北方領土、竹島、尖閣諸島と我が国は何故多くの領土問題を抱えているのか、考えてみれば全て我々が日本人として生まれてきた事により避けられない事前問題だった。
これらの問題は私達が生まれるずっと以前、たどりたどれば明治政府による日清戦争、日露戦争にまで及ぶ。
我々が今こうして太平洋戦争に敗戦し、多くの犠牲者を出したのも、元をたどればこの精神性に辿り着く。
外圧により開国を余儀なくされた明治当時の日本は、先進国の仲間入りを果たすために必死だった。
また当時は帝国主義の中、多少荒っぽいやりかたでも欧米列強は自らに火の掛らない極東の島国のことなどどうでもよかった。
いや、ロシアが弱体化してくれる方が好都合だった。ただ、それだけのことだった。
しかし時代が変わってもずっと相も変わらぬ精神性をこの国のトップが持ち続けていた。太平洋戦争の末期のこの国は情報を分析する力も、そんな慧眼を持った政治家もいなかった。
だからソ連の参戦が分かっていても講和に進まなかった。その結果、シベリア抑留者、原爆被害者、局地戦の死者を含め莫大な数の日本人が犠牲になって行った。
これらの一般の日本人にはロシアの参戦のことも、ポツダム会議のことも知らせられなかった。
なのに彼らに非があろうか。靖国参拝を他国が干渉する事に憤懣を覚える。一般の日本人も同様に戦争の被害者であり、犠牲者なのだ。私の祖父もシベリアで病死したので祀られている。
こんな災禍を経験したのに、戦後の日本人は平和ぼけをしている。いや、石原氏の言葉を借りれば平和の毒にやられている。
従軍慰安婦の問題、竹島の問題、尖閣諸島の問題すべて外交のせいにするのはお門違いである。慰安婦問題だって日本人が言いだしたのだから、我々自身が火をつけたのだ。それもきちんとした証明もせず、マスコミの劇場化を利用し声高に叫ばれたこの事がいまどんな問題になっているのか代議士としてのうのうとしている当時の犯人は知っているだろう。
我々は日本人として生まれてきた。もちろん極端なナショナリズムで自己武装をすることも嫌悪されるが、あまりに無頓着にマスコミや他の国の意見を耳にすると、自分の意見を持たないこの国の多くの人に憐れみを感じる。
日曜日にテレビをつければ政治は相手のあらさがし、バラエティ番組は無教養ぶりを面白おかしく映す・・・・
「法に照らして厳正に対処する」・・・・官僚のようなこの言葉では国民には何も伝わらない。
亡国の感強まれり・・・・