写真論 「私にとっての」
先般、キャパの崩れ落ちる兵士のことを文末に記したので、もう少し補足しておく。
この写真の真贋を後世に検証した人がいたと聞いた事がある。その上、澤木氏が21世紀になって新たな方法をもって再確認したのだから事の顛末はある程度想像できる。
澤木氏は他の著作でも精密な筆致で私達を旅の世界に誘う、名文筆家である。私も彼の著作を通じて既に2.3回ハノイを旅している。今回も同じように我々をスペインまでその検証の旅に連れて行ってくれるのである。
普通ならこれで十分楽しめるのであろうが、私にはややひっかかった。
何がひっかかったのか、それはそこまでして物の真贋を確かめる必要があるのかという漠然とした疑問だった。
実はキャパについての本を読んだ事があるのだが、彼はこの写真を含めて、色々なプレッシャーを受けてきたようだ。それは真贋についてというより、彼の最愛の人の死そしてそれとは別に高まる彼の名声、私がキャパだったらとても耐えられないであろう。実際、彼はそれ以降、危険な戦場に誰より先に出掛けるのである。まるで死に場所を探しているように。
写真とは一体何であろう。スーザンソンダクは彼女の「写真論」の中で、「自分では何も説明できない写真は推測、思索、空想へのつきることのない旅である」と言っている。
まさに、澤木氏にとって兵士の写真はそのものだったはずだ。だから、彼は堪え切れず答えを見つけに行ったのだろう。
一方、バルトはその著書「明るい部屋」で「写真とは他人の視線で自分の外見と直面すること、つまり鏡でみたのとは違う、自分が完全にイメージになってしまったという、死の化身となったことだ」といっている。兵士はまさにこれだったのではないか。
ここにもう一冊の写真集がある。武田花の「眠たい街」という写真集だ。武田花は「ひかりごけ」の小説家武田泰淳氏と随筆家武田百合子の長女である。
彼女が80年代に撮りためた写真を集めたものだ。
何故この写真集を取り上げたのか。恐らく、何も知らない人はこの廃墟の様な景色に嫌悪感さえ覚えるものの、何回も見返したいとは思わないのではなかろうか。
私はこの写真集の街で暮らしていた。だからこの街の衰退を知っている。私にはこの廃墟の様ながらんどうの空気の中にも、ここで暮らしていた人々の息づかいが聞こえてくる。
この街は戦後繊維業で栄え、北関東の上海とまで持ち上げられ街は活気を帯びていた。私の幼かった頃には郊外の農家が絹糸をリヤカーに載せて織物工場に運んでいた。
多くの職工がいた。出稼ぎで来ているものも多かった。彼らは給料日になると如何わしいネオンの煌めく歓楽街に薄給を握りしめて消えて行った。この廃墟に見える街の残映の向こう側に、当時の人々が私には重なって見えるのだ。
そう写真はその観る人によって様々な感情を呼び起こす。その感情とは見る者個人の歴史と密接に結びついている。では写真はあくまで見る者個人としてのよりプライベートな性格なのかと言われればそうでもないものもある。多くの見るものに共感と感動を与える写真である。恐らくキャパはそれだろう。
こうした写真はその見る人達がいる社会のシステムに影響される。いわば時代の空気感とでも呼べるものかもしれない。
私は今でも、銀行に置かれた(当時アサヒグラフは銀行に置かれた書籍の代名詞だった)アサヒグラフに載っていた一枚の写真を覚えている。その写真は爆撃で村を焼かれて逃げ惑う人達を撮ったものだった。ベトナム戦争がどのようなイデオロギーと政治システムによって引き起こされたものなのか知る由もない子供でも、その戦争がどんなものか想像できた。後世になってその写真はアジア系の通信社のカメラマンが写したもので、ナパーム弾で必死に逃げ惑う住民を写したものだと知った。
カメラマンの名前もその通信社の事もすっかり忘れてしまってもその写真の事は覚えている。そう実際にそこに立ち会っていないものが、私によって客体化され「死」した。一方、彼らは私の意識の中で再構築される。写真は「死」と「再構築」の作業そのものではあるまいか。