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2009年11月17日火曜日

ドミートリエ・ドミートリエビッチ・ショスタコービッチ


皆さんはこのショスタコービッチという作曲家をご存知でしょうか。私が実際に聞いたのは数枚の交響曲のCDのみですが、この作曲家の真髄は「反スータリニンズム」として「表の裏の裏の裏」ように飄々と専制主義を批判していることにあります。


反復されるカノンが不安を増大します。さらに歓喜しているはずの民衆が実際には歓喜していなかったり、その内容はあきらかに「反スターリニズム」です。


社会主義や共産主義が個人の自由を認めないのは周知ですが、この若き作曲家には図太い批判の精神が息づいていたのです。交響曲以外にもジャズやポップスにも興味があったようです。


そう私の眼鏡はこのショスタコービッチを真似たのです。永井荷風ではありませんぞ!


This is it


妻が私をさしおいてさあいよいよだとばかり「This is it」に出掛けました。私は「ジャイケル・マケソン」程度でマイケルを語るつもりはありませんので、いいのですが、それにしてもみんなこの話題でもちきりです。
犬友のFご夫妻も、大学の友人K女史もみんな観に行っています。そういえば以前の会社のひとつ後輩で某航空会社人事部長のT氏もPVを見ながらマイケルにはまっているといっていました。

年代の違う会社のT女史に聞くと「興味はあるのですけど・・・・・」とやはりそこまでではないようです。


これはこの年代のスモールブームなのでしょうか。それにしても恐るべきマイケル!!死んだ後でこんなに見られる(稼いでいる)のは彼ぐらいかもしれません。画像は配給元のソニーピクチャーズよりお借りしました。

いいまつがい 金の本  銀の本

「いいまつがい 金の本」、「銀の本」も両方持っています。今度文庫版も購入しましょう。この本を妻は子宮筋腫の手術をした犬友のお見舞いに持っていったそうですが、面白すぎて手術後には不向きのようです。本人より傷口が痛いと苦情申し立てを受けたようです(笑い)

漢文の話をした後で何なんですけど、私も投稿と全く同じ読み間違いをしたことがあります。

看板に「相撲女子大かるた部」と書いてあったので、どんな大学かと思ってよくよく見ると「相模女子大かるた部」でした。本気でそう読んでいました。まあそれ以外にも息子に飛行機から地理の勉強よろしく「あそこが関門海峡だよ」といおうとしたところ、あそこが「こうもん環境」だよといったり、「スマップ」のことを「スマッペ」といったりして一人でお腹を抱えて笑い転げたりしているので、割とそそっかしい訳です。

読めない漢字

明治の時代の人はひととおり教養のあった人は漢語の知識も持ち合わせていました。

専門的に漢文を習得した訳でもなく漢文に弱い自分を痛感します。

本日読めなかった漢字です。

万斛=バンコク コクは計りの単位です。一斛は十斗です。
冉冉=ゼンゼン ゼンは長くたれた髭のことです。
盥漱=カンソウ カンはたらいのことです。
鱟=カブトガニ 兜蟹とも書きます
曩日=ドウジツ 曩で「サキ」とも呼びます しばらくの間

死ぬまで勉強です。

シーラカンス 稚魚発見


シーラカンスは(英語名Coelacanth)シーラカンサスと呼び、ラテン語のCoelacanthusでCoela=中空のAcanth=脊柱の造語から形態的に命名されたようです。


コモロ諸島で発見された映像を目にしたことがあるかもしれませんが、今回のニュースはインドネシアでのその稚魚が撮影されたと言うことです。稚魚でも30センチあるそうです。


水深は成魚ほど深くなく、比較的浅いところで見つけられたようです。


シーラカンスとは直接関係はありませんが、我が家では魚類の分類やちよっと調べるときに東海大学出版会より発刊されている魚類図鑑を使っています。他の魚類図鑑もありますが、この本が一番詳しく生態まで記載されています。チト高いのが難点です。

銀杏のまな板


今建築を依頼しているS建築さんに無理をいって筑波大学付属駒場中学・高等学校の更衣室建設のためやむ得ず伐採した銀杏の木で作ったまな板を戴きました。
妻もささやかながらこの更衣室建設のためバザー委員で寄付金を集めたりしておりました。
私は私で体育祭の息子の相撲をこの銀杏の下で見ていたことを思い出します。
このまな板は使わずに息子が家庭を築いたときに渡してあげましょう。心のこもった本当によい贈り物です。
今私は御礼の手紙を書き終えて、コーヒーを飲んでいます。アロマポットの新種ユーカリの香りがしてきました。天気は下り坂です。山中湖行きは日延べしました。「月の光」は心安らぎます。

吉田修一 「横道世之介」




パレードで山本周五郎賞を受賞した吉田修一氏の小説は「パークライフ」も読んでいますがイマイチといったところでした。
今回の人をくったような名前の主人公「横道世之介」はどこにでもいるような普通の大学生です。その大学生のごく短い期間を区切って日記のように若者の心理を炙りだしています。これは面白かったです。読書時間2時間50分でした。

読み始めは私たちの若い頃の六本木、新宿、高田馬場とたぶって「ビブロ」「ヘンリーアフリカ」と場面まで浮かんでいたのですが、読み進むうちに「アレッ?」と感じました。
そう微妙に違うのです。私たちの頃はまだ主人公の通うH大学は高層ビルにはなっていなかったし、BMも前の形でした。そう微妙に時代が違うのです。大きな違いではないのですが、時間が積層的なものだとしたら、それがそのままずれたような感覚です。なんか気持ち悪い「ズレ」です。人間はおおきな「ズレ」なら享受できますが、わずかな気持ち悪いズレには弱いものです。それを意図していたらかなりのテクニックです。もっとも作者と私が9歳違いなのでそのことが起因しているようですが・・・・・・
それともう一冊ブログにもちょくちょく登場する内田樹氏の「日本辺境論」です。息子は氏の著作をプチインテリと称してあまり好きではないといっていますが、私にはこのプチインテリがいいんです。大インテリだったら理解に時間を要します。この著作は「論」とはなっていますが、著名人を並べ立て、どう思うのと読者に問うているようです。
初冬の2冊です。