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2011年9月14日水曜日

寛容の精神 歴史的認識

9.11以降のアメリカは対テロルという大義名分に走り、フセインを打倒し、アフガニスタンに侵攻した。

アメリカは本来移民の国だ。アメリカの偉大さは寛容さである。今のアメリカは建国以来のこの大切なテーゼを投げ捨てて対イスラムに舵をきった。日本をはじめ多くの西欧諸国も同調させながら・・・

結果はアメリカの威信低下にとどまらず、西側一極支配的冷戦後の構造を破壊した。

アメリカはもはや世界の警察でも保安官でもない、対テロルのため頭に血がのぼった乱暴者だった。

世界はアメリカを毛嫌いした。しかし、ここで民衆の叡智はアメリカ以外にも我々を苦しめ、自由を束縛している直接的当事者がいることに気がついたのだ。

イスラムの春である。アメリカだけが悪ものだと言う考えは間違っている。我々イスラムの中にも民衆を苦しめる悪ものがいたのだ。民衆は立ち上がった。政治的デマゴーグでなく、自らが感じる何かで行動したのだ。

多くの独裁的政府は打倒され、民衆が立ちあがった。

大切なのはこれからである。自国の利益を優先するあまり、民族主義を利用した大戦後の状況にならないようにするためにも、大国はもう一度自由と平等という大原理に基づき、自らの行動を律するべきなのである。

自国から国民が奪われても抗戦はせず、その相手国の避難民が出れば暖かく迎える、このあほらしいまでに律儀なこの精神性こそ、我が国の宝なのだから・・・

あの国は持ちますまい・・・歴史はそう教えてくれています・・・・・・

白樺湖  

高校2年になったヨシヒコはクラス替えがあった。ミチヒコとは昨年の夏以来疎遠だったが、クラスが変わりその度は増していった。ヨシヒコはそのクラスで生涯の友となる友人と出会う。

ヒサオとタカシだ。後にシゲオも加わる。

この頃、ヨシヒコは国語の成績が上がり始めたものの、数学はさっぱりで何となく自分は文系かなと思っていたが、受験勉強にのめり込むでもなくぼんやりした日々を送っていた。

タカシは理系志望だったが、ヨシヒコやヒサオ同様、受験勉強にはまだ少し早いという感じだった。

そんな3人の気が合わぬはずがなかった。

授業が終わるとそれぞれの家に上がり込み、ギターでユニット宜しくフォークソングやビートルズを演奏したり、土日になると泊まり込みでマージャンをやったりした。よく家人が何も言わなかったものだ。

3人が良く通った「來来軒」は図書館の近くにあり、勉強の帰りに立ち寄った。勉強をしていた図書館より、黄ばんだ暖簾に書かれたその文字の方が今は印象に残っている。

夏になって、3人で小旅行をした。本格的に受験勉強に入る前のモラトリアムとでもいうつもりであったのか定かではないが、行き先を信州にした。隣県で近いこともあるが、ギターや歌を歌っても叱られないような広いバンガローが多く存在したことも選んだ理由だった。

白樺湖は涼しかった。隣県と言えどヨシヒコの住んでいるK市は関東平野の北に所在し、夏暑く、冬は寒い。ここの冷涼な気候ならばどんなに勉強が捗るだろうと一瞬思ったが、それはそれでやりたいことが次々湧きだして受験勉強どころではなくなってしまうと、目の前の描写をかき消した。

何故、あのときおそろいのサロベットにしたのか未だに分からないし、今となっては穴があったら入りたいほど恥ずかしい恰好であったとヨシヒコは思っていた。いかにもフォークギターにサロペットという安直な発想と似合ってもいない姿を重ね合わせることが当時の彼らには出来なかったし、する必要もなかったのだ。

3人は何となく自分たちの夢を語り合った。ヨシヒコはぼんやりと当時、担任の国語の先生のような教師も良いかなと思っていたが、大方はテレビで放送された生徒に人気のある熱血教師を憧れたことか原因だった。タカシは医者になって、無医村のところで診療所を開きたいといっていた。ヒサオはカタカナの洒落た名前をいっていたが二人には良く分からなかった。

翌日、霧が上がった湖畔で3人組の少女たちと知り合いになった。彼女達は今日、東京に帰ると言う。ひとりの女の子はエリコといった。髪の短い、眼のくりくりした可愛い子だった。
もうひとりのジュンコは肩に髪が掛る程度の色白の子だった。話す時に手を耳に当てる癖があった。チヒロは3人の中で一番目立たない子だった。髪の毛をポニーテールにしていたがいつも下を向いていた。3人ともあかぬけていた。

二人の少女たちは高校を卒業したら看護師を目指していると言っていた。そのために近くの短大に通うらしい。チヒロは関西の大学に進むみたいと他人事のように言っていた。今は親の仕事の関係で叔母のところから高校に通っていて、大学は親がうるさく戻ってこいといっているらしかった。

6人は一緒にアヒルのかたちをした奇妙な足こぎボートに分乗して、スピードを競ったり、貸出小屋から見えない外れでお互いをぶつけあったりして遊んだ。

しらぬまに3カップルになっていた。ヒサオはエリコ、タカシはシュンコ、ヨシヒコはチヒロだった。

6人は全員の写真以外にそれぞれのカップルの写真を撮り、現像したら送る約束をして分かれた。

西の空に茜色の夕焼けが夏の終わりを告げようとしていた。山際を飛ぶ烏がそうであるように、ヨシヒコはこの二人の友を得て、帰る道を見つけ始めていた。

物差しが変わる

Sパパのように現役第一線がロンドンやNYのような華々しい海外ではなく、私の場合は岐阜でした。それでもその商業ビルは大きく、駅前の事務所ももっと大きいような気がしていましたが、年月は怖いものです。





路面電車はなくなり、商業ビルも取り壊されたまま、事務所もしょぼい雑居ビルです。こんなのだったでのしょうか?

きっと25年の間で私のものの見え方か変わったのです。物差しが変わったのです。これは良いこともあり、悪いこともあります。

よく己の立ち場と現実を考えて時には眼鏡を掛け直すつもりでいなければなりません。

何事も自己認識からです。

杭州市 松尾芭蕉

6月に訪れた杭州市が岐阜市と姉妹都市だっとは岐阜公園でその案内を見るまで知りませんでした。



公園の入り口には西湖の庭園を模した中国式庭園が配してありました。

この地は俳人松尾芭蕉が訪れて逗留した折、芭蕉はこの景色を西湖のものと比して十八楼の紀の中で述べています。後に宿はこれからとって十八楼と名乗るようになったとか・・・

芭蕉の句

おもしろうと やがてかなしき 鵜舟哉



所信表明演説

所信表明演説を英語にするとGeneral Policy Speechです。

新首相のスピーチどう思われました?

個人的には意味不明の言葉や比喩ばかりで子供の童話のような以前のスピーチに比べれば良かったと思っています。

まずいのは野党です。馬鹿の一つ覚えのような野次、震災後横滑りで事故の収拾にあたっていた総理とは違うのです。国会で任命された震災後初の総理なのです。困難を乗り切ろうとする気持が微塵も感じられません。いっそこのまま総選挙を実施したら自由民*党、公*党、みん*の党が一番困るのではないでしょうか。彼らの政策は何ですか・・・何にもないではないですか。

以前与党だった先程の党も結局シナリオは官僚任せだったのですから・・・・

国土交通大臣もダムを止めるなら止めるその論拠を示さなければなりません。己の政治信条で済む話ではないからです。そうでなければ官僚に逆襲されますよ・・

近頃、アメリカのドラマ「チャーチル」を見ています。これが中々面白い。今度、日本でもCSで放送されるようです。トップの人間の苦難と判断その難しさを日本の国会議員にお見せしたいくらいです。

ところで自由*主党の幹事長のO氏は顔つきが変わりましたね。あれは内面が変わったのではなく、あまりのクレームにフェイストレーニングしているのだと思います。気持悪いですね、感情を押し殺した笑顔程、ひいてしまう顔が無いことをご存じないのだろうか・誰か教えてあげて下さい・

911 turbo エンジンの話

みなさん911でもパワーがあってターボだったらどんなに乗りづらそうかと思うあなた!!間違っています。ポルシェに限ってはノーマルのターボならば(GT2とかは別)911でもカイエンでもターボーチャージャーの付いた方が乗りやすい位なのです。

つまり分かりやすくカイエンを例にすれば乗りやすさは、カイエンターボ→カイエンターボS→カイエンS→カイエンGTS→カイエンとなるのです。

こんなことを言っておきながら私の33年の運転歴の中でターボーチャージャーの付いた車は所有したことがありません。(笑)全てNAエンジンなのです。

まずは4気筒、これは車重が軽く、エンジンも回るので以外と好きです。ただし、装備過多になり重い車は駄目です。近年はこれにスモールターボを付けて燃費をよくしてエコカーとしていますが、どうなんでしょうね・・・

次に直列5気筒、まあこれは直列6気筒には遠く及びません。ボの付く会社エンジンです。

次は6気筒です。これにはV型と直列があります。V型はエンジンをコンパクトに出来るのが利点なのですが、トルクも伸びもありません。しかし、日産やベンツの多くがこのエンジンにシフトしているのが不思議です。開発費でしょうか・・・・

次に直列6気筒です。問題なのはエンジンの大きさが決まってしまって設計の自由度が少ないことです。しかし、エンジンはよく回りますし、そのスムースさはピカ一です。何とか残してほしいエンジンの一つです。

そして8気筒です。直列はその大きさから言って無理なので、ほとんどV型になります。V型といってもロールスやレンジ(少し昔の)に代表されるロングストローク型とショートストーク型があり、ロールスのエンジンフードが高いのもこのエンジンありきだからだといいます。60年代以降の大排気量のアメ車はほとんどがこれです。

ロングストロークは所詮ECOとは無縁です。ショートは色々と改造されているようです。V型12気筒はさらにこれに気筒を一づつ加えたもので、基本的にはショートストロークになります。

そしてもう一つが水平対向6気筒です。いわばフラットシックスです。このエンジンはとにかくバランスがよく互いのエンジンが共振し、すっとブレがなくなります。吹けあがりはV6とは全然違います。

よくもわるくもよくここまで色々なエンジンを乗ってきたと思います。

あえてもう一度乗りたいまたはこのまま乗りたいエンジンを上げるなら、フラット6とストレート6そしてV8です。何故、V8かって?だってゲレンデのような大きな車V8じゃなけゃ走らないですよ・・

ゲレンデなきゃさくらとセプはお留守番ですから・・・

お薦めの本

土曜日に熱を出してからやっと昨晩まともにものが食べられるようになりました。

夏風邪は馬鹿に出来ませんね・・・反省です。

ところで私はみすず書房より目録が送られてくるので、面白そうな本があると近くの本屋さんで探し、どうしても手に入らない場合はネットで取り寄せています。

今回はそんな2冊のご紹介。

1冊目はこれは発刊されたばかりの本です。詩集「コルタカ」で萩原朔太郎賞を受賞した小池昌代氏の本を読む喜びを素直に説明している本です。

中でも小池氏も取り上げている「精神科臨床の場所」という本の中で杉林稔氏が書いていた「人と人の間に、釣り糸をおろして」という文章は私もどきっとしたのでよく覚えています。

もう一冊は鎮目恭夫氏の「ヒトの言語の特性と科学の限界」です。これはチョムスキーの言語における科学的限界を読んだり、興味のある方には最適です。チョムスキーやウィナーをテコに考え直そうとするものです。

目録はアンチョコかもしれませんが、中々毎日のように新刊が発刊される中面白そうだと分かりません。もっとも期待外れの場合もあります。ならばしばしこのような選択から選ばざる得ないでしょう・・・・