断って置きますが私は原発反対派でも肯定派でもありません。それぞれ条件付きということですから誤解のないように。
先日も某大手新聞社の方が、私のところにいらして今のマスコミの凋落ぶりに嘆いておりました。以前申し上げた様にマスコミは確実に「劇場化」が進んでいるようです。何か話題になるような事が起こると検証もせず、その情報ソースに向かう。そしてそのまま掲載するといった体たらく。経済部や政治部は以前からそうした川上での情報取得は見られましたが、今では社会部までも同じような取材方法を行うと困惑していました。福島の原発問題に関しては、どのマスコミもその構造的問題を言及していません。ただ、反対だとか危険だとか、はたまた安心だとの二元論に終始します。そして大衆は其の事で逃げ惑う小魚の如くあっちへ行ったりこっちへ行ったりです。
数年前、ある事がきっかけで、丸山眞男を読み返しました。私達が大学に入った頃には彼ははっきりいってあまり話題に取り上げられるようなことはなかったです。もう旬が過ぎたといった感じでした。もっともその彼を紛糾していた吉本隆明などは旺盛な筆致でせっせと本を出していたので、こちらの方を目にする機会が多かったのです。ところがいざ読み返してみると、彼の言葉の裏側には今の日本人がこうなってしまった、いやこうなると予測していたのです。「古層」という有名な彼の言葉がありますが、彼は日本人の内在性についても看破していたのです。
中東の問題を語る時に、キリスト教徒はユダヤ人がいるから問題がこじれるとユダヤ陰謀論を唱えます。だから今でも9.11は彼らが起こしたのだと噂している。何故でしょう。きっと彼らにはユダヤ人が起こしたのでないと論理的に説明しても納得しない。何故ならも彼らは苛立っているからです。9.11の問題とはいわば南北間格差の象徴です。その原因を作ったのは彼ら自身でもあるのです。しかしながらそれを自分たちだと認めるのは都合が悪い、だから少しだけ外側にいるユダヤ人の性にする。これこそがまさにイデオロギー的幻想に他ならないのです。
原発も同じでしょう。高効率で安全なエネルギー、先進国だから出来る高い技術力そう言われてその恩恵を受けて来た。それが、一度事故が起こると全て原発機関や国の性にする。そもそも、だったら何故、その前に原発反対しないのか、省エネを心掛け原発エネルギーは使わないと表明しないのか、まさに内在性を無視しているのです。
そんな無知の国民を擁護する訳ではありませんが、もちろんそこには情報の質と言う点で大きな問題があります。
一般の国民は前述したように安全だクリーンだと言われてきました。これがいわば顕教です。国民は理論的な説明より、この安全だよという呪文が好きなのです。
一方も一部のエリートは原発が危ない、問題があると知っていたのです。しかし、これは絶対に口外しない。いわば密教のようなものです。
この情報の構造的違いを理解することが今日日本の諸問題を考える上で重要になると思いますが、これが大変難しいのです。
全ての情報を国民に知らせれば良いと言う方がいますが、私はそれも危険だなと思います。
例えば公務員の削減、多くの国民はこれを支持します。特に非正規雇用のフリーターは自分の境遇との違いに声を荒げてこの事を主張する人がいますが、小さな政府にするということはそれ以上に福祉の幅を狭めると言う事になるのです。福祉にはある程度の大きな国家が必要になるからです。公務員を削減すれば、正社員は削減され非正規雇用が増える当たり前のパターンです。つまり公務員を削減しろというのは自らの首を絞めているようなものなのです。
原発問題もしかりです。原発を廃止するそれはお題目としては良いでしょう。しかしながら原発を誘致した多くの自治体はもし原発を誘致しなかったら当の昔に破たんしていた、そんなところがほとんどです。莫大な補償金と雇用創出によって何とか首を繋いできたというのが現実です。
丸山眞男はこうした一人ひとりの意見は正しくても、全体としては不合理な結果となる事を「合成の誤謬」と言いました。今の日本はこうした各論賛成、総論反対がまたはその逆が多いのです。私の親戚も石巻にいました。義父の出身は宮古です。今回の震災で大きな被害を受けました。最初は多かったボランティアも少なくなり、忘れ去られるのではと不安視する声も聞かれます。彼らはただ待っていると言う事に我慢できなくなり、自らで前に進むと決意した人もいます。この点では震災は天災であり国がもっと早く将来のグランドデザインを示さなければならないのにぐずぐずしている。
一方、原発はこの問題とは彰かに違う。原発の導入の歴史を考えても、敗戦後の日本の国家的問題として進めて来たのは彰かでいわば国家戦略。これを変えると言うならその先の新しい日本のエネルギー戦略を指示してからアクションを起こさなければならないのに、どこかの首相は原発廃止と唯我独尊でマイクを手にした愚行。
私の同期の三浦展氏は東北の将来について、今までと同じものを、特に箱モノ的街づくりはナンセンスだと言っています。その通りだと思う。
日本は東京から名古屋、関西つまり首都圏の一部を除けば、過疎化が進んでいます。人口減少社会というのは確実なものとなっているのです。さらに先進国である我が国の所得が高い事は明白であり、産業労働力の移転は必ず起こるのです。そしてグローバル化とはそうした富のあるものから無いものへの移転であるとチョムスキーは言っています。
日本はもはや盛りを過ぎ超成熟社会には行ったことを認識するべきです。アベノミクスで一時的に証券や不動産が上がったとしても本当に成長が無ければ世界は日本を見捨てます。日本の債権は海外ではないから大丈夫と言う人がいます。何故大丈夫と言えるのでしょう。世界マネーはそんなに甘くありません。借金は借金です。御破算にする方法はデフォルトのみです。その時こそ今のお金は紙くず同然となります。それを避けるには地道に毎月毎年返していかなければならないのです。
私は近い将来バブルの崩壊と同様に大きな金融アクションが起こると考えています。何故ならグローバル化が進んだ世界マネーはそんなに甘くないからです。自らの判断と責任において円という通貨の価値を根底から見直すべきかもしれません。
この文章を書くにあたって法政大学教授の政治学者杉田敦氏の著作を大いに参考とさせて戴いたことを付記させて戴きます。アルママーテルの服の下に隠れた賢者に相談してみましょう・・・