親戚の2児の父親でもあるある人が道半ばで自分を振りかえりたいので今年サンノゼにひとり旅するといっていたと聞き及びます(伝聞なので正確なニュアンスはわかりませんが)
老人としてひとつ忠告すれば、自分の原点や軌跡を確認する作業などするべきではありません。ライプニッツがいう予定調和と同じです。ある自分の人生は過去において決定されそして現在があるという一元論的危うさです。気持ちは分からなくありません。しかし何故多くの人がそうしないのか考えてみてください。
それを行うことは自分のスコープを過去に向け分析する無為な行為に他ならないからです。移ろいゆく今が未来なのです。生きているのは大変です。でももう一度人生の葦を考えてみてください。まだまだ将来の時間は十二分にあります。
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2010年1月3日日曜日
新年会
日本人 対 西欧人
オバマ大統領がアフリカにいって貧困撲滅のため現地の代表者である女性と握手をして談笑しています。彼が黒人ということを置いておいても様になっています。
かたや日本人はどうでしょう?隣国韓国の要人との握手でも違和感があります。
これはアメリカという国(ヨーロッパの多くの国も)が自らの内部に多元性をやどしているからです。オバマ大統領だってアフリカやアジアにもそのルーツを持つ半面、東海岸のエリート校を卒業し、弁護士資格を持つバリバリのアングロサクソン的な訳です。多元性のもつファクターが存在します。それがその場をユニットさせるのです。だから自然に映るのでしょう。
かたや近代日本人は絶えず自分と外を比べ自分を表現します。そこには境界が存在し、他者と区別をします。列強に追いつけ、追い越せという精神はこのことに他なりません。
一元的精神性が悪いといっている訳ではありません。しかし、オリエンタリズムとして批判される西欧中心の思想はありますが、確かに西欧人からみたら奇異な感じを受けるのは歪めないでしょう。
島国で辺境という地理的特徴はこんなことを植え込んでしまうのです。知らず知らずのうちに・・・・・・決して二元論として処理しようなどとは思っていません・・・・・・・
かたや日本人はどうでしょう?隣国韓国の要人との握手でも違和感があります。
これはアメリカという国(ヨーロッパの多くの国も)が自らの内部に多元性をやどしているからです。オバマ大統領だってアフリカやアジアにもそのルーツを持つ半面、東海岸のエリート校を卒業し、弁護士資格を持つバリバリのアングロサクソン的な訳です。多元性のもつファクターが存在します。それがその場をユニットさせるのです。だから自然に映るのでしょう。
かたや近代日本人は絶えず自分と外を比べ自分を表現します。そこには境界が存在し、他者と区別をします。列強に追いつけ、追い越せという精神はこのことに他なりません。
一元的精神性が悪いといっている訳ではありません。しかし、オリエンタリズムとして批判される西欧中心の思想はありますが、確かに西欧人からみたら奇異な感じを受けるのは歪めないでしょう。
島国で辺境という地理的特徴はこんなことを植え込んでしまうのです。知らず知らずのうちに・・・・・・決して二元論として処理しようなどとは思っていません・・・・・・・
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