子供が生まれてすぐ、ある人から言われたことがあった。子供に本を好きにさせるコツは強制的に読ませないことだと。学校で夏休みの宿題としての読書感想文など戦前の思想教育そのままで子供の自発性を育てない悪癖だとも言っていた。今は昔のように全員が同じ本を強制的に読むのではなく、何冊かのうちから選ぶという幾分選択の幅が広がったもののその考える根っこは同じである。
その人は子供にとって良い本を与える必要はないと言っていた。大人が本を読みその本を片付けずにテーブルでも机でもどこでも良いから子供が手にすることの出来る場所に置いておくことが肝要なのだと。読む、読まないは子供の自発性に任せれば良い。
植物も水を与えすぎれば根腐れする。自分で成長するためには適量の水、それもやや少ない位の水を与えるだけで植物の生命力を生かすことは、子供の教育にも当てはまる。
私は自分がそういう環境でなかったから、一層そのことの重要性が分かった。もっとも私の方は水が多すぎたわけではなくほとんど与えられなかった方なのだが。
息子が中学の時、一度先生の面談に行ったことがある。教員室の書庫を見て大学の研究室かと見間違えるほどその蔵書は充実していた。
あるときウォーラーステインの世界経済システムについて中学になったばかりの息子に嵩をくくって息子に聞くと、するするとそのオリエンタリズムの問題点まで検証した答えが帰ってきた。これには驚いた。
知らず知らずのうちに読んでいるのだ。親が何も言わなくても、目の前にある本は知識の原石だ。それを見過ごすことが出来なかったのだ。だから私は雑多な本の中に他の大人が青臭というようなものも進んで読んできた。
Ç P スノウが二つの文化の中で文系の学問と理系の学問が乖離し、ともに接合点を持たないと悲観したが、そうでもあるまい。
サンデルやハイティントンの理論の問題点、センの思想的体系を理解し、その上で理系分野の学問を習得できないとは限るまい。そのためにもやはり読書は第一歩だと思うのだが。