21歳の時にプルーストの「失われていく時を求めて」を読んだ時に初めて円環的時間の小説に出会った気がします。
それ以来、アランロブグリエの「去年マリエンバートで」や恩田陸の小説の多くがこの時間をモチーフに作られています。私は少し怖いもの見たさのようなところがあり、この手の小説や映画を多く見ているのかもしれません。
そんな私がまだ見たことのない映画を昨日教えてもらいました。クリストファーノーラン監督の作品で、「インソムニア」より2年前に作られた「メメント」という映画です。
題名のメメントはメメント・モリのメメントです。
これは教えて戴いたN氏が言うように円環的ではなく、時間が分断され、いくらかの糊代しかないものが現在から過去にフィードバックするそんな映画です。
主人公の記憶が10分しかもたない前向性健忘という病気によりこの状況が設定されています。主人公はメモとポラロイド写真により記憶を固定し、それでも忘れたくないものは刺青にして体に記録(記憶)させます。
物語が進むにつれ、誰が敵で誰が分からなくなってきます。(混沌)
考えてみると私達の記憶と言うものは曖昧です。ある記憶は鮮明に覚えているのに、つい何日前の献立は忘れているのです。
テレビでFECEBOOKの愛用者にインタビューしたところ、その男性が面白い事を言っていました。
「FECEOOKをやるようになってから懐かしさとか郷愁と言うものをあまり感じなくなった」というのです。
その時はその意味が分からなかったのですが、私も初めてみて妙な感じになって分かったのです。
そう今まで忘れていた遠い過去がすぐ近くに感じられたのです。言ってみれば分断されていた記憶が繋がったような妙な安心感です。
人間は記憶を忘れてしまわないように日記をつけ、手帳に記すのです。ビジネスで忘れたでは通りませんから。でもどんなに努力してもずっと前の記憶はすり落ちて行くのです。
そんなFACEBOOKとは対照的にこの映画はどんどん自分の記憶がなくなり、繋がりも、固定も出来ない状態です。私は恐らく耐えられないでしょう。
以前読んだ本に「ある分裂症少女の手記」というこの手の患者が寛解したことはまれだったので世界中で翻訳された本がありましたが、その少女の手記にも意識が分断(たぶんに時間概念と社会性の分断)が表されていました。
以前にも書きましたがアボリジニの画家・エミール・ウングワレーの作品を見ていると「死とは混沌」であると感じた事を思い出すのです。