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2013年1月31日木曜日

水随方円器、人随善悪友


水随方円器、人随善悪友

私自身は海外生活もなく、妻に言わせればドメスティックオンリーな我が家ですが、幸いにも私の周りには海外で華々しく働いてこられた方や今も若い人に負けずにバリバリに頑張っている友人も多く、いつも色々な面でインスパアされています。
そんな環境もあり、息子にはどんどん海外に行って色々な人と交わって欲しいと思っています。というのは息子の周りにも大変優秀でも海外での研修や研究は意味がないと折角の渡航を止めてしまう若者も多いと聞くからです。本当にそれは意味がないのでしょうか。
私の様なロートルになると全ての事象,事柄は人との出会いで始まると思っています。私の恩師が言う人の「縁」というものです。

私の仕事は色々な人の生活を垣間見ることになります。その中でいつも思うのは全ての物事が成るようにして成っているということです。
魚が住む水を選ぶように、人にはそれぞれの環境があります。そしてその環境を変えない限り、その人の成長も止まってしまうということです。
もっとも悪い環境に変われば人も悪くなる訳ですから、綺麗な水の上流を目指さねばなりません。

昨年、山代温泉のある旅館に行ってきました。そこには金沢21世紀美術館に展示してあった、方丈というオブジェが展示してありました。
ご存知のように方円器とは漢詩の「水随方円器、人随善悪友」から来ているものです。
水は器によって丸くも四角にもなるように、人間も友によって善人にも悪人にもなるという例えです。そのオブジェを見て、人の人生はその流れる水そのものだと思ったものです。それほど如何様にも変化することが出来るものなのです。
今息子はロサンゼルスに行っています。日本とは全く違う環境で、いつもの人とは違う人達と研究をしています。私にとっては研究の実成果よりこうして海を渡って、見知らぬ土地で生活し人と出会うことが彼のこれから成らせる大きな果実の養分になればと思っているのです。

そして水到渠成の言葉通りです。



ささやかな楽しみ



この季節になるとささやかな楽しみが増える。もっとも花粉症という難苦を替わりに背負うはめになるのだがそれでもマスクをして戸外に出て、小鳥のえさ箱にそっとみかんやパンの屑を置いてくる。
テレビでも紹介されていたが私と同じように小鳥が来るのを楽しみにしている人も多いようだ。
今の時期はメジロ、ヒヨドリ、シジュウカラだ。シシュウカラはかんきつ類より稗や粟を好む。みかんはメジロとヒヨドリの人気メニューで取り合いになる。取り合いと言っても大きさの違う2羽だからヒヨドリが居ない隙にメジロが食べるので、ヒヨドリの死角になるところにもみかんを置く。メジロは必ず2羽で現れる。低い茂みに身を隠し、そっとえさ場に近づいてくる。そこにいくとヒヨドリはえさ場から離れた止まり木でこちらのようすを窺っている。ヒヨドリも一羽ずつ性格が違うようだ。メジロがいても我関せずと食べ続ける鳥もいれば、一目散にメジロを追い払ってから食べるものもいる。そんなやつが別のヒヨドリから追い払われたりすると、これはまた面白い寸劇を見ているようでもある。
野鳥だから警戒心も強く、普通は人影が近づけば逃げるのだが、ある年の鳥は違った。そう2年前の震災の直後だった。私が戸外に出ても逃げないのだ。手から餌を取ることはしないが、宙に放り投げるとそれを直接キャッチして食べたのだ。それ以来、その年はずっと空中キャッチの連続だった。あれは震災で元気をなくした人間への哀悼だったのかもしれない。
私は幼い頃文鳥を飼っていた。最初の一羽はふつうの色をした文鳥だったが、2羽目は真っ白な文鳥だった。ピーコと名付けた。ごくありふれた名前のその鳥は頭が良かった。人の声を聴き分けられた。私と母が同時に呼ぶと必ず私のところにきた。私は誇らしかった記憶がある。文鳥は繁縷が好きだった。幸い畑でなく河原のそれは農薬の心配もなく、それでも綺麗に洗って文鳥に与えていた。手の中で眠るその鳥は暖かく、幼い子供の友達だった。母が余計な事をした。毛づくろいをする鳥を何か虫が付いて痒がっているのだろうとDDTをかけた翌日冷たくなっていた。
あれから四半世紀今でも動物が好きだ。でも籠の鳥はもう飼わない。可哀想だから。こうして自由にきままに遊びに来る鳥たちと楽しんでいる。