ワインの話
私がワインを多少齧るようになったのはロサンゼルスから帰国した友人とその後に続いたドクトルの影響が大である。ドクトルは持ち前の好奇心と財力、知力、機動力にものを言わせて、あれよ、あれよという間にワインの一家言となった。
それからドクトルは自分と同じ年のロートンムートシルトを楽しむ会を開くなど、美味しいワインは皆で飲むのあっぱれ騎士道精神を披露目、幸いにも私達はその精神に便乗し、ご相伴にあずかった。知力財力とも及ばぬ私は安いワインをほうぼうから取り寄せ少しずつワインの勉強を始めた。ワインの勉強と言えば聞こえはいいが、要するに色々なワインを飲む事である。舌の記憶以上に確かなものは無いと思っているからである。
ワインを勉強するうちに次第にワインと合う食事についても考えるようになった。ワインにも個性がある。その個性を際立たせるものが料理である。赤ワインは偉大なDRCをはじめ、ボルドーの4大シャトー、ペトリュスと上を見たらきりが無い。確かに、冬のシビエのような料理には赤ワインが欲しくなる。ペトリュスのビロードのような舌触りに、鴨のサルミソースが合わない訳は無い。
一方、普段飲むワインは白ワインが多い。モンラッシをはじめ、白ワインもピンからキリまであるが赤に比べると守備範囲はぐっと狭まってくるが、高ければ必ず美味しいというものでもないし、その地方独特のぶどう品種を知る事も楽しみである。
昨年はケヴュルツストラミネールという舌をかみそうな葡萄の品種のものを集中して飲んだ記憶がある。価格的にも手頃でそれでいて後味が良くケースで購入していた。その前の年にはヴィオニエという南フランスで主に栽培されている力強い白を飲んでいた。これなど鶏肉の料理とも大変相性が良かった。
そして今年はトロンテスというアルゼンチンの白だ。先日、ワインショップに行ったときチリワインが高くなっている事に驚いた。それに比べればアルゼンチンはまだマイナーなので高くない。それでいて、もこの価格では飲めない高品質のものが多い。はるかアンデスの山並みを望むメンドゥーサの乾燥した冷涼な気候がきっと功奏しているのだろう。
ずっと前の話になるが、駒沢公園の屋台でチョミパン(たぶん)というケバブのようなそれでいて、もっと野菜が多く、太いチョリソが入っているサンドウィッチのようなものを食べた事がある。アルゼンチンの屋台ではごく普通に売られているらしいが、中々の味だったと記憶している。
もうひとつ、これは都内のアルゼンチン料理店で食べられるかもしれないが、ロクロという地方色の強い煮込み料理がある。豆やトウモロコシを水で戻して、野菜と肉、臓物、チョリソを入れ、ことこと長時間煮込んで作る料理だ。日本のもつ煮込みと思ってもらえばいい。
こんな事を想像するだけでマーベックの赤にするか、トロンテスの白にするか考えている。いやはや酒飲みとは厄介なものだと自分ながら笑ってしまう。
代々木上原に前出のチョミパンの店が出来たと雑誌に書いてあった。チョミパンの味を確認して、週末にはチョミパンと白ワインとブランチを作ることにしよう。
追記
舌の記憶
頭の方の記憶はこのところすっかり抜け落ちて、つい最近の事でも思い出せないことがある。ハリウッドスターが相貌失認と告白したが、私などずっと前から電話番号と名前は覚えられないので諦めている。
ところがどうだろう舌の記憶と言うものは案外と忘れないものだ。
つい最近も20年前に駒沢公園で食べたチョリパンの事を思い出していた。何故あの時公園でアルゼンチンのソウルフードなるものが売られていたのか仔細は不明だが、あの味は忘れられない。
そうこうしているうちに代々木上原にこのチョリパンの専門店が出来たと雑誌に出ていた。店主はアルゼンチンで食べたその味が忘れられなくて、本場に戻り修業をしたと聞く。これは中々期待が出来る。
私はアルゼンチンには行った事が無い。メキシコより南に行った事が無いのだから仕方がないが、ブエノスアイレスには何故か興味がある。恐らく写真で見た街の風景がそう想わせるのか、それともピアソラのバンドネオンの音色がそうさせるのか郷愁を感じる。街の面白さはその街の表の顔と裏の顔を見る事にある。ディズニーランドのようなテーマパークのような薄っぺらな街はそれも出来ないが、ブエノスアイレスのような街では観察者として目を凝らせば、表でも裏が見えるし、逆もまたしかりである。そんな街かどの屋台でファストフードとして売られているのがチョリパンだ。
チョリパンの一番大切なところはチョリソである。もちろんこれを取り巻く、ソースやパンも大切だが、チョリソが不味くては駄目である。このチョリソはメキシコのチョリソとは違う。メキシコのように辛くない。しかし、噛めばしっかりと大地と肉の味がする。
食べ方はアンデスの草原でガウチョが肉を食べるように大きな口で齧り付くのがいい。
以前、トロンテスの白が良いと思っていたが、食べてみるとこれには圧倒的にビールが合うと気が変わった。キルメスというブルーと白のアルゼンチンビールがいいだろう。スペイン語でビールの事をla cervezaと呼ぶらしい。こちらは女の子である。