先日、テレビを観ていて時代の寵児から塀の中の人と若くしてジェットコースターのような人生を経験した人が良いことを言っていました。
「過去にとらわれず、未来を悲観もせず、今を精一杯に楽しく生きよう」という言葉です。
私のようにとうに乂年を過ぎた人間は共すると自分の成功体験や経験から物事を判断しようとします。変わり続けている社会でそんな事何の意味も持たないのにです。
そしてそうしたことがバイアスとして未来を悲観したり、必要以上に矮小に評価したりするのです。
そんなことどうだって良いというのがこの言葉の核心です。今を精一杯生きていない人には幸福は決して訪れないのです。
よく言うじゃないですが、「捨てる神あれば拾う神もいる」と・・・物事は全て相対的、絶対的ではないのです。
ただ、その人は番組の中で自分は人に説明をする時自分のことを話さなかったのが、失敗の一員だと言っていましたが、確かに相手の共感をよぶために自分の過去や失敗談を披露することは、戦術の一つですが、その事が戦術だと見透かされた時に相手は更に殻を固く閉ざすことを彼は分かっていませんでした。まだ、頭で考えて行動している証拠です。
柳のように風に揺れながら、それでも折れず、靭やかさで生き抜く、そんな風になりたいものです。
勁草それが私の目指すところです。
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2014年7月3日木曜日
沈んだ費用
今日は少し経営者らしい話をさせて下さい。
大学時代一番学ばなかった私が説明するのも何なんですが、個人商店を経営する上で大変重要な事なのでご容赦下さい。
サンクコストと言う言葉をご存知でしょうか。sunk
costつまり埋没された費用のことです。既に支払ってしまった費用のことをいうのですが、いささかこれには説明を要します。
例えば建物などの固定資産と呼ばれるものは将来に渡り、その効果が継続され対価として家賃などの収益を生み出します。そうしたものは税務の中には費用と収益一致の原則が決められ一度に費用化することが出来ません。オフィスの家具も同様で一定金額以上のものは複数年で費用化されていくわけです。
ここで問題となるのはその家具は直接的に売上に貢献するものなのか否かという事です。どんなに高い応接セットを購入し、来客が喜んだとしても、それが売上に直接影響することはないでしょう。そうしたものを償却資産として税務上計上するあまり、それらに要した費用が既に支払ってしまった費用=サンク・コストだという認識を忘れがちなのです。
ある人が会社の車はリースにすると胸を張っていっていました。よほど儲かっている会社なのでしょう。しかしながら、サンク・コストの考え方に立てばこれは得策ではありません。車が直接的売上に結びつかないものである以上、その効果を将来に求めるべきではないからです。
実はこの考え方は売上にも共通します。私は埋没した売上=サンク・アーニングと呼んでいます。例えば支払が遅れたテナントが保証金も食いつぶしさらに約定を果たさないのに、家賃を回収したいと居続けさせるような場合です。結果、事態は悪化し、収益をさらに圧迫することになるのです。
人間誰しも元を取りたいと考えます。そこがこの問題の一番厄介なところです。
私はひとつ自分で決めていることがあります。それは現金で支払えるもの以外は買わないということです。車でも不動産でも現金で買えるものにしています。現金が足らないなら買わなければいいのです。確かに欲しいなあと思うこともありますがそれによってこの小さな会社も何とか30年持ちこたえることが出来たのだと思うと範を変える気にはなりません。
皆さんもサンク・コスト今日から意識してみませんか。
2013年12月17日火曜日
時間のたたみ代 経営者の時間
若い人は年輩者に比して時間の経過するのが遅い。これは誰かも同じようなことを言っていたが年齢が分母に来るらしい。つまり私の場合は生まれたての赤ちゃんの54倍で時間が過ぎて行くことになる。その数値が正確かは別として多くの人がそう感じているのではあるまいか。
若い頃はプライベートと仕事を区別して考えていた。ところがいざ自分で経営してみるとそんな事は言っていられない。その事を誰かに愚痴めいて話した時に言われた。それは君の仕事の仕方が下手なのか、時間の使い方が悪いのか分からないが、要するに自分の脳力の無さを他人に説いているようなものだと。それ以来、プライベートと仕事を分けることはしなくなった。その代わり仕事もブライベートも全力投入で楽しむ。嫌なものは最初から手を出さない。そして忙即閑、閑即忙である。この頃はそこに少しばかりのたたみ代を入れている。何かが起きた時でも対応できる糊代にあたる時間である。若い人はそれを知らずに時間を使っているわけだから、必ずどこかで皺寄せが来る。そんなとき年配のこのたたみ代が機能する。
ところが年配になっても中にはこのたたみ代を全く持たずに生きている人も少なくない。英会話、お茶、お花、ゴルフ、乗馬と習い事や愛好スポーツは全て取り入れ、またその余のイベントを次から次に仕込む。もちろんそれは個人の勝手であるから私は干渉しない。しかし、どんなに小さくても組織や集団に帰属しているならば自重しなければならない。それが人生の先達としての役目であるから。物事がうまく機能するのはこのたたみ代が必要になるからだ。
失敗を繰り返す人の多くはこのたたみ代を持たない。持てない性格なのか理解不能なのかは分からないが、動き続けるネズミのようにただ動いているだけである。これでは会社の艫綱を任せるわけにはいかないのだ。
2013年10月29日火曜日
大局と小局
大きなスタジオを運営している人が売上が減少しているのは若者の雑誌離れが顕著でその煽りを受けているのだと言った。その時はなるほどそうなのかと思った。
その後知り合いのプロカメラマンのスタジオは震災で多少の落ち込みはあったがその後は順調に推移していると聞く。この違いが何故なのか分からなかった。そしてつい一昨日、仕事を一緒にしている設計士さんが大手の雑誌社のスタジオの回収を手がけているという話を聞いた。全体はコーディネイトするがスタジオの中味はその雑誌社の人たちが手作りで行うという。
このスタジオをつくるには理由があったそうだ。まず、既存のスタジオの中に自分達が使いたいスタジオがないということ。そしてとても高額な使用料に辟易していること。だから自分達で作ったという。
私は仕事をしていて同じようなことに遭遇する。それは物事をすぐ大局で済ませてしまう評論家のような人が多いことだ。こうした人達は自分の足元のことに気づかない。スタジオは箱だと思っている人がいたらそれは大間違いである。スタジオがただの箱の時代はもう終わったのだ。単純な写真ならばPCで好きな様に加工できる。どうしてもそこでないと撮れない写真は海外に出かけて撮ってくる。その間を埋めるときだけ必要なのだ。そしてカメラマンが劣悪な環境で作業する時代も終わったのだ。考えてみればスタジオに集うすべての人が酷い環境だと思っているのならばそのスタジオには明日はない。
つい最近テレビで大阪の有名ホテルがメニューの偽装をしたと報じられた。残念ながらあそこで出されていたジュースが搾りたてだとは私は思わなかったからいいのだが、本物を飲んでいたらすぐ分かるはずだ。この問題の芽は彼ら自身の経験のなさにつきる。前述のスタジオもそうだが運営している本人達にプロとしての自覚も興味も感じられない。だからこんなものでいいだろうと思ってしまう。
親戚筋に当たる人が長らくアパレルメーカーを経営している。昨今の経営環境を考えると驚きである。もっともその人は小売からの叩き上げの人でたとえ息子であっても好きでなければ続けられないと会社には二人の息子は入れていない。そして今も黙々とデザインを研究している。
これは人ごとではない。私のところも貸しホールを運営している。オーナーの懐具合や経営環境をつい考えてしまうと利用者側に立った助言が遠慮がちになってしまう。それではいけないのだ。絶えず利用者の目線に立たなければ明日はないのだ。自戒も込めて。
2013年6月11日火曜日
分袖と共感
分袖と共感
妻の父が逝去した。79歳だった。私をこの道に引き入れた人であり、色々な意味で教師でもあり、反面教師でもあった。
私がサラリーマンをしていた時に「君は社長になれるのかな、なれないなら会社でもやってみたら」と私に誘い水を仕向けた。意気地の無い私はさっさと会社を辞めこの道に入った。
ところが言うとやるのとは大違い、サラリーマンをしていた時の気楽さは何処かへ行ってしまった。絶えず不安と心労で眠れない日々が続いた。
私が分袖と書いたが、義父もきっと同じだったのだろう。親分肌の実父と同じ道を歩みながら何か違うと感じて自分の道を歩んできたのだと思う。私も同様だった。
私が会社を大きな会社にするよりも従業員を大切にする偉大な商店で良いと思ったのもその反動だった。
義父は人の扱い方とお金の使い方が本当に下手くそだった。つい、かっこをつけてしまう。本心ではそんな事を思っていないのに口にした罵詈雑言が人を遠ざけてしまう。
誰かが言っていたお金を儲けるようになるのは1代で出来る。しかし、お金を上手く使えるようにはそう簡単にはならない。確かにその格言はあたっている。
晩年は孤独だったに違いない。そんな義父を見ているから私は他人と容易に仲良くなれない。そう私は孤独になるのが怖いのだ。
人は生まれてくるとき満面の笑顔で迎えられ、死んでいく時悲しみの涙で送られるのが幸せだと誰かが言っていたが、義父もその点では幸せだったに違いない。
私など死する時には娘は離れていて、息子も日本にいるか分からない。その幸せを担保できる保証さえない。それも人生、これも人生である。受け入れるしかない人生はリセット出来ないのだから。合掌。
2013年4月1日月曜日
顕教と密教
断って置きますが私は原発反対派でも肯定派でもありません。それぞれ条件付きということですから誤解のないように。
先日も某大手新聞社の方が、私のところにいらして今のマスコミの凋落ぶりに嘆いておりました。以前申し上げた様にマスコミは確実に「劇場化」が進んでいるようです。何か話題になるような事が起こると検証もせず、その情報ソースに向かう。そしてそのまま掲載するといった体たらく。経済部や政治部は以前からそうした川上での情報取得は見られましたが、今では社会部までも同じような取材方法を行うと困惑していました。福島の原発問題に関しては、どのマスコミもその構造的問題を言及していません。ただ、反対だとか危険だとか、はたまた安心だとの二元論に終始します。そして大衆は其の事で逃げ惑う小魚の如くあっちへ行ったりこっちへ行ったりです。
数年前、ある事がきっかけで、丸山眞男を読み返しました。私達が大学に入った頃には彼ははっきりいってあまり話題に取り上げられるようなことはなかったです。もう旬が過ぎたといった感じでした。もっともその彼を紛糾していた吉本隆明などは旺盛な筆致でせっせと本を出していたので、こちらの方を目にする機会が多かったのです。ところがいざ読み返してみると、彼の言葉の裏側には今の日本人がこうなってしまった、いやこうなると予測していたのです。「古層」という有名な彼の言葉がありますが、彼は日本人の内在性についても看破していたのです。
中東の問題を語る時に、キリスト教徒はユダヤ人がいるから問題がこじれるとユダヤ陰謀論を唱えます。だから今でも9.11は彼らが起こしたのだと噂している。何故でしょう。きっと彼らにはユダヤ人が起こしたのでないと論理的に説明しても納得しない。何故ならも彼らは苛立っているからです。9.11の問題とはいわば南北間格差の象徴です。その原因を作ったのは彼ら自身でもあるのです。しかしながらそれを自分たちだと認めるのは都合が悪い、だから少しだけ外側にいるユダヤ人の性にする。これこそがまさにイデオロギー的幻想に他ならないのです。
原発も同じでしょう。高効率で安全なエネルギー、先進国だから出来る高い技術力そう言われてその恩恵を受けて来た。それが、一度事故が起こると全て原発機関や国の性にする。そもそも、だったら何故、その前に原発反対しないのか、省エネを心掛け原発エネルギーは使わないと表明しないのか、まさに内在性を無視しているのです。
そんな無知の国民を擁護する訳ではありませんが、もちろんそこには情報の質と言う点で大きな問題があります。
一般の国民は前述したように安全だクリーンだと言われてきました。これがいわば顕教です。国民は理論的な説明より、この安全だよという呪文が好きなのです。
一方も一部のエリートは原発が危ない、問題があると知っていたのです。しかし、これは絶対に口外しない。いわば密教のようなものです。
この情報の構造的違いを理解することが今日日本の諸問題を考える上で重要になると思いますが、これが大変難しいのです。
全ての情報を国民に知らせれば良いと言う方がいますが、私はそれも危険だなと思います。
例えば公務員の削減、多くの国民はこれを支持します。特に非正規雇用のフリーターは自分の境遇との違いに声を荒げてこの事を主張する人がいますが、小さな政府にするということはそれ以上に福祉の幅を狭めると言う事になるのです。福祉にはある程度の大きな国家が必要になるからです。公務員を削減すれば、正社員は削減され非正規雇用が増える当たり前のパターンです。つまり公務員を削減しろというのは自らの首を絞めているようなものなのです。
原発問題もしかりです。原発を廃止するそれはお題目としては良いでしょう。しかしながら原発を誘致した多くの自治体はもし原発を誘致しなかったら当の昔に破たんしていた、そんなところがほとんどです。莫大な補償金と雇用創出によって何とか首を繋いできたというのが現実です。
丸山眞男はこうした一人ひとりの意見は正しくても、全体としては不合理な結果となる事を「合成の誤謬」と言いました。今の日本はこうした各論賛成、総論反対がまたはその逆が多いのです。私の親戚も石巻にいました。義父の出身は宮古です。今回の震災で大きな被害を受けました。最初は多かったボランティアも少なくなり、忘れ去られるのではと不安視する声も聞かれます。彼らはただ待っていると言う事に我慢できなくなり、自らで前に進むと決意した人もいます。この点では震災は天災であり国がもっと早く将来のグランドデザインを示さなければならないのにぐずぐずしている。
一方、原発はこの問題とは彰かに違う。原発の導入の歴史を考えても、敗戦後の日本の国家的問題として進めて来たのは彰かでいわば国家戦略。これを変えると言うならその先の新しい日本のエネルギー戦略を指示してからアクションを起こさなければならないのに、どこかの首相は原発廃止と唯我独尊でマイクを手にした愚行。
私の同期の三浦展氏は東北の将来について、今までと同じものを、特に箱モノ的街づくりはナンセンスだと言っています。その通りだと思う。
日本は東京から名古屋、関西つまり首都圏の一部を除けば、過疎化が進んでいます。人口減少社会というのは確実なものとなっているのです。さらに先進国である我が国の所得が高い事は明白であり、産業労働力の移転は必ず起こるのです。そしてグローバル化とはそうした富のあるものから無いものへの移転であるとチョムスキーは言っています。
日本はもはや盛りを過ぎ超成熟社会には行ったことを認識するべきです。アベノミクスで一時的に証券や不動産が上がったとしても本当に成長が無ければ世界は日本を見捨てます。日本の債権は海外ではないから大丈夫と言う人がいます。何故大丈夫と言えるのでしょう。世界マネーはそんなに甘くありません。借金は借金です。御破算にする方法はデフォルトのみです。その時こそ今のお金は紙くず同然となります。それを避けるには地道に毎月毎年返していかなければならないのです。
私は近い将来バブルの崩壊と同様に大きな金融アクションが起こると考えています。何故ならグローバル化が進んだ世界マネーはそんなに甘くないからです。自らの判断と責任において円という通貨の価値を根底から見直すべきかもしれません。
この文章を書くにあたって法政大学教授の政治学者杉田敦氏の著作を大いに参考とさせて戴いたことを付記させて戴きます。アルママーテルの服の下に隠れた賢者に相談してみましょう・・・
2012年11月21日水曜日
拘泥と束縛
30年近く会社の代表をやっていると色々な人に出会います。
そんな経験からある経験則を持つようになりました。
それは私の人を見る基準とでもいいましょうか、まあ、ほとんど外れないのであります。
困った人たちの第一は個人商店なのに大企業病の抜けきらない経営者です。
こうした人のほとんどが大学を卒業して実家の家業と関連性のある業種の大企業に就職して、実家に戻り後を継ぐ人達です。
もちろんそうでない人もいますから、全てが全てと言う訳ではありませんが、個人経営の中に大企業のシステムをそのまま使おうとしている人達です。
私は60人以下の会社は全て個人商店だと思っています。何故、60人かって?それは従業員の仔細を詳しく理解するにはその人数程度が限度だからです。それ以上の場合には個人商店とは呼べませんので今回は論外です。
こうした人の共通点は従業員と自分は違うという特別な意識を持っています。そしてそれは経営者と従業員に垣根を作り、結果、会社は円滑に進まなくなります。
もうひとつ困った事にこうした人達は何かの劣等感を持っており、それに拘泥するあまり的確な判断が出来ない病に陥っている事です。
今放映しているキムタク主演のプライスレスというドラマでも、社長(藤木直人)がキムタクに強烈なライバル心=劣等感を持っているためにあり得ないようなミスジャッジをしています。
それと同じように自分に何かが欠けているという意識が知らず知らずのうちにそれを埋めるような判断をしている訳です。
自分が効率的な判断をしていると思っている人がいたら大間違いです。人間万事塞翁が馬、禍福は糾える縄のごとし、思うようになることの方が少ないのです。それに効率的って何を持って言うのでしょう。
出来る限りそうした閉塞的意識による物事の拘泥や束縛を解き放つことこそ、未来に向けた一歩なのですが中々いないんですよね・・・残念ながら・・・
そんな経験からある経験則を持つようになりました。
それは私の人を見る基準とでもいいましょうか、まあ、ほとんど外れないのであります。
困った人たちの第一は個人商店なのに大企業病の抜けきらない経営者です。
こうした人のほとんどが大学を卒業して実家の家業と関連性のある業種の大企業に就職して、実家に戻り後を継ぐ人達です。
もちろんそうでない人もいますから、全てが全てと言う訳ではありませんが、個人経営の中に大企業のシステムをそのまま使おうとしている人達です。
私は60人以下の会社は全て個人商店だと思っています。何故、60人かって?それは従業員の仔細を詳しく理解するにはその人数程度が限度だからです。それ以上の場合には個人商店とは呼べませんので今回は論外です。
こうした人の共通点は従業員と自分は違うという特別な意識を持っています。そしてそれは経営者と従業員に垣根を作り、結果、会社は円滑に進まなくなります。
もうひとつ困った事にこうした人達は何かの劣等感を持っており、それに拘泥するあまり的確な判断が出来ない病に陥っている事です。
今放映しているキムタク主演のプライスレスというドラマでも、社長(藤木直人)がキムタクに強烈なライバル心=劣等感を持っているためにあり得ないようなミスジャッジをしています。
それと同じように自分に何かが欠けているという意識が知らず知らずのうちにそれを埋めるような判断をしている訳です。
自分が効率的な判断をしていると思っている人がいたら大間違いです。人間万事塞翁が馬、禍福は糾える縄のごとし、思うようになることの方が少ないのです。それに効率的って何を持って言うのでしょう。
出来る限りそうした閉塞的意識による物事の拘泥や束縛を解き放つことこそ、未来に向けた一歩なのですが中々いないんですよね・・・残念ながら・・・
2012年11月12日月曜日
ビジネスマインドの持ち方
今日、イトイサさんのブログ私がかねてより思っていた事が書いてありました。膝を打つの例えとはまさにこのことです。そこで私見を交えてもう少し付け足してみます。
皆さんは「最後から2番目の恋」という中井貴一さんと小泉今日子さん主演のドラマを観た事がありますか?
私なんぞは舞台が鎌倉ということもあり録画までして観ていましたが、そのドラマの中で小泉今日子さんが中井さんに向かってこんなセリフをしゃべります「私は地雷一杯持ってますから」「結構多いですよ」・・・・・
何故このセリフが気になったかと言えば普段の会話でこうしたやりとりがあると私は嫌悪するのに、あまり嫌な感じがしなかったからです。何故嫌悪するかは後で説明しますが、きっとこの会話が男女間の恋愛感情の中で成立した会話だからかもしれません。
では何故嫌悪するか、それは私達のビジネスにおいてもこの手の自己防衛を前提にした言葉を口にする輩が実に多いからです。
イトイさんに言わせれば相手に「寛容」求めている訳ですが、本当に多いから困りものです。
いつだったかとある民事訴訟において議論も山場を迎え戦略も構築し終えた時にクライアントが全ての議論を水の泡にさせてしまうような発言をしたのです。出席者の冷たい目線を感じたのかクライアントは「私は何も分からないので失礼しました」とすぐさま訂正しました。
これにはさすが出席していたスタッフは二の句も出なかったその時に、主任弁護をしていたとある先生が「何も知らないという詭弁は必要ありません。あなたの発言はすでに発せられてしまった。つまりあなたはこの場にいる全員があなたにとって最良と思える策を考えている時に私欲にかられてそのような発言をしてしまったと訂正するべきでしょう」
これにはクライアントも下を向いたまま顔を上げることは出来ませんでしたが、結果としてこの訴訟は大勝し、クライアントの希望金額を大幅に上回る金額を手にしたのでした。
こんな厳しい場面でなくても、初対面や数回しかあったことのない人に「私は裏も表もなく」とか「経済には疎いもので」「全くの味音痴なので」「お金には全く興味が無くて」・・・・
オイオイ、じゃ聞くけどお前さんはそう言わなければ人に裏と表のある態度をするのかい?それとも経済に疎いからその性で他の人に大損させても責任は取りませんというんかい、味音痴なのにどこに連れて行けというんだい、それとも俺が連れて行く店はどこも五十歩百歩とでもいうのかい?
これは極端だとしても私にはこういう言葉を発する輩とは仕事をしたくありません。要するに彼には大人の自己責任がないのです。まさにビジネスマインドの欠除であります。
ビジネスで一番大切なのは相手を理解する事です。どれくらい相手を共感できるかがビジネスの成否と言っても過言ではないと思うのです。でも共感するにはそれなりの努力と知識が必要なのは言うまでもありませんが。
皆さんは「最後から2番目の恋」という中井貴一さんと小泉今日子さん主演のドラマを観た事がありますか?
私なんぞは舞台が鎌倉ということもあり録画までして観ていましたが、そのドラマの中で小泉今日子さんが中井さんに向かってこんなセリフをしゃべります「私は地雷一杯持ってますから」「結構多いですよ」・・・・・
何故このセリフが気になったかと言えば普段の会話でこうしたやりとりがあると私は嫌悪するのに、あまり嫌な感じがしなかったからです。何故嫌悪するかは後で説明しますが、きっとこの会話が男女間の恋愛感情の中で成立した会話だからかもしれません。
では何故嫌悪するか、それは私達のビジネスにおいてもこの手の自己防衛を前提にした言葉を口にする輩が実に多いからです。
イトイさんに言わせれば相手に「寛容」求めている訳ですが、本当に多いから困りものです。
いつだったかとある民事訴訟において議論も山場を迎え戦略も構築し終えた時にクライアントが全ての議論を水の泡にさせてしまうような発言をしたのです。出席者の冷たい目線を感じたのかクライアントは「私は何も分からないので失礼しました」とすぐさま訂正しました。
これにはさすが出席していたスタッフは二の句も出なかったその時に、主任弁護をしていたとある先生が「何も知らないという詭弁は必要ありません。あなたの発言はすでに発せられてしまった。つまりあなたはこの場にいる全員があなたにとって最良と思える策を考えている時に私欲にかられてそのような発言をしてしまったと訂正するべきでしょう」
これにはクライアントも下を向いたまま顔を上げることは出来ませんでしたが、結果としてこの訴訟は大勝し、クライアントの希望金額を大幅に上回る金額を手にしたのでした。
こんな厳しい場面でなくても、初対面や数回しかあったことのない人に「私は裏も表もなく」とか「経済には疎いもので」「全くの味音痴なので」「お金には全く興味が無くて」・・・・
オイオイ、じゃ聞くけどお前さんはそう言わなければ人に裏と表のある態度をするのかい?それとも経済に疎いからその性で他の人に大損させても責任は取りませんというんかい、味音痴なのにどこに連れて行けというんだい、それとも俺が連れて行く店はどこも五十歩百歩とでもいうのかい?
これは極端だとしても私にはこういう言葉を発する輩とは仕事をしたくありません。要するに彼には大人の自己責任がないのです。まさにビジネスマインドの欠除であります。
ビジネスで一番大切なのは相手を理解する事です。どれくらい相手を共感できるかがビジネスの成否と言っても過言ではないと思うのです。でも共感するにはそれなりの努力と知識が必要なのは言うまでもありませんが。
2012年9月28日金曜日
団塊の世代とその後
娘の御主人は地方公務員である。30年前の私だったら何故と思ったかもしれない。その頃の日本はこれからもずっと良くなると戦後の成長神話をし信じ続け、大きな仕事こそ男の本懐とばかりに今日の日本の姿など想像だにしなかったから。
友人のFBにとある鼎談の話が載っていた。3人とも開成から東大に進学した男性である。一人は年収3億の外資系トレーダー、六本木に住み贅沢な暮しをしている。もう一人は地方公務員、東大出の少ない中、仕事よりも家庭の安定を望んでいる。そして3人目は30歳で司法試験に合格したが年収はまだ300万円の居弁である。それぞれが自分の人生は間違っていないと話す・・・
これを読んでいて、確かに幸せのかたちが多様化したことがこうした事実を作り上げた要因だと思われるし、変化した世の中に適応していくためにそれはそれで仕方のないことだとも思う反面、戦後の日本の教育は個人主義、自由主義を歌うばかりに共同体としての繋がりを逸してしまっているような気がしてならなかった。
この歳にして想うのは、家族とて永遠の集合体ではない。夫婦とて同じだ。全ての人が自分と同じ価値観をもつなどあり得ない、しかしだからといってそれは関係ないとばかりに個人主義に走るのは折角の人生を無駄にしているようではありまいか。
スタッフによくいうのは、仕事も家庭も楽しめる方が良い、嫌だと思ってやる仕事と楽しいと思ってやる仕事では10年後にものすごい差がつくと・・・これは経験から・・・
私が今付き合っている友人の多くはそうした仕事も家庭も、友達もみんな大切と思いながら人生を謳歌している。
人間誰しも偉くなりたい、お金持ちになりたいと心の底では思っている。思っている事が悪いわけじゃない。ただ、それだけしか思えないのは寂しいのである。それだけでは結局虚しさしか残らない。
大切なのは今を楽しむ事だ。資本主義は労働からの解放が大命題だなどとその3人はほざいていたが、それは頭の大きなボンクラが考えることだ。
例えば私が3000円の対価を支払って車を洗ってもらう。これは労働を対価で買い取った事だ。
ではどうであろう、私が車を洗車するのは私が3000円の労働をしたというのであろうか。
とんでもない、私は3000円など要らない、この労働を私は楽しんでいるのだ。
自分のポケットが少ない人ほどこうした考え方をする。ポケットの多さは世の中の楽しみ方にあると思う。
蟻がいいとか、キリギリスがいいとか、そんな簡単な事ではないのだ。結局人生についてあれこれ考えるなら「キンチョールでも買っとけ」のとおり、最後に目をつぶる時に「俺の人生・・総じて楽しかったな」と思えるかどうかである。
ネイティブインディアンの格言にあるように「人は笑顔に囲まれて生を受け、涙に囲まれて生を終える」それが最高の人生というものなのである。
友人のFBにとある鼎談の話が載っていた。3人とも開成から東大に進学した男性である。一人は年収3億の外資系トレーダー、六本木に住み贅沢な暮しをしている。もう一人は地方公務員、東大出の少ない中、仕事よりも家庭の安定を望んでいる。そして3人目は30歳で司法試験に合格したが年収はまだ300万円の居弁である。それぞれが自分の人生は間違っていないと話す・・・
これを読んでいて、確かに幸せのかたちが多様化したことがこうした事実を作り上げた要因だと思われるし、変化した世の中に適応していくためにそれはそれで仕方のないことだとも思う反面、戦後の日本の教育は個人主義、自由主義を歌うばかりに共同体としての繋がりを逸してしまっているような気がしてならなかった。
この歳にして想うのは、家族とて永遠の集合体ではない。夫婦とて同じだ。全ての人が自分と同じ価値観をもつなどあり得ない、しかしだからといってそれは関係ないとばかりに個人主義に走るのは折角の人生を無駄にしているようではありまいか。
スタッフによくいうのは、仕事も家庭も楽しめる方が良い、嫌だと思ってやる仕事と楽しいと思ってやる仕事では10年後にものすごい差がつくと・・・これは経験から・・・
私が今付き合っている友人の多くはそうした仕事も家庭も、友達もみんな大切と思いながら人生を謳歌している。
人間誰しも偉くなりたい、お金持ちになりたいと心の底では思っている。思っている事が悪いわけじゃない。ただ、それだけしか思えないのは寂しいのである。それだけでは結局虚しさしか残らない。
大切なのは今を楽しむ事だ。資本主義は労働からの解放が大命題だなどとその3人はほざいていたが、それは頭の大きなボンクラが考えることだ。
例えば私が3000円の対価を支払って車を洗ってもらう。これは労働を対価で買い取った事だ。
ではどうであろう、私が車を洗車するのは私が3000円の労働をしたというのであろうか。
とんでもない、私は3000円など要らない、この労働を私は楽しんでいるのだ。
自分のポケットが少ない人ほどこうした考え方をする。ポケットの多さは世の中の楽しみ方にあると思う。
蟻がいいとか、キリギリスがいいとか、そんな簡単な事ではないのだ。結局人生についてあれこれ考えるなら「キンチョールでも買っとけ」のとおり、最後に目をつぶる時に「俺の人生・・総じて楽しかったな」と思えるかどうかである。
ネイティブインディアンの格言にあるように「人は笑顔に囲まれて生を受け、涙に囲まれて生を終える」それが最高の人生というものなのである。
2012年5月22日火曜日
器用貧乏
「私は人に何でもしてあげるのだけど、いい事はないのよ、こういうの器用貧乏というのかしらん」
という人を見かける。それは間違い器用貧乏でも何でもありませんから。
私の仕事は江戸の頃よりサービス業です。そう家守の仕事というはサービス業なのです。
物を作る仕事でも、物を販売する仕事でもありません。
若い頃は、日本人と言うのはサービスの対価として何故お金を払いたがらないのかと前述の女性同様に憤っておりました。
それから数十年がたって今思うのは、自分がその時に行ったサービスというのはどこか打算的で、もちろん対価がその先に見え隠れするような薄っぺらいサービスだったのです。
我々は物を頼む以上、プロには対価を支払うのは当然のことです。しかしながら、今の私には無償の仕事こそが一番大切な仕事だと思っているのです。
先般も弊社のスタッフがある依頼に、その将来性が見込めないという理由で尻ごみをしていました。私はその縁が良い縁であるならば何故引き受けないのかと伝えました。
弊社にとってマイナスはないのですからプラスばかり追いかけても仕方ないことです。それより縁を大切に人から感謝される仕事をするべきなのです。
我々の業界は何かと言えばすぐ手数料を言いたがります。サービス業の対価というのは相手が満足してくれなければ頂戴出来ないのです。相手に満足してもらう仕事をどれだけしたかがその仕事ぶりということになります。
お金は後から付いてくるの例えはこのことです。
閑話休題
ここ数年お願いしていた植木屋さんを今年は辞めて、叔父に切ってもらいました。
実はここ数年の植木屋さんの仕事ぶりはまずく花芽は切るし、生垣の中は空かないので風通しが悪く、出来上がりの見栄えだけを意識したものだったので、いつかは変わるだろうと思っていましたが結局変わりませんでした。
こうみえても私は気の長い方で、相手が変わるのを待つこともあります。しかし、シグナルを送っても一向に変わらない場合には仕方ありません。契約を終了します。何故なら、自分たちと価値が共有できない人をいつまでもこちら側に留めておくことはその人達にとっても、私達にとっても無駄な事だからです。私はこうなると早いものです。
もし自分は要領がよいと思っているならご注意あれ。要領のよさなどこの世の中でこれっぽっちも価値はありませんから。器用なのは指先なら分かりますが、生き方が器用では信用がなりません・・・
という人を見かける。それは間違い器用貧乏でも何でもありませんから。
私の仕事は江戸の頃よりサービス業です。そう家守の仕事というはサービス業なのです。
物を作る仕事でも、物を販売する仕事でもありません。
若い頃は、日本人と言うのはサービスの対価として何故お金を払いたがらないのかと前述の女性同様に憤っておりました。
それから数十年がたって今思うのは、自分がその時に行ったサービスというのはどこか打算的で、もちろん対価がその先に見え隠れするような薄っぺらいサービスだったのです。
我々は物を頼む以上、プロには対価を支払うのは当然のことです。しかしながら、今の私には無償の仕事こそが一番大切な仕事だと思っているのです。
先般も弊社のスタッフがある依頼に、その将来性が見込めないという理由で尻ごみをしていました。私はその縁が良い縁であるならば何故引き受けないのかと伝えました。
弊社にとってマイナスはないのですからプラスばかり追いかけても仕方ないことです。それより縁を大切に人から感謝される仕事をするべきなのです。
我々の業界は何かと言えばすぐ手数料を言いたがります。サービス業の対価というのは相手が満足してくれなければ頂戴出来ないのです。相手に満足してもらう仕事をどれだけしたかがその仕事ぶりということになります。
お金は後から付いてくるの例えはこのことです。
閑話休題
ここ数年お願いしていた植木屋さんを今年は辞めて、叔父に切ってもらいました。
実はここ数年の植木屋さんの仕事ぶりはまずく花芽は切るし、生垣の中は空かないので風通しが悪く、出来上がりの見栄えだけを意識したものだったので、いつかは変わるだろうと思っていましたが結局変わりませんでした。
こうみえても私は気の長い方で、相手が変わるのを待つこともあります。しかし、シグナルを送っても一向に変わらない場合には仕方ありません。契約を終了します。何故なら、自分たちと価値が共有できない人をいつまでもこちら側に留めておくことはその人達にとっても、私達にとっても無駄な事だからです。私はこうなると早いものです。
もし自分は要領がよいと思っているならご注意あれ。要領のよさなどこの世の中でこれっぽっちも価値はありませんから。器用なのは指先なら分かりますが、生き方が器用では信用がなりません・・・
2012年5月18日金曜日
悪い利益 良い利益
お金は全部同じだと思っているのなら、それは違います。
お金には良い利益(お金)と悪い利益(お金)があるのです。
実務はスタッフのT氏にほとんどお任せしていますが、相談事や頼り事があると私の出番です。
もっとも私がそんな頼みごとを受ける人はこちらも相手を尊敬し、無私の心で行える相手に対してです。
弊社がお世話になっている先生は、人格もさることながら、その縁で一番大切なお客様の事業を飛躍的に発展させる礎となった人でもあります。
結果として弊社も助かりました。
そんな人の頼みとあらば断るわけにはいかないでしょう。
大きく街が変わった品川のホテルでこれからの展望について稚拙ながらお話させていただきました。
幸いにもまだお若いお二人のご兄弟は保守的でもなく、初対面の私の話を受け入れてくれて、真面目にノートまで取っていました。
話の中で、悪い利益と良い利益の話になり、結局、悪い利益は自らにとって必ず負の作用に及ぶということも理解されたようです。
個室で昼食をご馳走になった上に帰りのお車代も戴きました。今後何かあったら何なりとご相談下さいとご挨拶してお暇しました。
そんなに回数がある訳ではありませんが、私はお車代は使わないようにとってあります。
もともとお金を目当てにしている仕事ではありません。相手に喜ばれることが何よりなのですから・・・・
そうこうしている内に7ケタになりそうです。塵も積もれば何とやら・・・面白いものです・・・・・
お金には良い利益(お金)と悪い利益(お金)があるのです。
実務はスタッフのT氏にほとんどお任せしていますが、相談事や頼り事があると私の出番です。
もっとも私がそんな頼みごとを受ける人はこちらも相手を尊敬し、無私の心で行える相手に対してです。
弊社がお世話になっている先生は、人格もさることながら、その縁で一番大切なお客様の事業を飛躍的に発展させる礎となった人でもあります。
結果として弊社も助かりました。
そんな人の頼みとあらば断るわけにはいかないでしょう。
大きく街が変わった品川のホテルでこれからの展望について稚拙ながらお話させていただきました。
幸いにもまだお若いお二人のご兄弟は保守的でもなく、初対面の私の話を受け入れてくれて、真面目にノートまで取っていました。
話の中で、悪い利益と良い利益の話になり、結局、悪い利益は自らにとって必ず負の作用に及ぶということも理解されたようです。
個室で昼食をご馳走になった上に帰りのお車代も戴きました。今後何かあったら何なりとご相談下さいとご挨拶してお暇しました。
そんなに回数がある訳ではありませんが、私はお車代は使わないようにとってあります。
もともとお金を目当てにしている仕事ではありません。相手に喜ばれることが何よりなのですから・・・・
そうこうしている内に7ケタになりそうです。塵も積もれば何とやら・・・面白いものです・・・・・
2012年4月3日火曜日
失敗の本質 坂の上の雲論
80年代後半に出版されたこの本は多くの人に読まれた。史実研究というよりそのまま経営術に応用できるような内容が多かったからだと思う。
そして2012年にこんな本が中央公論の別冊で発刊された。もちろん前述の「失敗の本質」を現代風に再考し肉付けしたものである。
NHKの「坂の上の雲」を見た人はどんな感想を思ったのだろう。当時の日本人の上昇志向を心地よいと感じたのであろうか、それとも視聴率が示すように現代の凋落する日本とのミスマッチに関心を失ったのであろうか・・・
以前、司馬遼太郎氏(私も旅行鞄に忍ばせ持っていく愛読書でもある)の本がほとんど海外では翻訳されていないと聞いたことがある。
村上春樹氏はどうであろう。
私はこの二人を対比すると、明治の日本人が持っていた特殊な志向ともいうべき精神性がそのまま日本的奇異なものとして現代にも残滓しているような気がするのだ。
村上氏は優れた感性からビッグブラザーからリトルピープルへの変化を読み取っていた。全世界に共通するテーマだ。
一方、司馬氏の顕す世界はとても「日本的」特殊な世界観である。
考えてみれば旅順攻略から日本海大海戦に至る精神至上主義はそのまま太平洋戦争に受け継がれ敗戦を迎えた。
そしてその記憶も新しいうちに私たちはその記憶さえ忘れ同じ道を歩んでいる。
原発事故の対応に関する非科学主義の蔓延、組織として決められない政治体質、危機管理能力のない組織、どれをとっても何一つ変わっていない。
だから私はこの国の将来を憂うのだ。若い人の能力や感性は素晴らしい。しかし、組織やこの国の体制が成長の芽を腐らせる。
池田信夫氏が良い言葉を使っていた。「君側の奸」である。政治も官僚もこの輩が跋扈し、蔓延しているのだ。それも自身がそうであることを知らずに・・・・
2012年3月8日木曜日
減価償却制度
私のブログは結構資産家も見ているようなので、ひとつ良い事を教えましょう。
ただし規模が大きく投資銀行やその他の投資を募って事業をするような場合とは異なりますので、一般の金融機関から借り入れをするような場合に限定します。
税法で一番まずいのが脱税です。これは絶対にしてはいけません。例え僅かな金額であっても家賃帳の入金を売り上げから外したりするとこれは後になって大変な事になります。なんでこんな小さな事と侮るなかれ。
これは法律用語で「証左」といいます。例えこんな小さな金額でもこの人はこういうことするんだなと思われてしまう。つまりある事実を証明するその拠り所とされてしまうからです。
一方、節税とと呼ばれる方法があります。これは大いに推奨したいものです。あくまで決められた範囲内で行うのが条件です。
ご存じのように日本の税法・会計制度には減価償却制度というものがあります。
ちなみに私のゼミ論は「時価評価」でした。右肩上がりの成長を続ける日本経済にあって、当時は認められていないものを研究して何の役に立つのとの冷ややかな声が聞こえてきましたが、私は私なりに現行制度に矛盾を感じていたのです。
10年近く前に契約上の終期が決まっていて取り壊すことが分かっている一時的建物の償却年数が何故短くならないのか、国税当局と話し合った事があります。
結論、当局はそのような決まりがあるからという一点張りで、そこには理論もへったくれもありませんでした。
当局は終期の時点では同じでしょといいます。馬鹿じゃありませんか、すでに終期が決まっているものを現時点で均等に配分し償却するのと、前者では会計学で言う明瞭性の原則に反しますし、決算書に企業の正確な力量は反映されません。
しかし、制度はそうなっているのです。
ですから車でも新車は5年です。中古車ならもっと短くなります。そう、制度から言えば儲かっている会社ほど中古車を買うべきなのです。
話を戻しましょう。つまり、日本の企業に大きな影響を与えている税法はそのような過去の呪縛から逃れられない一種の宿疴を持っているのです。
費用と言うのは支払ってしまえばすでに考えてはならないものです。過ぎ去った自分の年齢のようなものです(私は過ぎ去った年齢が大分ありますが)つまりサンクコスト=沈んだ費用なのです。
20年前なら堅固な建物を建てて、20年~25年の計画で返済してと事業計画を立てたこともあります。しかし今のような混沌とした時代ではそんな悠長な事は言っていられません。一時、サブリースというのが流行りました。大手が賃料を保証してくれるというものです。多くの資産家が飛び着きましたが、今では判例でもこの契約は変更できるとされています。つまり市場変更の原則適用です。
その上で大切になるのがこのサンクコストの考え方です。つまりサンクコストとして考えられるのは自己資金が潤沢で、借り入れをせずにその費用が払える証拠です。
私に言わせれば個人は別として小さな会社で役員の乗る車をローンやリースで使うなんてことは費用を繰り延べしているのですから、その会社の体力はどんどん消耗されます。貯まるまで待つべきです。
ではどうしてこの体力を付けるか、それには徹底してキャシュフローを改善すべきです。この場合見栄体裁は最大の障壁です。
減価償却制度は現存するのですから仕方ありません。私の会社の場合には税理士先生には大変酷なのですが大変細かく分類し、出来る限り早期償却を心掛けています。
だから単純に決算書を見てもそのあたりをしっかりと見極めないとその会社の真の力は分からないのです。
珍しく仕事のお話でした。
ただし規模が大きく投資銀行やその他の投資を募って事業をするような場合とは異なりますので、一般の金融機関から借り入れをするような場合に限定します。
税法で一番まずいのが脱税です。これは絶対にしてはいけません。例え僅かな金額であっても家賃帳の入金を売り上げから外したりするとこれは後になって大変な事になります。なんでこんな小さな事と侮るなかれ。
これは法律用語で「証左」といいます。例えこんな小さな金額でもこの人はこういうことするんだなと思われてしまう。つまりある事実を証明するその拠り所とされてしまうからです。
一方、節税とと呼ばれる方法があります。これは大いに推奨したいものです。あくまで決められた範囲内で行うのが条件です。
ご存じのように日本の税法・会計制度には減価償却制度というものがあります。
ちなみに私のゼミ論は「時価評価」でした。右肩上がりの成長を続ける日本経済にあって、当時は認められていないものを研究して何の役に立つのとの冷ややかな声が聞こえてきましたが、私は私なりに現行制度に矛盾を感じていたのです。
10年近く前に契約上の終期が決まっていて取り壊すことが分かっている一時的建物の償却年数が何故短くならないのか、国税当局と話し合った事があります。
結論、当局はそのような決まりがあるからという一点張りで、そこには理論もへったくれもありませんでした。
当局は終期の時点では同じでしょといいます。馬鹿じゃありませんか、すでに終期が決まっているものを現時点で均等に配分し償却するのと、前者では会計学で言う明瞭性の原則に反しますし、決算書に企業の正確な力量は反映されません。
しかし、制度はそうなっているのです。
ですから車でも新車は5年です。中古車ならもっと短くなります。そう、制度から言えば儲かっている会社ほど中古車を買うべきなのです。
話を戻しましょう。つまり、日本の企業に大きな影響を与えている税法はそのような過去の呪縛から逃れられない一種の宿疴を持っているのです。
費用と言うのは支払ってしまえばすでに考えてはならないものです。過ぎ去った自分の年齢のようなものです(私は過ぎ去った年齢が大分ありますが)つまりサンクコスト=沈んだ費用なのです。
20年前なら堅固な建物を建てて、20年~25年の計画で返済してと事業計画を立てたこともあります。しかし今のような混沌とした時代ではそんな悠長な事は言っていられません。一時、サブリースというのが流行りました。大手が賃料を保証してくれるというものです。多くの資産家が飛び着きましたが、今では判例でもこの契約は変更できるとされています。つまり市場変更の原則適用です。
その上で大切になるのがこのサンクコストの考え方です。つまりサンクコストとして考えられるのは自己資金が潤沢で、借り入れをせずにその費用が払える証拠です。
私に言わせれば個人は別として小さな会社で役員の乗る車をローンやリースで使うなんてことは費用を繰り延べしているのですから、その会社の体力はどんどん消耗されます。貯まるまで待つべきです。
ではどうしてこの体力を付けるか、それには徹底してキャシュフローを改善すべきです。この場合見栄体裁は最大の障壁です。
減価償却制度は現存するのですから仕方ありません。私の会社の場合には税理士先生には大変酷なのですが大変細かく分類し、出来る限り早期償却を心掛けています。
だから単純に決算書を見てもそのあたりをしっかりと見極めないとその会社の真の力は分からないのです。
珍しく仕事のお話でした。
2012年2月23日木曜日
共感力
珍しくワイシャツにネクタイです。人に合わない日は高機能ノースフェイスづくめなのでこんな日は滅多にありません。
以前「仕事ではネクタイを締めておかないといけない」と人に言われた事があります。あまりのお粗末さに二の句が出ないとはこのことです。
まず洋服(洋服に限らず身だしなみ)というものは相手があって相対的に存在するものなのです。もちろん場というものもあります。しかし、制服のようにネクタイを締めておけば良いという発想は貧困です。
組織の中でそういった規制を掛けるのはよく分かります。そう何事も無難にという発想です。この日本人的ともいわれる横並び、同質化の思想が日本をこんなに凋落させている事にまだ気づかないのでしょうか。
私は相手の顔考えながらネクタイやシャツを選びます。どういう話をするかによっても異なります。
以前にも書きましたが、ビジネスの究極の目標は「共感」です。
物を買ってもらうにしても、契約を締結するにしても「如何に共感させることが出来るか」と言うことが大きな事なのです。
嫌々契約したなら後悔し愚痴も出ます。本当に共感し喜んで契約したならばその時点で正の循環が生じます。
仮面をかぶって自分の個を捨ててひたすらビジネスに邁進している人はどこかで壁に突き当たります。
自らの全てで相手にぶつかり、経験と知識と理論を積み上げ、相手にシンパシーを感じてもらったらもう結果は見えたようなものです。
私の仕事はこの一点だからです。
以前「仕事ではネクタイを締めておかないといけない」と人に言われた事があります。あまりのお粗末さに二の句が出ないとはこのことです。
まず洋服(洋服に限らず身だしなみ)というものは相手があって相対的に存在するものなのです。もちろん場というものもあります。しかし、制服のようにネクタイを締めておけば良いという発想は貧困です。
組織の中でそういった規制を掛けるのはよく分かります。そう何事も無難にという発想です。この日本人的ともいわれる横並び、同質化の思想が日本をこんなに凋落させている事にまだ気づかないのでしょうか。
私は相手の顔考えながらネクタイやシャツを選びます。どういう話をするかによっても異なります。
以前にも書きましたが、ビジネスの究極の目標は「共感」です。
物を買ってもらうにしても、契約を締結するにしても「如何に共感させることが出来るか」と言うことが大きな事なのです。
嫌々契約したなら後悔し愚痴も出ます。本当に共感し喜んで契約したならばその時点で正の循環が生じます。
仮面をかぶって自分の個を捨ててひたすらビジネスに邁進している人はどこかで壁に突き当たります。
自らの全てで相手にぶつかり、経験と知識と理論を積み上げ、相手にシンパシーを感じてもらったらもう結果は見えたようなものです。
私の仕事はこの一点だからです。
2012年2月16日木曜日
リリースとシェア
Sパパからブログに書いていたリリースについて指摘を受けました。お恥ずかしや・・・そんなにタイソウなものではありません。
私が「リリース」を意識したのは大学の同期や仲の良かった先輩の死です。
結局、どのように生きてもあの世には何も持っていけないのです。持っていけるのは記憶だけ。
その記憶もエミール・ウングワレーの絵のように(死の数時間前の絵)混沌から無の世界へと変化していくのです。
そんな道理とは別に、生に執着し物に執着する人達が大勢います。ゼロか百の発想です。
こうした人たちにはシェアの理屈は理解できないでしょう。そして悲しい死を迎えます。
死の哲学なんて言う大仰なものではありません。いつ死んでも良いように生きたいという我儘です。
親が子に対する教育は贈与行為そのものです。見返りは求めないでしょう。子供は生きているだけでめっけものなのです。
シェアとは自分のものを人に与える一種の贈与行為です。余ったから与えるのとは違います。
原を七分目にして人に与えるのです。そうすることが健康に良いように、心にも良いものなのです。
先般、資産フライトという本を読みました。弊社の顧問弁護士の先生の推薦本ではありましたが、私にはどうして資産をそんなに増やしたいのか不思議でたまりません。いいじゃないですかそろそろで。
お金もそうです。払ってしまったものはサンクコストです。覆水盆に帰りません。
私の場合はリリースすることで、正の循環が生まれさらにもう一周して自分に帰ってくるような気がします。何故ならリリースする行為は物だけでなく精神的なものも他人に伝播させ共感させることのできる行為だからです。
レバレッジは声高に叫ぶものでも、経営の飛び道具でもありません。こうしたリリースをすることで一回り大きくなって帰ってくる波のようなものなのではないでしょうか。
閑話休題
昨日も電車の中で混雑しているにも関わらず足を組み、ひとり言のようにぶつぶつ言っている30代と思しき背広姿の大人や電車の中で携帯電話で話している営業マンのような人がいました。
私が電車が嫌いなのはこうした人達と一緒の空気を吸うことさえ嫌だからなのです。
足の悪い老人に席を譲る若い人を見て世の中まんざらでもないと思う反面、こうした大人たちが現存する日本はおかしな歪な国になっていくのでしょうか・・・・
やはりあと1年は電車に乗らなくていいかな・・・・・
魚は水を選ぶの例えです・・・・・
私が「リリース」を意識したのは大学の同期や仲の良かった先輩の死です。
結局、どのように生きてもあの世には何も持っていけないのです。持っていけるのは記憶だけ。
その記憶もエミール・ウングワレーの絵のように(死の数時間前の絵)混沌から無の世界へと変化していくのです。
そんな道理とは別に、生に執着し物に執着する人達が大勢います。ゼロか百の発想です。
こうした人たちにはシェアの理屈は理解できないでしょう。そして悲しい死を迎えます。
死の哲学なんて言う大仰なものではありません。いつ死んでも良いように生きたいという我儘です。
親が子に対する教育は贈与行為そのものです。見返りは求めないでしょう。子供は生きているだけでめっけものなのです。
シェアとは自分のものを人に与える一種の贈与行為です。余ったから与えるのとは違います。
原を七分目にして人に与えるのです。そうすることが健康に良いように、心にも良いものなのです。
先般、資産フライトという本を読みました。弊社の顧問弁護士の先生の推薦本ではありましたが、私にはどうして資産をそんなに増やしたいのか不思議でたまりません。いいじゃないですかそろそろで。
お金もそうです。払ってしまったものはサンクコストです。覆水盆に帰りません。
私の場合はリリースすることで、正の循環が生まれさらにもう一周して自分に帰ってくるような気がします。何故ならリリースする行為は物だけでなく精神的なものも他人に伝播させ共感させることのできる行為だからです。
レバレッジは声高に叫ぶものでも、経営の飛び道具でもありません。こうしたリリースをすることで一回り大きくなって帰ってくる波のようなものなのではないでしょうか。
閑話休題
昨日も電車の中で混雑しているにも関わらず足を組み、ひとり言のようにぶつぶつ言っている30代と思しき背広姿の大人や電車の中で携帯電話で話している営業マンのような人がいました。
私が電車が嫌いなのはこうした人達と一緒の空気を吸うことさえ嫌だからなのです。
足の悪い老人に席を譲る若い人を見て世の中まんざらでもないと思う反面、こうした大人たちが現存する日本はおかしな歪な国になっていくのでしょうか・・・・
やはりあと1年は電車に乗らなくていいかな・・・・・
魚は水を選ぶの例えです・・・・・
2012年2月6日月曜日
経済 社会システム 50%のススメ
経済とは英語のPolitical Economicsを福沢諭吉が「経済」と訳したことにより、広く人口に膾炙する運びとなりました。
もともとラテン語ではοικονομία(家政術)に由来するもので、それが広く国家の財政にも影響するPoliticalなものまで指し示すようになったのです。もとは家計簿です(笑)
ひとことで「経済」とは財の生産と交換、分配、消費のプロセスということになります。ひとつの社会システムです。
しかし、この社会システムは常に一定とは限りません。20世紀の大量消費、マス社会を経て、現在の21世紀は個人の時代と言われています。機能不全な社会システムと昨今叫ばれますが、実は時代対応してない、陳腐化が進み新陳代謝が出来てないのです。
江戸時代までの日本は人口が3000人程度でした。この人口工だったので鎖国という保護主義でもやってこれたのです。
まあ、人口が減少すればまた鎖国という選択肢もないわけではないですが・・・・・・
昨日読んだ、「私はお金を使わずに生きることにした」というのは現在の社会システムの正反対にある行動を実践した書です。
しかし断っておきますがながらお金を使わない行動でも、交換や贈与、生産、消費が存在する以上「経済」なのです。
この本を読んで如何にお金を全く使わないと言うことが、システムの潤滑から離れて難儀なものなのかそれが強く印象付けられました。彼だって結局はこの後、現実の社会に呼び戻されるのですから・・・・
そこで提案します。
今使っているお金の半分でやってみることです。私のような個人経営者なら尚の事です。
それもあまりテンパラないで、気楽に進めることです。実は数年前一度やってみました。以外と楽しいんです。如何に私たちが無駄で不必要な出費をしているかよく理解できます。
サラリーマンならお小遣いで実践と言う手もあるでしょう。要するにお金以外の価値を見つけて生活に取り入れる提案なのです。
どうも娘は私のこの血のせいか、自分の机の前に毎日の節約と貯金の有用性を掲示しています。
これが大切なのはお金に束縛されずに如何に自分を大切にするかを考えることになるからです。
以前はこんな話をしたら功利主義者よりお前馬鹿じゃないのと言われましたが、今ではこの本の著者のように世間から変わったことをしても容認される土壌が醸し出され始めました。
やってみる価値はあると思うのですが・・・・如何でしょう・・・・・
もともとラテン語ではοικονομία(家政術)に由来するもので、それが広く国家の財政にも影響するPoliticalなものまで指し示すようになったのです。もとは家計簿です(笑)
ひとことで「経済」とは財の生産と交換、分配、消費のプロセスということになります。ひとつの社会システムです。
しかし、この社会システムは常に一定とは限りません。20世紀の大量消費、マス社会を経て、現在の21世紀は個人の時代と言われています。機能不全な社会システムと昨今叫ばれますが、実は時代対応してない、陳腐化が進み新陳代謝が出来てないのです。
江戸時代までの日本は人口が3000人程度でした。この人口工だったので鎖国という保護主義でもやってこれたのです。
まあ、人口が減少すればまた鎖国という選択肢もないわけではないですが・・・・・・
昨日読んだ、「私はお金を使わずに生きることにした」というのは現在の社会システムの正反対にある行動を実践した書です。
しかし断っておきますがながらお金を使わない行動でも、交換や贈与、生産、消費が存在する以上「経済」なのです。
この本を読んで如何にお金を全く使わないと言うことが、システムの潤滑から離れて難儀なものなのかそれが強く印象付けられました。彼だって結局はこの後、現実の社会に呼び戻されるのですから・・・・
そこで提案します。
今使っているお金の半分でやってみることです。私のような個人経営者なら尚の事です。
それもあまりテンパラないで、気楽に進めることです。実は数年前一度やってみました。以外と楽しいんです。如何に私たちが無駄で不必要な出費をしているかよく理解できます。
サラリーマンならお小遣いで実践と言う手もあるでしょう。要するにお金以外の価値を見つけて生活に取り入れる提案なのです。
どうも娘は私のこの血のせいか、自分の机の前に毎日の節約と貯金の有用性を掲示しています。
これが大切なのはお金に束縛されずに如何に自分を大切にするかを考えることになるからです。
以前はこんな話をしたら功利主義者よりお前馬鹿じゃないのと言われましたが、今ではこの本の著者のように世間から変わったことをしても容認される土壌が醸し出され始めました。
やってみる価値はあると思うのですが・・・・如何でしょう・・・・・
2011年10月26日水曜日
言質をとる リスク管理
数年前、我が社の顧問弁護士をして戴いているK先生とご一緒している仕事で「言質をとる」仕事を教えてもらったことがあります。
仕事の中には己の信義に基づき決定していくものと、他人との鬩ぎ合いの中決定していくものがあります。
よく人は「やるたげやったのだから仕方ない」と言い訳をしますが、先生によればそれはそこまでの頭の人間がすることで、相手との交渉事には「言質をとりながら行う」必要があるというのです。
私の顧客が欲を出して必要以上の要求をしようとしたときも、先生は私達に向かって「その主張の言質をとられてしまいますよ」と戒められました。
それ以来、相手との関係に置いて「言質をとる」必要性を痛感したのです。
私は長年、良い税理士さんに巡り合いませんでした。最初の人は親の顧客をそのまま顧客とした人で、税理士試験に中々パスせず、やっと手に入れた苦労の人なのですが、何事にも駄目の一点張りで、はっきりいって知識が足りませんでした。
次の人は若くて活動家ですが、人格的問題があり(遅刻の常習魔)、前述の人とは対照的に何でも大丈夫の大盤振るまいの人でした。
そして窮して友人のO氏に依頼して紹介して戴いた今のS先生は年齢的にも同世代であり、先生の経験(独立して30年近く自分で顧客を獲得している)そして何よりも「言質をとりながら」進めるその方法論に共感しています。
わずかな接待交際費の課税を逃れたいばかりに修正申告をさせられたり、公益と私益の区別なく勝手に振る舞う経営者の否認事象など考えてみればね「言質を忘れた」行為なのです。
経営者ならこの「言質をとる」ことこそリスク管理と言うことを再認識して下さい。
仕事の中には己の信義に基づき決定していくものと、他人との鬩ぎ合いの中決定していくものがあります。
よく人は「やるたげやったのだから仕方ない」と言い訳をしますが、先生によればそれはそこまでの頭の人間がすることで、相手との交渉事には「言質をとりながら行う」必要があるというのです。
私の顧客が欲を出して必要以上の要求をしようとしたときも、先生は私達に向かって「その主張の言質をとられてしまいますよ」と戒められました。
それ以来、相手との関係に置いて「言質をとる」必要性を痛感したのです。
私は長年、良い税理士さんに巡り合いませんでした。最初の人は親の顧客をそのまま顧客とした人で、税理士試験に中々パスせず、やっと手に入れた苦労の人なのですが、何事にも駄目の一点張りで、はっきりいって知識が足りませんでした。
次の人は若くて活動家ですが、人格的問題があり(遅刻の常習魔)、前述の人とは対照的に何でも大丈夫の大盤振るまいの人でした。
そして窮して友人のO氏に依頼して紹介して戴いた今のS先生は年齢的にも同世代であり、先生の経験(独立して30年近く自分で顧客を獲得している)そして何よりも「言質をとりながら」進めるその方法論に共感しています。
わずかな接待交際費の課税を逃れたいばかりに修正申告をさせられたり、公益と私益の区別なく勝手に振る舞う経営者の否認事象など考えてみればね「言質を忘れた」行為なのです。
経営者ならこの「言質をとる」ことこそリスク管理と言うことを再認識して下さい。
2011年10月19日水曜日
レイアーな知層
N新聞社の編集委員であるH女史が大変良い言葉を使っていたので皆様にお伝えいたします。
現在の政治家にしても、会社の代表者にしても時代を前後したレイアーな知識や交友関係を築けていないというのです。
そういえばM政経塾出身の人は似ていますね(雰囲気など・・・)
フォトショップを嗜まれた方ならこのレイアーはイメージできるはずです。
なるほど知層にはこのレイアーは必要です。いくつもの重複した塗膜で覆われたものでなければその塗装はすぐに剥げ落ちます。
確かに自分を振り返ってもその通りです。昨年読み倒した丸山眞男氏にしても、私達が大学に入った頃にはすでに退官し、皮膚感覚としての彼を実感できていないのです。しかし、先人は直にこの人達から薫陶を受けた人もいるのです。
我々だけの世代ならば丸山眞男は過去の人です。こうした先人がいることで、過去ではなく自分のものとして咀嚼嚥下することが出来るのです。つまり世代を超えたレイアーな人間関係の大切さが分かります。
上も下もレイアーな知層として世代や志向を超えてみることが大切なのです。
経営者の皆さん、レイアーな関係築けてますか?
現在の政治家にしても、会社の代表者にしても時代を前後したレイアーな知識や交友関係を築けていないというのです。
そういえばM政経塾出身の人は似ていますね(雰囲気など・・・)
フォトショップを嗜まれた方ならこのレイアーはイメージできるはずです。
なるほど知層にはこのレイアーは必要です。いくつもの重複した塗膜で覆われたものでなければその塗装はすぐに剥げ落ちます。
確かに自分を振り返ってもその通りです。昨年読み倒した丸山眞男氏にしても、私達が大学に入った頃にはすでに退官し、皮膚感覚としての彼を実感できていないのです。しかし、先人は直にこの人達から薫陶を受けた人もいるのです。
我々だけの世代ならば丸山眞男は過去の人です。こうした先人がいることで、過去ではなく自分のものとして咀嚼嚥下することが出来るのです。つまり世代を超えたレイアーな人間関係の大切さが分かります。
上も下もレイアーな知層として世代や志向を超えてみることが大切なのです。
経営者の皆さん、レイアーな関係築けてますか?
2011年10月12日水曜日
相対的発想 椰子の木と柳
先般の台風でも椰子の木は一本も折れませんでした。椰子の木は柳の木同様に風を旨く逃がし、大きく揺れることと、その細さから難を逃れます。勁草の例えどおりです。
そんな生き方に憧れますが、もう一つ私が大切にしている事に相対的発想というものがあります。
因果な商売で社長業をやっていますが、社長業で一番大切なことは、決してベタはいけませんが、ポイント、ポイントでスタッフに助言することです。一人より二人、二人より三人で物事を見た方が物事を俯瞰してみることができます。
今日も、相対的思考をすることによって弊社ではなく、お客様が数十万円損をせずに済みました。
まさに相対的発想の勝利です。あっそれと、もうひとつシンコペーションです。これも重要な思考方です・・・・
そんな生き方に憧れますが、もう一つ私が大切にしている事に相対的発想というものがあります。
因果な商売で社長業をやっていますが、社長業で一番大切なことは、決してベタはいけませんが、ポイント、ポイントでスタッフに助言することです。一人より二人、二人より三人で物事を見た方が物事を俯瞰してみることができます。
今日も、相対的思考をすることによって弊社ではなく、お客様が数十万円損をせずに済みました。
まさに相対的発想の勝利です。あっそれと、もうひとつシンコペーションです。これも重要な思考方です・・・・
2011年7月7日木曜日
夙志 しゅくし
夙志という言葉をご存じだろうか。夙志とは早くから抱いている志しのことです。
実はこの傾向が強すぎると人生をつまんないものにしてしまうのです。
私の友人に自分は広告の仕事が向いていると思いずっと広告の仕事しか受け入れない人がいました。また、ある人間は自分でこうだと決めたらただまっしぐら、現実の生活などおかまいなしな人もいました。
結果は??言わずもがな・・・・
そうです。あまりに決めすぎているのです。万物流転、全ては変化するのです。そのときこの傾向が強い人は変化に対応できない。
経営術もそうです。一番大切なのはキャッチ&リリースなのです。
どんなことでもまず受け入れるのです。寛容な心で。そして必要なもの以外リリースするのです。
しかし実際の経営者を見ているとこのリリースが出来ない人が多い。物欲や所有欲が勝っていても失敗に終わります。
一度手にしたものは無くなるものだと諦念するべきです。子供も妻も離れ最後は一人になります。
そう考えると物に囚われなくなります。特にお金に囚われることが一番まずいお金はそれ自体何の価値もないのですから。
パスカルが人間は考える葦だと言っていましたが、私は人間は河原の勁草のようであるべきと思っています。どんなに着飾っても、肉体を美しく保っても、柔軟な思考力を失えば、サバンナの動物と同じです。そうでないのは思考する動物だからです。
今日は雨、久しぶりに哲学書でも読んでみますか・・・・
実はこの傾向が強すぎると人生をつまんないものにしてしまうのです。
私の友人に自分は広告の仕事が向いていると思いずっと広告の仕事しか受け入れない人がいました。また、ある人間は自分でこうだと決めたらただまっしぐら、現実の生活などおかまいなしな人もいました。
結果は??言わずもがな・・・・
そうです。あまりに決めすぎているのです。万物流転、全ては変化するのです。そのときこの傾向が強い人は変化に対応できない。
経営術もそうです。一番大切なのはキャッチ&リリースなのです。
どんなことでもまず受け入れるのです。寛容な心で。そして必要なもの以外リリースするのです。
しかし実際の経営者を見ているとこのリリースが出来ない人が多い。物欲や所有欲が勝っていても失敗に終わります。
一度手にしたものは無くなるものだと諦念するべきです。子供も妻も離れ最後は一人になります。
そう考えると物に囚われなくなります。特にお金に囚われることが一番まずいお金はそれ自体何の価値もないのですから。
パスカルが人間は考える葦だと言っていましたが、私は人間は河原の勁草のようであるべきと思っています。どんなに着飾っても、肉体を美しく保っても、柔軟な思考力を失えば、サバンナの動物と同じです。そうでないのは思考する動物だからです。
今日は雨、久しぶりに哲学書でも読んでみますか・・・・
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