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2012年11月16日金曜日

1981年のゴーストライダー Ⅸ



優子は助手席に乗り込むと同時にバニティミラーを見ながら黒いシンプルな髪留めをバッグから取り出し、それで髪を束ねながら洋一に向かってこのまま西に車を走らせてと短く言葉をきった。洋一は軽く頷き車を発進させた。

幼いころ優子が姉のように慕っていた8つ年上の先輩がテレビ局で制作の現場にいた。優子は半年前からその先輩に頼まれて製作現場の雑用のアルバイトをしていた。今日はその徹夜明けのバイトの日だった。さすがに優子の顔には疲労の跡がうかがえる。まだ、若いつもりだったが24時間以上起きていることがこの頃は苦痛に感じ始めた。少し前まで徹夜で試験勉強することも、もちろん遊ぶことも全然平気だったのにいまでは体の全ての細胞が睡眠を欲しがるようになった。優子は目を閉じた。

洋一のフローリンアンは目黒通りから環状八号線を右折し、第三京浜を西に向かった。洋一は西に向けて車を走らせることが何故か好きだった。入学したばかりの頃、オレゴントレイルという本が教材に使われていた授業を受けた。ゴールドラッシュのそれと同じように人々が東から西にフロンティアという夢を求めて旅をする話だった。洋一は西に向かうといつもこの本を思い出す。

洋一は優子を起こさないように注意して、オーディオのつまみを出来る限り絞ってからエアーサプライの「ロストインラブ」が入ったテープをセットした。優子はこの手の音楽はあまり得意でない。優子が聞くのはもっとリズムがアップテンポな曲が多い。それに比べて洋一は元々ジャズが好きだったこともあって巷でAORといわれているその手の軽い音楽も嗜んだ。

優子が目を覚ました。優子は眠そうな目をして両手の掌を車の天井に向けて大きく開いた。洋一はテープをとめラジオに切り替えた。

洋一は優子と行った昨年のスキーの事を思い出していた。志賀に行く途中、このフローリアンがガス欠になって立ち往生した。来た道にはガソリンスタントはなかった。北に進むか南に進むか迷った挙句、優子が決断して北に歩いた。歩いて15分でガソリンスタンドを見つけてきたのだ。後で分かったのだが南に行っていれば1時間以上歩いてもガソリンスタンドは見つからなかったのである。優子は時々洋一が持っていないような勘が働くことがある。女の直感といってしまえば身も蓋もないが、優子のそれは動物的でもあった。優子は時々、猫の様な目をすることがある。猫ではない、猫科の動物にオセロットという山猫がいるがそれに似ている。その目は笑うと現れる。切れ長の優子の目は笑うと少したれ目になるのだ。

志賀といっても二人が行った先はさらにその奥にある奥志賀という場所だった。チェーンを付けていても道路は氷の上に雪で化粧をしたように真っ白でハンドルを強く握ればすぐ横滑りが始まる。それはまるで氷の上を革靴で歩くようで滑稽でもあった。のろのろと走るフローリアンの横を長いピンスパイクを付けた車が何台も追い越して行った。

二人が宿泊したホテルのロビーには中央に大きなマントルピースがあった。激しくをあげているそれは静寂な白い世界と対象的に際立っていた。時折、薪のはぜる音がロビーに響いていた。

洋一は義務教育を受ける前からスキーを履いていた。冬になると母親が洋一をスキーに連れていった。その頃、洋の父親と母親は折り合いが悪く、それにもまして父親は雪が苦手のようで、洋一には父と雪のあるところに行った記憶がない。連れて行くと言っても洋一の家には車はなく、また日帰りで重いスキーを担いで電車を乗り継いで行くわけだから、場所も限られる。もちろん特急列車などには乗らない。全て普通列車だ。おかげで洋一は小学校に上がる頃には住んでいる街からこれらのスキー場があるところまでの停車駅を諳んじて言えるようになっていた。

優子はスキーを2回しかやったことがないといっていた。横浜生まれ、横浜育ちで寒いところが苦手と言っていたから、洋一はよく自分の誘いに乗ったものだと感心していたが、優子はスキーをすることが目的ではなく、あるものが見たいと言って付いてきたのだ。

翌朝、二人はリフトを乗り継ぎ山頂を目指していた。頬に当たる風は冷たさを通り越して刺さるように痛い。二人とも顔を出来るだけ外気に触れないようにハイネックのアンダーシャツをたぐりあげた。リフトを降りて、尾根沿いにある雪庇のように一段高くなった場所に上った。優子が見たいと言っていた景色が朝の太陽を浴びて二人の前に現れた。

気温が低くかつ太陽が出ている早朝にしか現れないダイヤモンドダストだ。空気中の水蒸気が一瞬にして凍ってまるでダイヤモンドのように中に舞って輝いて見える。気温の低い北海道では平地でもよく見られる現象らしいが、東京近郊では高い山にそして晴れた寒い晴天の時に登らなければ見られない現象だ。
水晶のような形をしたそれが洋一と優子の御揃いのブルーのメスナーのダウンにとまった。