友人に勧められてブログを始めたのが3年前、FACEBOOKに参加したのが1年前になる。
私はこの3月にロサンゼルスのシルバーレイクにある「FORAGE」というレストランを訪ねた。
それはある事を確認するためだった。このレストランは日本でも雑誌で取り上げられているのでご存じの方も多かろう。
アメリカの西海岸にはアリス・クーパーの「シェ・パニーズ」を筆頭にオーガニックを特色としているレストランが多くある。
オーガニックな野菜を使ったたけなら日本にもある。しかし、ここでは欲しいものを生産者から直接買い、無いものは裏庭で作る徹底ぶりである。
料理は虚飾を介さないシンプルで素材の味を直接感じられるプレートランチである。
そしてリーズナブル。
訪れた当日も多くの人が季節外れの寒風の中、外でも食事をしていた。
すでにお気づきの通り、この店は透明である。そう食の透明性、フェアネス、そしてコミュニティ・・
今の時代にあって企画が独り歩きした、けばけばしく内装のみが豪華絢爛で何を食べているか分からない店と対極にある。
もうひとつがこのOKという小さな雑貨店である。店主ラリー氏の目利きによって集められた雑貨が所狭しと並べられている。そう誰もがこのラリー氏とその物の物語りを聞きに集まってる店だ。
顧客にはポールスミス氏もいると言う。
私自信、ファションに興味が無くなった。T・P・Oだって分かっているし、それなりの服装は持っているが、いつもの服装はチノパンツに黒のタートルネックだ。
ステーブジョブズ氏を真似した訳ではないが、機能的で十分なのだ。
それは人からどう見られているという意識よりも、自分がどうでありたいかという思考の変化も関係している。
何故、そうなったのだろうと暫し逡巡してみると色々な事が頭に浮かぶ。
SNSを始めるずっと前に読んだフリードマンの「フラット化する社会」あの頃は単にグローバリゼーションがもたらすマネーについて意識していた。
最近読んだアーダーソンの「MAKER」は物作りにおけるシステムが変わっていく事を実感した。
大規模な設備や長い試験期間がなくても、自宅にいて新製品が開発できる。物作り大国などと言っている国民はダイナソウな生き物かもしれない。
そして、鈴木 鍵著「なめらかな社会とその敵」は数学を使って、国家、宗教、街、学校、そしてシステムそのものが変化している事を説明していた。
そして菅付雅信氏の「中身化する社会」ではまさに食の透明性についても触れていた。
多くの先進国の国民はマスコミを信用していない。自分たちのアンテナとネットワークを使って真贋を見極める。
テレビのニュースはネットの情報の再確認くらいの意味しか持たない。
同期の三浦 展氏の「第四の消費」はそうした新しいコミュニティの台頭と新しい消費の時代を捉えていた。
我々は価値の変化の時代に来ているのかもしれない。会社、家族、友人、そして社会全体のシステムがそろそろ変化を求めているのかもしれない。
あなたは人と初めて会う時にその人の事をクグリますか?もしそうならば既に変化の潮流に一歩足を踏み入れているのかもしれない。
えっ、そんな事はしない。それはそれで良いですよ。ただ、時代があなたの上を静かに通り過ぎていくだけてすから。
ある人がいっていたFACEBOOKは嘘が嫌いだと。確かにそう思う。同時に虚飾も求めないのだと・・