ブログを初めてもう2年が経ちます。FACEBOOKは丁度1週間てす。TWETTERはやっていません。
私がFACEBOOKを始めたのはHPの制作をお願いしている人から是非やった方が良いですよと言う言葉を受けての重い腰上げでした。
そもそも映画を観た人には説明は不要でしょうがFACEBOOKはハーバードの美人投票に端を発し、同大学の人気にあやかって拡大したという歴史を持ちます。
私はそういう権威的手法が大嫌いなので参加しませんでした。
一方、親友で大企業をポンと辞め今はベンチャーの執行役員をやっている人間から、「注意してやるならそれ相当の面白さがある」とも聞かされていました。
実際にFACEBOOKをやってみてそんなやる前の先入観を上回る効果を感じました。
ブログはマスコミを小さくしたようなもの、熱心な読者にこちらの情報は伝えられるものの双方向とはいきません。
その点FACEBOOKは双方向いや多面的な情報通信です。
さらに実名制については(以前も書いたことがあります)は様々な変化を生みだします。
ある地方の政治方針についてFACEBOOKとTWETTERで比較したら正反対の評価が顕われたと聞きました。
FACEBOOKでは肯定的な意見、かたやTWETTERでは否定的意見になったようです。
では全て良いのかと言われれば疑問も残ります。実名制と言う正義の仮面は果たして本当の情報なのでしょうか・・・私にとってある程度のそのことをバイアスとして視なければしっくりこないからです。
人間は良い面だけではありません。負の面も併せ持つものです。ですからFACEBOOKはまさにこの上に成り立っているといっても過言ではないでしょう。
FACEBOOKが点と点を繋ぐのであれば、ブログは平面に広げます。
誰かがTWETTERよりやはりブログが大切と言っていました。プログは情報発信する側に時間を与えます。そう考える時間です。これは大きな違いです。
FACEBOOK個人の生活のアーカイブとは成り得ましょうが、思想のアーカイブとはならないのです。
私がブログをやっている一番の目的は新しい「知」を知りたいからです。
ご存じのように「セレンディピティ」という言葉があります。そのまま訳せば「情報発見能力」とでもなりましょうが、つまり何か新しい探し物をしていなければ幸運はやってこないの例えです。
大学を卒業した時の私の頭は空っぽでした。今考えても恥ずかしい限りです。そんな空っぽの頭でも社会の経験や先輩、友人の刺激を受けて新しい「知」を知るのです。
CPスノーではありませんが、私達の多くが自分の知らないことに疎いのです。
私は高校の時の生物の教科書をみて愕然としました。今の教科書に載っている事はほとんど触れられていないのです。
一方、旧制中学入試問題集という本を購入しました。こちらは逆に今では分からないような漢語の表現が目立ちます。
そうです、「知」というものは積層されアーカイブ化されるのです。決して一時点で完結されるものではないのです。日々更新されて行くものなのです。
偶数たす奇数が何故奇数になるか説明せよという簡単な問題があります。
そうN+N+1=2N+1という簡単な自然数の式が正解ですが、MBAも持っている大変頭脳明晰の友人が習った事がないと言ったのです。まさに、その友人の時代には全く教えられなかった事だったからからです。
前述の生物の話と同じです。
SNSとマスコミの違いはSNSがそれ自身更新、自浄作用があるのに対してマスコミはありません。
恐らくマスコミの人は分かってないのでしょう。私のところに時より遊びに来られる某新聞社の編集委員の女性はそんなマスコミの有様に嘆いておられました。
一部の人は慧眼を持ってこの状況を俯瞰しているようです。
しばらくはその意味でもブログは継続していきます。(笑)