パスカルではないが人間知っていることしか知らないのである。知らないことは知らないのだから。
よく私たちはプロじゃないのだからそんな高いものや贅沢なものは必要ないという人がいる。そうだろうか、プロこそ現実的な要素でモノを選ぶのではないかと私は思う。幸せなことに私の周りの友人は遊びに関してそんなことは言わない。遊びだからこそ遊びつくせというのである。もちろん財力の範囲ではあるが。
家一軒建てられるほどオーディオに凝っている友人もいれば、山を登ることと走ることに人生をかけていると思える友人もいる。つまりは道楽とは道を極めようと暗中模索しながらジタバタ騒ぐことだと思うから。
車にしても歳は関係なく国産車が一番だという人もいる。それはその人の考え方だから何も文句はない。一度きりの人生なのだから乗ってから判断すればいいのにと他人ごとに首を突っ込みたくなるのは別として、車は宇沢弘文氏を持ち出すまでもなく非経済的なのだ。いくら省エネや環境性能を謳ったとしても非経済的なものなのだ。ポルシェに乗ったことがない人はポルシェを分からないと思う。私だって分からなかった。体験して初めて分かることが多い。頭でっかちの考えは退席いただく。
ロードバイクにしてもそうだ。モノコックのフレームしか乗ったことのない人はラグドのフレームの妙味は分かるまい。コンプレッションホイールに乗ったことのない人はコンプレッションホイールの事を知るまい。絹のケーシングのタイヤに乗ったことのない人は絹のケーシングのタイヤのことは知らない。だって知らないのだから。私だって知らないことはいっぱいある。しかし、手が届かないからといって知らないことに蓋をすることはしない。思い続ければいつかは叶うかもしれないから。
よくオンとオフを口にする人がいる。今はオフだから仕事の事は考えないと。そういう人はオーナーには向かない。経営者は四六時中仕事の事を考えている。じゃ遊びは考えないのかというとそうではない。遊びも四六時中考えているのだ。
美味しい物や楽しいことは周りの人たちと共有するからこそ楽しい。一人だけ美味しいものを独占しても所詮腹をこわすのが関の山だ。でもそういうタイプの人間が多いのも事実。私の友人にはそういう人は滅多にいないのだけどね。
あの世には何も持っていけない。持っていけるのは思い出だけ。人は生まれてくることは選べないけど、死ぬことは選べる。エミールウングワレーの絵のように死の直前にどんな景色が目の前に広がるのか、それはどんな思い出を持っているかによって決まるのだから。