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2014年5月15日木曜日

均質化するこの国

新聞社やテレビも週刊誌宜しく視聴者が喜びそうな話題ばかり取り上げ、劇場化していることがマスコミの凋落に繋がると嘆いていたのだが、今度はSNSでも同じようなことが起こった。
そもそも私がSNSを始めようと思ったのはそうしたマスコミの一義的、一方的報道姿勢に疑問を持ち、自分で情報を取捨選択するSNSを試して見たいと思ったことが発端だった。SNSには多くの情報が氾濫する。正しい情報も正しくない情報も。それらを選択するのは自分であり責任も自分にある。SNSも慣れてくると自分と価値観が近いという人を見付けられるし、逆もある。そうして自らが情報という玉を磨き上げていくのだ。

ところがとあるSNS運営サイトから情報の内容を訂正して欲しいと要請があった。理由はポリシーのひとつである「著しく営業に影響する恐れがあり、事実か確認できないこと」に抵触するらしい。
私はその店のピッッアを数回食べている。味は美味しいと評価している。そして掲載した事実は私がこの目で実際に見て、経験したことなのである。伝聞でも推測でもない。
店の前の公道でお揃いの店のtシャツを着て、店内からホースを引いて水だらけにしながら車を洗い、あたり一面が水だらけになっていた。私の布靴は汚れ、通行人はその様子を並行しながら足早に通り過ぎていったのだ。

店というのは味だけではない。オーナーや店主のポリシーが具現化される。それも評価してはいけないというならば斜陽になったグルメ雑誌と同じ、店からお金をもらって良い情報だけ掲載するのと同じである。

私の好きな真鶴の寿司店の口コミに店主の手が汚れていたと揶揄されていた。店主はすぐさま同じ書き込みにそのことをわび、手についていたものはある食材を扱うときにつくもので当日はその処理をしたばかりだったと説明を加えていた。私は尚更その店主の人間性、料理に対する真摯さを感じたのはいうまでもない。





2014年2月24日月曜日

ネットワークの情報特性

グーグル・マップを使っていて意外なことを経験した人は多いのではないか。東京や横浜で利用している際には道路の混雑状況がリアルタイムに表示されるのに、地方に行くとそうでない。過日も同様のことを経験した。軽井沢から高崎までの道路情報を見ると(グーグル・マップ)ところどころに渋滞マークはあるもののそんなに酷い渋滞ではない。よしと車を進めたものの今度はビッシリ車が道路を埋め尽くして身動きがとれない。これが分かっていれば別の道を考えただけにくやしさがにじみ出る。

食べログを見ていても登録者数の少ない店の評価は極端に顕れる。登録者の多い店はそれなりに適意な評価となるが、少ないとなると首を傾げたくなる場合も多い。

考えてみればサンプル数が少なければ結果は大きく現実と乖離してしまう可能性が高い一方、サンプル数が多ければ極端なものは除外される。学内テストの成績の標準分布と同じ事なのにその特性を理解せずに使ってしまう。くれぐれもその性格お忘れなきよう。



2013年3月4日月曜日

リンダ・グラットン「ワークシフト」



この本の題名は正式には"THE SHIFT The future of work is already here"である。

2025年にあなたは誰と何処でどのように働いていますかと問われるのである。

ブログやSNSをやっているなら是非読んでおいた方が良いお薦めの一冊である。

2025年に私のように生きているかどうかも分からない老人は別として若い人はどのように考えるのか大変興味深い。

私は暫く前に友人に勧められ購入して読んだ。和訳本を一読して、それから原書を読んだ。

英国人らしい英文と簡易な説明は小気味良い。

私自身、今の若者のように生まれたときからネット社会が当たり前になっている人ではないから、ネットの無い社会に戻れと言われれば戻れる。しかし、戻ろうとは思わない。

それは有史以来新しい文明を享受した人間の性だと思う。

本は働き方に触れているが、私はもっと大きなパラダイム変化だと思っている。

私がサラリーマンをしていた流通業はもとより、製造業、運輸業、情報通信などなど・・・これらほとんどの業種がその良い悪いに関わらず影響を受けると確信していた。

大きな時代の変化の渦中にいるとその変化に気づき難い。

このブログを始めるきっかけは変化の中にいる私の備忘録のつもりだった。

文章が無性に書きたいときはこのブログで試験的に書いて見たり、その時その時思った事を綴っていた。

ところがそれにも思わぬ広がりがあった。

ずっと疎遠だった知り合いから連絡をもらったり、友人が私の今を知っていることだった。

昔なら友遠方より来るとなれば1日2日酒を酌み交わし膝つき合わせてお互いの事を話した後でなければ知りあえなかっただろう。それがあった瞬間に相手の事を理解していた(ある意味での)

さらにフェイスブックをこれまた勧められてやってみたら、やって初めて理解した。

どうして中東の春がこんなパソコンの画面で繋がっているだけでなし得たのか。

やっと理解した。

何故ならそれはアイデンティティの共有だったから。

繋がるということはある人間と同質化する。これは繋がりの無かった社会とは大きな違いだ。

何故なら、同一性を求めて繋がりを求めているからだ。当たり前なのだ。

しかし一方で自分に都合よくそれを利用しようとする人間もいる。

私がまだ使い方も分からずにSNSをやっていると、ある見知らぬ人から友達申請があった。ずっと無視続けていたが、あまり頻繁なので承認してしまった。その後、その人は自分の思想信条の正しさを同意を求めるがごとく、煩いほど発言するようになってきた。私はそっとボタンを押しなおした。

きっとこの逆だってあるだろう。ネットとはそういうものであると認識しなければならない。

フェイスブックの創始者マーク・ザッカーバーグがSNSは嘘が嫌いだと言っていた。その通りだと思う。繋がりの社会では嘘はすぐばれるから。

もう一面を考えておかなければならないのは、「人は良い評価を得られようと行動する」という事だ。

全人格的人間など存在しない。神でない限り、怒ったり、笑ったり、悲しんだり、喜んだり、悪い人になるときもあれば、良い人になる時もある。つまり、ネットに表れているのはその一面だと言う事。

その人の本当の悲しみや怒りなどは奥深くにしまってしまうのだ。

だから私はこうつぶやくことにしているネットでの情報は「確かにそういう一面もある」


12年前にLAに行ったときと、先月のLAで一番驚いたのは、全てが超スムーズになったことである。

レストランに出掛けても、ホテルについても全くまごつくことは無い。だって事前にどんな店かどんなメニューか知っているのだから。

道路だってLAの複雑なハイウェイを心配していたが、グーグルマップがあれば渋滞も時間も心配ない。ナビよりずっと正確だった。

だがこれをやりすぎるともはや観光など必要なくなってしまうのではないかと危惧する。

名所旧跡巡りはもうみんなの「知っている」になってしまっているからだ。

ではネットワーク時代の観光とはどういったものなのか?

その一つは自分のアイデンティティの旅だと思う。価値観と言うのは変化する。つまりその時々で自分は何を目指し、嗜好しているのか探す旅だ。

これはある一点の歴史を客観的に眺めるのではなく、時間と言う流れの中であくまで自分を中心に社会システムやその基盤を探す旅だ。そう動的観光なのだ。

私はことごとく前述の観光的旅行は遠慮している。申し訳ないが、どこぞの工場を観て回ったり、名所旧跡を巡る旅など御免被る。

いっそ、私が旅行の企画でもしてアィデンティティの旅を売り込むなんてのはどうだろう。
冗談だが、これは冗談でなく今度のパリに行ったらシャルルドゴール2に立ち寄る、今日決まった。いわば毎日の好奇心の積み重ねの旅なのだ。

閑話休題

変化にはリスクはつきものである。私の回りにはそのリスクの取り方について3種類の人間がいる。

ひとつはリスクを取らず最初からネットと距離いや拒絶してひきこもる地下人である。

もうひとつは積極的にリスクを取り、変化についていき、生き生きと自分を発揮している人達だ。伊藤穣一氏なとその典型ではなかろうか。

そしてもう一種類は仕方なくしぶしぶリスクを取っている人達だ。実は3番目が一番多い気がする。


過去の歴史を見てもパラダイム変化が起きた時に変化出来ないものは必ず淘汰される。

前述したワークシフトの中に「仕事と遊びの境界線を曖昧にすることが創造性を発揮する最良の方法だと述べていた。

自画自賛だが、幸せとは

Happiness=√(健康)×(人間関係+価値共有の時間)

なのだから・・・

定年で蕎麦打ちをするのでは遅いのだ。

昨日、LAの息子とスカイプした。LAは30度だという。息子の顔は暑くて汗ばんでいるようだった。

臨月を迎え里帰りした娘が階段から降りてきた。妻は息子と会話している。

犬は2匹横たわり眠ったままだ。幸せとはこんな一瞬かもしれない・・・・・


息子もお世話になったI・K氏から送られてきたマリブの昨日の写真・・このポイントは正式にはMalibu Surf riders Pointといい、海底はCobble Stoneと教えてもらった、53歳にしてまたあたらしい事を娘と同年代の人に教えてもらった・・・これも幸せである・・・間違いない・・・



























2013年1月12日土曜日

りんごの気持ち i phone5

70年代のヒット曲に「りんごの気持ち」なんていうフレーズがありましたよね、曲は林檎殺人事件とかいったような・・・・まあ、それはどうでもよいのですが、今日はそちらではないアップルのお話。

今更、私が某社の製品についてどうのこうと申し上げても、皆様の方がよほど熟知しているでしょうし、昨日初めてスマホに替えた私よりヴェテランであります。

私が今までスマホにしなかったのは簡単な理由です。必要なかったからです。

まず第一に車で移動するので、メールが見られません。事務所か自宅かでしか見ることが出来ないのです。(車の移動といっても大企業の運転手付きではありませんので自分で運転しているので・・・笑)

もう一つは事務所や自宅で見るのなら、老眼の進行も相成って、大きな画面の方が良いということであります。

そんな私も一時、オバマ大統領を真似てブラックベリーを所有した事がありますが、あの使い勝手の悪さは酷かった、すぐに普通の携帯に戻しました。


そもそも私は携帯電話が広まる前、自動車電話を使っていました。そうですトランクに無粋な黒いアンテナを付けなければならなかったあれです。

当時は私は車で日本中飛びまわっていましたので重宝しました。

しかし、そう思って使っていましたが、運転中に相手から掛けられる電話を困りものです。簡単な用件ならまだしもメモを取る必要のある内容や長時間に及ぶ質問など運転中では危険を伴うことも多かったのです。

よくよく考えてみると一分一秒を争うような切迫した大切な電話なんてほとんどありません。

それ以来、自宅か事務所に電話を掛けてもらうことにしています。そこでスタッフが緊急性を感じたら私に連絡を取ることにしています。一種のフィルターです。


昨日のニュースでドコモの凋落とソフトバンクとAuの躍進が対比されて報道されていましたが、もしドコモがi phoneを扱っていたら状況は大きく変わっていたでしょう。

dinosaursという単語があります。文字通りの意味は恐竜ですが、もうひとつ時代遅れという意味もあります。

私はアップル製品をi pod、i padと持っています。i podに至っては事務所用、車用と3個もあります。

ところがこのところ音楽を聞く方法が変わってきました。そうですbluetoothの機器が充実し、本体側にこの機能があればどこでも自由に聞くことが出来るのです。

そうなると私の持っているi podでは聞くことが出来ません。もはやそれらの機器の前でdinosaursな訳です。

さらにFacebookやブログ、twitterをやっているとアップルの製品はそれらの利用に対してユーザー目線で作られていると実感します。

例えばFacebookをやっている人ならおわかりと思いますが、写真を掲載する場合、カメラの画素数やスペックとは別に上手く映るカメラというのがあります。例えばコンデジと比較してもiphone5のカメラは色の再現性がこのSN的な写真の利用には最適化しているのです。


因みに私はライカと一眼とこのカメラで一風堂のラーメンを撮りましたが、一番美味しそうに見えるのはi phone5でした。

日本企業の製品は確かに性能やスペックでは優れていますが、つまりはこのinterfaceが弱い。

さらにi padやi pod touchで使い方に慣れている私にとって使いやすいのです。

アップルが数種類の似たような製品を出しているもしかしたらわれわれ人間のこの「馴化」という特質を見抜いて戦略を立てているのかと思ってしまうほど使いやすいのです。

もうひとつの理由は飛行機の中でWi-Fiが使えるようになったことです。短距離の移動ならまだしも、10時間以上のフライトでは現地情報やメールの確認もしたいものです。

ラップトップやipadを持ち込めばそれでいいのですが、空港の検疫や重くなるので出来ればこれひとつで済ませたいといのが本音です。

今までコンデジを使っていましたが、もはや私にはこのi phone5と一眼があれば良いのかなと思ってしまいます。

えっ??ライカX2は??ちゃんと使いますよ。ただし、ライカは独特のカラーのため被写体を選ぶのです。パリやロンドン、ニューヨーク、京都、鎌倉あたりなら本領発揮でしょう。ようするに渋い写真なのです。

この写真はi phone5じゃありません。コンデジです・・当たり前??



2012年3月27日火曜日

情報のパーソナライズ化

2009年googleが特別な発表も記者会見もせず静謐なまでの行動で進めたのがパーソナリゼーションだ。

FACEBOOKを始めてネットワークの凄さを肌身に感じている。自分が興味を持った対象が物の数分数秒のうちに変換され、より自分に適した情報として返還されてくる。

実はアマゾンはすでに顧客の嗜好性を分析し、オススメアイテムを選んでいる。これと似た装置であることは明白だ。

FACEBOOKでここ2日の間に10年以上会っていない会社の同期が会社を辞め、中国で活躍していると知った。乗っている車も同じだと。(厳密には同じではい。彼はBRABASのコンプリート、私の素の500G・・値段は当然月とスッポン)

同じく岐阜でお世話になった人たちとも再会した。嬉しい事実。

一方、FACEBOOKを諸手を上げて受け入れるにはリスクを確認すべきた。

私達はインターネットの普及によって情報の片務化が解消されると思った。情報は双方向になりよりリベラルのものへと進化したと思った。

しかし、googleもfacebookも企業である。利益が無ければやっていられない。

つまり、パーソナリゼーションの向側にある広告効果が私たちの情報を制限する。

例えば同じような4年制大学卒業した同年齢の女性二人が「ジェンダー」を検索したとする。

しかし、そこに導き足される情報は異なってくる。

一方では「少子化」が現れ、もう一方では「老齢化」が登場する。つまりパーソナライズされた情報は均質ではないのだ。

もし、我々が情報が平等で均一だと思っていたらお門違いである。

我々はこれによって自らの殻に閉じこもり、自分により都合のよい情報だけを選択するようになる。

まさにマーシャル・マクルーハンが言ったように「ツールは人によってつくられ、人はツールによってつくられる」の通りである。

FACEBOOKに嵌っているみなさんご注意あれ!!!!

そんな人にこの二冊をお勧めする。併読でものすごいスピード完読した本である。

ここでもKEY WORDはCONVERGENCE=収束とは・・・・・・・・・・




続き・・・・・・

FACEBOOKの好きなアーティスト欄にPat Methenyと入れたら、3月28日(今日)NYサウスハンプトンで行われるコンサートの情報が送られてきた。まさに情報のパーソナライズは現実に起こっているが、人間好きなものの関連なら嫌に思わないこの心理を突かれている気がする。