アメリカでは駄目な車の事を「LEMON CAR」といい、そんな中古車市場では一般の人々はそれがレモンなのかレモンでないのか見分けがつきません。一方、ディーラーはどれがレモンか分かっています。
こうした売り手や買い手の間の情報に差がある時に非対称性が存在するといいます。
インターネットがマスコミの持つ情報の非対称性を著しく改善させた事は自明であります。
このジョセフ・ユージン・スティグリッツ博士は以前にもブログで登場した「マルチスピード化する世界の中で」という本の著者であるマイケル・スペンス博士と共にこの分野の第一人者です。
グローバル化とはいわばこの情報の非対称性の解消が世界的に同時に起こっていることです。
スティグリッツはその行きすぎた非対称性の解消は危険であると述べているのです。
もう一冊の本は日本でもハーバード白熱教室でお馴染のマイケル・サンデル教授の本です。
経済学が規定する人間の合理的行動について辛辣な意見で同僚でもある経済学者さえ睥睨しているその自信は恐ろしい位ですが、彼の言う、市場に全てを完全に委ねることが良い事ではない事例を羅列しています。市場万能主義への警鐘です。
ユニバーサルスタジオの並ばない有料券に始まり、米議会公聴会に代理で並ぶアルバイト、代理母、生命保険の加入権の売買、臓器売買、お金で永住権を買う制度等々・・・・・・、
ホノルル空港にあるゴールドレーンだって出国手続きは同じ公的サービスであるのに料金によってこのサービスに差を付けている訳です。
需要と供給とのギャップをこうした手数料=対価によって解消し、経済的効率をあげる働きをしている訳ですが、何かこの手のサービスに釈然としないのは何故でしょう。
最近日本でもいくつかの航空会社がLCCに参入しました。安い航空運賃は魅力です。しかし、安さばかりに囚われれば最終的には安全もお金で買うと言うことにはなりませんでしょうか。
この釈然としない理由は事が「人間の根源的」のものになればなるほど感じます。
彼らの意見をリバタリアンはどういうか分かりませんが、スティグリッツは「小さな政府」は危険である述べています。
我々が人間としての根源的サービス受ける権利それが人権です。その人権に関わるような事までビジネスの対象とすることには誰しも不安に思い反対しているのです。
情報の非対称性の解消はグローバル化の一側面かもしれませんが、我々がグローバル化を考えるときにその反対側にこの問題が起こっている事を理解すべきだと思います。
それは少なからず単なるフリーライド論ではなく、マルチスピード化する多元世界においてどう考え所作を説くのか一考すべきなのかと思いました。だって実際には「既に起こっている」のですから・・・