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2012年1月13日金曜日

Helter Skelter

私がレインボーやツエッペリンを聞くきっかけとなった曲がこの「ヘルタースケルター」です。

当時、この激しい演奏に何故か惹かれていました。

ヘルタースケルターの原意はすべり台と知ったのもその頃でした。

もちろん、この曲の意味は「ひっちゃかめっちゃか」という感じでしょう。




東日本大震災  白黒まだら模様

塩釜にいって驚いた。沿岸部の被害はひどいものだが、特に訪れた西塩釜駅周辺はほとんど被害を受けていない。

岩沼の津波の映像を観て、すべからくあのような被害が起こっているものと決めつけていたのである。

人々は地震の恐怖を今も思い出すという。しかし、冷静に考えれば地震によって倒壊した建物で死んだ人は少ないのだ。あの地震は被災地でなくても電車を止め、帰宅難民を輩出した。

すべからく多くの人が被害を受けたのだ。

直接、家族や知人の人命を失った人、家や家財道具を失った人はもちろん私たちと比すべくもない悲しみと大きなダメージを受けた訳だが、同じ地区であってもこんなに違いがあるのだ。

義父の家族は宮古にいるが、全員無事だった。家も壊れた人はいない。たまたま家が新興住宅地で港から離れた高台にあったのだ。

私たちは2項対立を好む。白黒つけたがる。しかし実際には白もあれば黒もあるのだ。

この目で見て、ますます3.11後の建築と社会システムという三浦展氏の本の事が思い出された。

政治家が総論で復興政策を論ずる無意味さを改めて実感した。

アメリカが普通の国になる

ガイトナー氏が急遽日本にやって来てイラン産の原油の輸入削減を求めてきた。

政府は何も議論せぬまま輸入削減の方針を打ち出した。これっておかしくない??

つい先日、アメリカは世界の警察ではなく、各国が自力で戦備を務めるように訓示したばかりだ。

イラク戦争の誤謬、アメリカ国内の世論、どれをとってもアメリカは仮にオバマが再選したとしてもこのような特別な国からの変化を求められることになろう。アメリカは特別な国だったから同盟国は有無も言えず協力してきた。しかし、普通の国になったらどう??

昨年初頭、Sパパの薦めで「村田良平回想録」という元外務次官の記した本で戦後の日本の成り立ち、日米安保について考察した。



確かにあの時代の必要性は分かる。しかし、どうだろう今の現実は・・・・

フランスも極右が台頭している。フランスもドイツもユーロの結束をアピールしているがユーロ離脱が囁かれ足元から崩れかけている。

グローバリズムの反動はナショナリズム、ローカリズムだ。これ当然の成り行き。

日本はイランとアメリカとは違う接し方をしてきたはずだ。民間が一歩一歩、プロジェクトを立ち上げ契約した結果特別な関係を持てた。

アメリカとは違うのに過去の政策の延長のような外交。アメリカも矛盾している。

アメリカという国家はその特別さにおいて、影響力を持ってきた。しかし、それが普通の国になるようなら世界秩序はどうなるのであろうか。

ウォーラーステインが説いたようにに世界は経済システムによってのみ存在し、軸の無い無秩序の関係になるとしたらアメリカと共に日本の凋落は避けて通れまい。

政策の無い財務大臣、外交戦略の無い外務大臣・・・・・・誰に変わっても案山子の首のすり替え程度だ。