して支援していかなければならないのも事実です。

そんな中で、とある団体による牡蠣の1口オーナー制度があり、震災地の牡蠣をよく食していた私としては応援の意味でこの制度に参加しようとしたのですが、どうもその代表をしている某人物のネットショップで厚岸産の牡蠣を購入したのですが、ひどいものだったことを思い出しました。牡蠣はダレていて、身も小さく、とても食せる代物ではなかったのです。

それ以来、このネット店は利用していません。もっぱら、それ以降は松島の「牡蠣こうは」さんです。ここは良質の牡蠣を間違いなく送ってくれます。現地でも食べました。

今はどうなっていのでしょう。

HPを覗いて見ると2店舗とも津波の被害に合ったものの、この7月中旬には再開できるかもしれないというのです(よかった!!)

それならば再開したならば大いにこの「こうは」さんの牡蠣を食すことが見える相手への支援ともなり何よりかなとも思うのです。

牡蠣こうはさんのHPです。

http://www.kakikouha.com/

村上春樹 サウダージ


写真の本はみすず書房から発刊されている、クロード・レビィ・ストロースの本です。

この本は彼がサンパウロという街に抱いていた憧憬や思いでのようなもの少しばかりの写真と共に散りばめられています。

ところで、私の好きな作家というのはどうもこの「サウダージ的」なものを持っている人が多いような気がします。正式なサウダージではありません。サウダージ的なものです。

ハバナにあるヘミングウェイの家には行ったことがありませんが、写真集のそれで見る限り、インテリアや装飾は現地のものとは違います。さらにカストロと並んで映っている写真がありますが、何となくい居心地の悪いようなひきつった顔をしています。

一方、村上春樹氏の小説はとても日本にいる日本人の作品には思えません。日本的ではあるもののどこか遠い所から日本を見ているようなスコープをとおした映像のようです。

私は海外で生活したことがないのですが、海外の生活かせ長くなればなるほど、内なる日本的なものの性が内省されときがあるのかなと考えてしまいます。

こうした作家はやはりグローバルな感覚を備えています。そうです。司馬遼太郎とは正反対にある感覚です。

でも個人的にはそのどちらも好きなんです・・・・・・

モンスターペアレント 

私は息子の大学の入学までと決めていたので(それでも安藤忠雄氏に揶揄された)今は学園祭にも他の彼のイヴェントにも一緒に立ち会うことはないけれど(喧嘩している訳ではないのでプライベートの会食などは別)、結構まだ顔を出している親が多いのも事実。これで就職の面接までついていくようだったらまさしくヘリコプターペアレントですね。

一方、学校給食を拒否しお弁当を持参させる親が多いと聞きます。何でも放射能が心配だとか・・・

笑っちゃいます。テレビで真顔になって某区長に嘆願書を出している親の顔を見て、情けなくなりました。こうした親は子供に弁当を持参させるのだとか・・・・・分かってはいますまい。

私達が子供の頃、雨に放射能が混ざっているから帽子を被りなさいと言われました。けど、被らなかったけどね。あの頃は冷戦真っただ中、米ソが地上で核実験を繰り返していて、おそらく大気中の放射能が今よりずっと多かったのだろうと思います。だけど、親は鷹揚でした。

親がヒステリックになればなるほど、子供の心理に影響します。自分の価値観と違うものは全て排除するそんな危険な思想こそモンスターペアレントを作るのです。

しかし、返す返す、戦後の日本はこうした傾向の人間を多く作ってきた歴史でもあると思うのです。

残念ながらこうした人は他者との関係性の中で自己を結実させる方法を持たないのです。

雨宮育作氏  多磨霊園

雨宮育作氏は故人なのですが、私の大好きな牡蠣の研究で、牡蠣が雌雄同体であることを発見したり、日本の水産学に多大な功績を残し、河口湖や山中湖のワカサギは氏の放流によるものだそうです。

実はこの氏のお墓が我が家の後ろなのです。

震災以来、お墓に行ってなかったので気になっていました。震災の地震で倒壊したのではないかとも心配でした。しかしながら、我が家から行くのはチト難儀であります。そこで事務所のある中目黒から向かうことにしました。

富が谷から環状線で新宿方面に向かい、そのまま中央道に接続です。そして調布で降りて30分掛りませんでした。

雑草を刈り、石碑を洗いました。石碑も無事でした。後ろの雨宮さんのお墓の大きな雑草も取りました。これですっきりです。

今週土曜日、T先輩の3回忌です。ここのみたま堂の抽選に当たり、永代供養が叶ったようです。

それにしても死んでからも先輩とはご近所のようです。宜しくお願いいたします!!

夙志 しゅくし

夙志という言葉をご存じだろうか。夙志とは早くから抱いている志しのことです。

実はこの傾向が強すぎると人生をつまんないものにしてしまうのです。

私の友人に自分は広告の仕事が向いていると思いずっと広告の仕事しか受け入れない人がいました。また、ある人間は自分でこうだと決めたらただまっしぐら、現実の生活などおかまいなしな人もいました。

結果は??言わずもがな・・・・

そうです。あまりに決めすぎているのです。万物流転、全ては変化するのです。そのときこの傾向が強い人は変化に対応できない。

経営術もそうです。一番大切なのはキャッチ&リリースなのです。

どんなことでもまず受け入れるのです。寛容な心で。そして必要なもの以外リリースするのです。

しかし実際の経営者を見ているとこのリリースが出来ない人が多い。物欲や所有欲が勝っていても失敗に終わります。

一度手にしたものは無くなるものだと諦念するべきです。子供も妻も離れ最後は一人になります。

そう考えると物に囚われなくなります。特にお金に囚われることが一番まずいお金はそれ自体何の価値もないのですから。

パスカルが人間は考える葦だと言っていましたが、私は人間は河原の勁草のようであるべきと思っています。どんなに着飾っても、肉体を美しく保っても、柔軟な思考力を失えば、サバンナの動物と同じです。そうでないのは思考する動物だからです。

今日は雨、久しぶりに哲学書でも読んでみますか・・・・