40歳の時、髄膜炎で入院したのをきっかけに、ブライベートでは嫌いな人、尊敬できない人とは付き合わないと勝手に決めました(笑)我儘な性格ゆえ元来友人の数も多い訳でなく、そこに来てのこの判断どうなるものかとほんの少しは心配でもありましたが、この20年近くを振り返ってみるとその関係はあまり大きく変わらないことが分かったのです。
私の場合、高校や大学の友人以外では、仕事関係の友人は少なく、どちらかというと家の近所でただ犬を飼っているということだけで集まった人達と20年来楽しく付き合わせてもらっています。さらにこのメンバー全員夫婦、家族単位でのお付き合いという点も特筆できます。年齢的には私達と同世代のご夫婦、そして一回り上のご夫婦、さらにその上のご夫婦といった具合で年齢的にも職業的にもバラバラです。ただ一つ言えることはそれぞれのご主人はその本業においてエキスパートであり、人格的にも尊敬できる人たちばかりです。
先日もその一人のドクターのご自宅でのBBQパーティがありました。このパーティも突然思いついて開催するのではなく、20年同じような季節に、同じような環境で、同じ手作りの料理を出してくれているのです。私などドクターの作るこのタンシチューを食べないと冬がやってこないくらいですから(笑)ドクターの多忙な時間を割いて私達のために美味しいタンシチューを作ってくれることで私達は幸せのおすそ分けを頂いているようなものです。毎年同じような時期に繰り返されるこの行為は回を重ねるたびに、その行為そのものがアイデンティティ化されていくのです。
12月にも別の友人のご自宅で同じように恒例のクリスマスパーティが開かれます。参加する私達はただ感謝しかありません。
同じような時期に、同じような手料理を出し、皆んなに幸せを分け与える、とても素敵なことです。ある著名な人が言っていました「手料理でもてなすことこそどんな高級のフレンチや懐石料理より、最上の接待である」私も同感です。
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2018年6月27日水曜日
時間は一様ではない
時間は一様ではない。
我々は子供の頃、早く大人になりたいと毎日毎日時間の経過を待ち望んでいた。ただ、月日が経つ事を・・・
時は過ぎ我々は大人になり、伴侶を得て、忙しい子育て、働き盛りの最中にはどうしても1日はこんなに短く早く時間が過ぎ去ってしまうのだろうと天を見上げて恨んだ。時間が駆け足で過ぎていく時代だった。
艾年を過ぎ子供は成長し家を出て、娘は嫁ぎ、家には妻と二人の時間が流れる。時間はゆったりと静かに流れる。
人生における時間は川の流れに似ている。私はこうした川の流れに抗う人を見てきた。多くの場合、ほとんど失敗だ。どんなに若作りをしても50歳は50歳で、また、大人びた格好をしていても中身は子供のままだ。そんな訳で端から見ていても滑稽であるし、うまくいく道理はない。
この大きな川の流れの最後は海に繋がる。そしてその水が蒸発して雲を作りまた雨となり、大地に降り注ぐ。
若い時には若い時なりの時間、壮年期にはまたそれなりの時間があった。残念ながらそれが分かるのは海が見え始めたあたりからだ。上流や中流の強い流れの中では今を見ているのが精一杯だから。
大いに今の時間を楽しもう。人生は一度きりなのだから。多くを巻き込んで、こだわりは良い。でもリリースする事を忘れて我欲に走るのはいけない。
我々は子供の頃、早く大人になりたいと毎日毎日時間の経過を待ち望んでいた。ただ、月日が経つ事を・・・
時は過ぎ我々は大人になり、伴侶を得て、忙しい子育て、働き盛りの最中にはどうしても1日はこんなに短く早く時間が過ぎ去ってしまうのだろうと天を見上げて恨んだ。時間が駆け足で過ぎていく時代だった。
艾年を過ぎ子供は成長し家を出て、娘は嫁ぎ、家には妻と二人の時間が流れる。時間はゆったりと静かに流れる。
人生における時間は川の流れに似ている。私はこうした川の流れに抗う人を見てきた。多くの場合、ほとんど失敗だ。どんなに若作りをしても50歳は50歳で、また、大人びた格好をしていても中身は子供のままだ。そんな訳で端から見ていても滑稽であるし、うまくいく道理はない。
この大きな川の流れの最後は海に繋がる。そしてその水が蒸発して雲を作りまた雨となり、大地に降り注ぐ。
若い時には若い時なりの時間、壮年期にはまたそれなりの時間があった。残念ながらそれが分かるのは海が見え始めたあたりからだ。上流や中流の強い流れの中では今を見ているのが精一杯だから。
大いに今の時間を楽しもう。人生は一度きりなのだから。多くを巻き込んで、こだわりは良い。でもリリースする事を忘れて我欲に走るのはいけない。
2015年9月8日火曜日
うなぎクライシス2
私の育った街は川に囲まれていた。家のすぐ裏手には渡良瀬川が流れていた。当時は悪名高い足尾の鉱毒こそ流されなくなったものの、様々な生活排水が流れ込み綺麗ではなかった。魚といえばハヤ(私達はそう呼んでいた=ウグイ 鯎)や毒魚のギギなどしかいなかった。それでも少し足を延ばし支流に行けば山女や岩魚をとることもできた。
両親の友人一家が引っ越していった郊外の住宅地にも小さな川が流れていた。その川にはイモリやうなぎがいた。うなぎといってもお腹に斑点がある八つ目うなぎである。この八つ目うなぎを獲る時に使う魚篭(びく)は入口に返しがあり、魚が逃げない工夫がなされていて、その一番奥に石で潰したタニシを布に包んで入れていた。一晩経ってその魚篭を上げてみるとまんまとうなぎや川ガニが入っているという訳である。私はこの八つ目うなぎを一度も食した事がないし、たぶんこれからも食すことはないと思う。生活に近すぎた食材というのはこんなものである。
話は変わるがうなぎの卵が遠く北マリアナ海溝で見つかったとテレビで放映されていた。うなぎは稚魚(シラスウナギ)を河口で捕り、これを養殖させるわけであるが、うなぎの生態は未だ詳しくは解明されていない様子である。また近年、天然の稚魚が激減しているという。稚魚の値段がうなぎ昇りだと。うなぎが食べられなくなったら困るので研究の一早い実用化を望むところだ。
私が幼いころ、本当に偶にであるが、両親がうなぎを食べに近くの店に連れて行ってくれた。その店は家からそう遠くない(当時の私にはとても遠く感じたが)ところにあった。群青色の暖簾に白抜きで「うなぎ」と書かれていたその店のうなぎは本当に旨かった。
うなぎが好きな人と嫌いな人が分かれると言う。あの姿が苦手だと言う人もいれば、美味しいうなぎを食べたことが無いという人もいる。直木賞をとった四国出身の男性作家は後者で大人になって初めて美味しいうなぎを食して好きになったと本に書いてあったが、私の場合は少し違う、つまり原体験は美味しかったのだ。子供にうなぎの味が分かるはずもないと叱責されそうだが、あのうなぎは確かに美味しかったのだ。
上京してうなぎを食す機会が無かったわけではない。しかしながら貧乏学生、薄給のサラリーマンの食べられるそれはどれも身は硬く骨っぽく、表面には水飴の様なベットリしたものが付いていた。かくして私は暫くうなぎからは遠ざかることになったのである。
関西は腹開き、関東は背開きという。私にはどうでもよい。それより、うなぎを蒸すか蒸さないかは重要であった(過去形)
私はつい最近まで関東風の蒸した柔らかい鰻が好きだと思っていた。東京で食べるうなぎの殆どがこの作り方であるからだ。ところがある御仁からそれは関西風の美味しいうなぎを食べた事がないからだと指摘された。味のわかるその御仁のご高説もっともである。ならばと、娘の住む岡崎に向かい駅至近の「はせべ」という店で食した。待つこと30分、運ばれた白焼きと鰻重を食べた瞬間、私の浅はかさを恥じたのである。旨い。外はパリッとしていて中はふっくら、タレも甘すぎること無く、完全に私の想像を超える旨さである。。それ以来、蒸す、蒸さないで判断することはしないことにした。
関西と関東の違いは何からくるのであろうか。色々な本で調べてみると、うなぎそのものが一番の理由だったようである。例えば産卵のために川を下るうなぎと上るうなぎではその肉身は違うであろうし、四万十川のうなぎと利根川のうなぎでは違う。そこで背開きや腹開き、蒸さないうなぎ、蒸すうなぎと調理方が別れたようである。地産地消が一番ということらしい。
しかしながら、江戸前の蒸すうなぎが嫌いになった訳ではない。それはそれで美味しい店がある。東京もさることながら鎌倉の由比ガ浜通りにある「つるや」、辻堂の分かりにくい住宅街にある「うな平」は三指に入る旨さだ。特に「うな平」の肝吸いは素晴らしい。
豊橋に「丸よ」という店がある。豊橋はどうやら関東風と関西風の境界らしい。この店のうなぎは特別に美味しいということから別品=別嬪、べっぴんと呼ばれ、時代と共に意味が拡大し美しい女性を別嬪と呼ぶようになったと聞くが、なんともうなぎが転じたとは面白い。ここのうなぎは裏返して並べられる。何でもそのほうがタレがしっかりと掛かっていると見えるということらしいが、やはり見た目も大切、私はこれには賛同いたしかねる。
一度だけ海外でうなぎを食べたことがある。日本式のうな重である。食べたのは高級ブティックが立ち並ぶパリのサントノーレ通り。お昼時を過ぎたそのお店は比較的空いていて私たち以外に数組の客がいただけだった。東麻布に本店があるその店はガイドブックに載っている有名店である。日本と同じように三十分以上待って恭しく運ばれてきたうなぎを食して愕然とした。まるでゴムのようである。噛み切れない。たれやご飯は普通に美味しいのにうなぎが全然違う。あたりを見回すと、金髪を肩のあたりまで伸ばして指には数カラットもあろうかと思う宝石を身に付けた日焼けしたマダムが何も言わず美味しそうに食していた。あとで分かったことなのだが、どうも欧州のうなぎは日本の物とは種類が違うらしい。
うなぎには綺麗な水が必要といわれる。うなぎの臭みを抜くために一、二日その綺麗な水の中で活かしておくことが必要らしい。老舗のうなぎ屋には必ず井戸があってその水が大切な役目を果たすようだ。三島は富士の伏流水が市内至る所に流れていてこの水を利用してうなぎ屋が多いことでも有名である。偶然にも銀座からこの三島に終家(居だけでなく事務所も)を移した弁護士の先生がいることもあり、三島に出掛けることがある。というよりこのうなぎを目当てに仕事を無理やりつくっていると勘繰られそうであるが、私は三島広小路の「桜屋」が好きである。ここのうなぎはふっくらしている。そして臭みが例によって綺麗に消されている。店の裏手を覗くとこれから調理されようとしているうなぎが水色のプラスチックの大きな籠の中で元気に動いている。それを若い職人が数匹選んで調理場に持っていく。
世の中に天然もの礼賛の流れがあるが、私はこれに異を唱えたい。既出の東麻布の店でもまた横浜の某店でも天然うなぎを提供するが、恐ろしく値段が高い割上に脂が無かったり硬かったりとバラつきが多い。
渋谷に「うな鐡」という店がある。今は区画整理され綺麗になってしまったが、井の頭線の出入り口に程近い大衆店である。私の様な薄給のサラリーマンでも何とか食べられる店だった。この店はうなぎを水に付けて焼く、それによって無駄な脂が程良く落ちて、よく蒸したうなぎに近い味の物を提供する。千円で食べられるうな丼、今はどうなっているのだろう。
うなぎ懐石なる店がある。フランスのタイヤメーカーのランキング本にはこの手の店が星を付けて載っているが私に言わせればうなぎはうなぎである。邪道以外の何物でもない。
数十年前に私の車の師匠でもある翁に帝釈天の参道にある「川千家」に連れて行ってもらった。焼き方、蒸し方、タレ全てが私の好みだった。一辺で好きになった。小一時間待たされるのはご愛敬である。
老舗のうなぎ屋の中には予約の中々取れない店もある。浅草にある店もそうである。予約が取れないのは仕方ないにしても、あの無愛想な電話の応対は如何なものであろうか。人柄の良いご主人が焼くうなぎは辛口でさっぱりしていると、かの作家も書いていたのに残念である。神田明神下にある店も食わしてやるという気持ちが見え見えである。ごめん被りたい。
本店は神田にある「菊川」も好きである。近いので用賀の店に行くことが多いが、この店は最初から「うちは味の不安定な天然ではなく吟味した養殖物を使う」と明言している潔さも良しとしたい。特にお薦めは白焼き。
あーあ、お腹が空いてきたまだ九時だ。今日は墨田区に行く所用がある。帝釈天も程近い、よしと思う横から今日は時間がないと言われた。言われれば言われるほど食べたい。それがうなぎである。曼の意味を持つ、「つやつやのふっくらしたうなぎ」こそ「うなぎ」=鰻なのである。
最後に私が幼かった頃食べていたうなぎは「蒸さないうなぎ」だったことを補記したい。
2015年9月改訂
2015年6月11日木曜日
カーグラフィック#28 メルセデスの真骨頂 E350 D Blueteck
デーゼルエンジンというのが今ひとつ好きになれなかったのは、日本の軽油と欧州車のエンジンの相性が今ひとつ良くなかったことと、あのカラカラという音が原因です。
最近のディーゼルエンジンは大分良くなっていますが、先日、乗ったBMW320Dは相変わらずこのカラカラ音が聞こえました。
メルセデスは独特の遊びのあるハンドリングが路面の粗さをイナしてくれるサスペンションに話題が集中しますが、実はこのディーゼルエンジンこそメルセデスがずっと改良を続け熟成させてきた技術なのです。
G350はこのブルーテックというディーゼルエンジンを搭載しています。ディーゼルの特徴である分厚いトルクはこうした重量のある車ではアドバンテージになります。
実際とても扱いやすく、街なかではベストなチョイスだと思います。
惜しむらくは左ハンドルがあればという私の希望ですが、残念ながら右しか日本には入ってきていないようです。
このE350Dも同じブルーテックエンジンです。もちろんカラカラ音は聞こえません。電子制御のデバイスが満載で使うには慣れが必要でしょうが、慣れればらくチンです。
ただ、見た目以上に車体が大きく、最近の流行からか後部に向けてウィンドゥが絞られているため見切りはあまり良くありません。
内装は最近のメルセデス流のモダナイズされています。さらにAMG仕様なのでホイールや装備もスポーティです。
メルセデスのディーゼルエンジン、これは本当に良いですよ。ただ注意をしないとスタンドの従業員にレギュラーを入れられる恐れがありますので必ずご確認を・・・
最近のディーゼルエンジンは大分良くなっていますが、先日、乗ったBMW320Dは相変わらずこのカラカラ音が聞こえました。
メルセデスは独特の遊びのあるハンドリングが路面の粗さをイナしてくれるサスペンションに話題が集中しますが、実はこのディーゼルエンジンこそメルセデスがずっと改良を続け熟成させてきた技術なのです。
G350はこのブルーテックというディーゼルエンジンを搭載しています。ディーゼルの特徴である分厚いトルクはこうした重量のある車ではアドバンテージになります。
実際とても扱いやすく、街なかではベストなチョイスだと思います。
惜しむらくは左ハンドルがあればという私の希望ですが、残念ながら右しか日本には入ってきていないようです。
このE350Dも同じブルーテックエンジンです。もちろんカラカラ音は聞こえません。電子制御のデバイスが満載で使うには慣れが必要でしょうが、慣れればらくチンです。
ただ、見た目以上に車体が大きく、最近の流行からか後部に向けてウィンドゥが絞られているため見切りはあまり良くありません。
内装は最近のメルセデス流のモダナイズされています。さらにAMG仕様なのでホイールや装備もスポーティです。
メルセデスのディーゼルエンジン、これは本当に良いですよ。ただ注意をしないとスタンドの従業員にレギュラーを入れられる恐れがありますので必ずご確認を・・・
2015年5月11日月曜日
911礼賛
私が911のハンドルを初めて握ったのは30代のはじめだった。知り合いの乗っていた911を箱根のターンパイクでほんの少し借りて運転した。運転の喜びなんて全く感ぜず、ただ不安定な乗り物に肝を冷やした。のぽり坂であっけなく前輪のトラクションは無くなるし、ハンドリングが楽しめたどころではなかった。もっともその車のボンネットには20kgの砂が入っていたのだが。
そんなイメージの911だったから新しいタイプが出ても私の耳目を弾くものではなかったし、実用車の必要な私としては乗りたいという気持ちにもなれなかった。
ところが40代の半ば過ぎ、ある機会で997に試乗した。まず走りだしてシャシーの堅牢さに驚く、まるで金庫のようだ。さらに抜群に扱いやすくなっている。トラクションを失うこともないし、普通に走っていれば国産のセダンのように乗りこなせる。その歳まで十数台を乗り継いできた私だがどの車とも違っていた。
当時のポルシェはカイエンの成功でフォルクスワーゲンをいわば小が大を飲み込む買収がなされるのではと噂されたが、結局、現実にはフォルクスワーゲンの傘下に入ってしまった。
この頃、997の後期型が発売された。今のPDKを搭載したモデルだ。
興味のあった私は前期と後期で察かに乗り味が変わっていることに驚いた。さらに走りやすくなっていた。もはり箱根で冷や汗をかいたそれではない。
さらにほとんど全てを見なおした991がデビューした。もちろんこれも試乗したが、ラグジュアリーなGTカーへの方向はさらに進み、誰もが乗りこなせる911だった。
もはや2駆と4駆の差はほんのわずかだった。
そんな時、私の911はどれなんだろうと考え始めた。空冷のナローポルシェは私の腕には乗りこなせない。かといって最新式の911もラクジュアリーすぎるし値段も高い。そこで997の前期型に照準を絞った。走行距離の少ないベーシックな個体だった。
たまたま通りかかった店に素のカレラではないカレラSがあった。内装はスタンダード、色は黒だった。翌日には契約書にサインしていた。
それから911との生活が始まった。普通に乗りこなせるとは言え、RRの特性ゆえ、雨の日のスリップはコマ運動が怖い。もちろんLSDを外して乗ることは禁句だ。
それとこの車、大型車と一緒に走るのが気持ち良い。いまどきのエコカーのようにギアアップしないからだ。
一方、高速での安定性は抜群だ。ワイドボディと扁平率の高いタイヤが効いている。全長が短いがピッチングは皆無だ。ただし、スポーツモードにしてダンパーを強めれば、助士席の車酔いが現れる。
そんなマイ911だが、かれこれ5年目を迎える。タイヤ交換を一回した以外、掛かったのはリアランプの球交換ぐらいなものだ。
ホイールが好きになれないのが唯一の瑕瑾といえば瑕瑾なのだが。まだまだ飽きそうにない。
そんなイメージの911だったから新しいタイプが出ても私の耳目を弾くものではなかったし、実用車の必要な私としては乗りたいという気持ちにもなれなかった。
ところが40代の半ば過ぎ、ある機会で997に試乗した。まず走りだしてシャシーの堅牢さに驚く、まるで金庫のようだ。さらに抜群に扱いやすくなっている。トラクションを失うこともないし、普通に走っていれば国産のセダンのように乗りこなせる。その歳まで十数台を乗り継いできた私だがどの車とも違っていた。
当時のポルシェはカイエンの成功でフォルクスワーゲンをいわば小が大を飲み込む買収がなされるのではと噂されたが、結局、現実にはフォルクスワーゲンの傘下に入ってしまった。
この頃、997の後期型が発売された。今のPDKを搭載したモデルだ。
興味のあった私は前期と後期で察かに乗り味が変わっていることに驚いた。さらに走りやすくなっていた。もはり箱根で冷や汗をかいたそれではない。
さらにほとんど全てを見なおした991がデビューした。もちろんこれも試乗したが、ラグジュアリーなGTカーへの方向はさらに進み、誰もが乗りこなせる911だった。
もはや2駆と4駆の差はほんのわずかだった。
そんな時、私の911はどれなんだろうと考え始めた。空冷のナローポルシェは私の腕には乗りこなせない。かといって最新式の911もラクジュアリーすぎるし値段も高い。そこで997の前期型に照準を絞った。走行距離の少ないベーシックな個体だった。
たまたま通りかかった店に素のカレラではないカレラSがあった。内装はスタンダード、色は黒だった。翌日には契約書にサインしていた。
それから911との生活が始まった。普通に乗りこなせるとは言え、RRの特性ゆえ、雨の日のスリップはコマ運動が怖い。もちろんLSDを外して乗ることは禁句だ。
それとこの車、大型車と一緒に走るのが気持ち良い。いまどきのエコカーのようにギアアップしないからだ。
一方、高速での安定性は抜群だ。ワイドボディと扁平率の高いタイヤが効いている。全長が短いがピッチングは皆無だ。ただし、スポーツモードにしてダンパーを強めれば、助士席の車酔いが現れる。
そんなマイ911だが、かれこれ5年目を迎える。タイヤ交換を一回した以外、掛かったのはリアランプの球交換ぐらいなものだ。
ホイールが好きになれないのが唯一の瑕瑾といえば瑕瑾なのだが。まだまだ飽きそうにない。
2015年4月22日水曜日
捨てる神あれば拾う神もいる
先日、テレビを観ていて時代の寵児から塀の中の人と若くしてジェットコースターのような人生を経験した人が良いことを言っていました。
「過去にとらわれず、未来を悲観もせず、今を精一杯に楽しく生きよう」という言葉です。
私のようにとうに乂年を過ぎた人間は共すると自分の成功体験や経験から物事を判断しようとします。変わり続けている社会でそんな事何の意味も持たないのにです。
そしてそうしたことがバイアスとして未来を悲観したり、必要以上に矮小に評価したりするのです。
そんなことどうだって良いというのがこの言葉の核心です。今を精一杯生きていない人には幸福は決して訪れないのです。
よく言うじゃないですが、「捨てる神あれば拾う神もいる」と・・・物事は全て相対的、絶対的ではないのです。
ただ、その人は番組の中で自分は人に説明をする時自分のことを話さなかったのが、失敗の一員だと言っていましたが、確かに相手の共感をよぶために自分の過去や失敗談を披露することは、戦術の一つですが、その事が戦術だと見透かされた時に相手は更に殻を固く閉ざすことを彼は分かっていませんでした。まだ、頭で考えて行動している証拠です。
柳のように風に揺れながら、それでも折れず、靭やかさで生き抜く、そんな風になりたいものです。
勁草それが私の目指すところです。
「過去にとらわれず、未来を悲観もせず、今を精一杯に楽しく生きよう」という言葉です。
私のようにとうに乂年を過ぎた人間は共すると自分の成功体験や経験から物事を判断しようとします。変わり続けている社会でそんな事何の意味も持たないのにです。
そしてそうしたことがバイアスとして未来を悲観したり、必要以上に矮小に評価したりするのです。
そんなことどうだって良いというのがこの言葉の核心です。今を精一杯生きていない人には幸福は決して訪れないのです。
よく言うじゃないですが、「捨てる神あれば拾う神もいる」と・・・物事は全て相対的、絶対的ではないのです。
ただ、その人は番組の中で自分は人に説明をする時自分のことを話さなかったのが、失敗の一員だと言っていましたが、確かに相手の共感をよぶために自分の過去や失敗談を披露することは、戦術の一つですが、その事が戦術だと見透かされた時に相手は更に殻を固く閉ざすことを彼は分かっていませんでした。まだ、頭で考えて行動している証拠です。
柳のように風に揺れながら、それでも折れず、靭やかさで生き抜く、そんな風になりたいものです。
勁草それが私の目指すところです。
2014年12月15日月曜日
職業に貴賎なし
私にも今思うと何て馬鹿な事を言ったのか、恥ずかしくて穴があったら入りたいようなことがあります。
小学生の頃だと思うのですが、クラスの中に家が鮮魚店を営んでいる女の子がいました。その子はいつも活発で明るい女の子でした。勉強はまあまあでしたが運動神経は良く、皆の人気者でした。私はあるとき皆で話している時に「何か魚臭くない」と言ってしまったのです。もちろん悪気があった訳ではありません。ただ、その時のあの女の子の寂しそうな目とその輪の中からいつしかいなくなっていたあの子をずっと忘れることは出来ませんでした。
それ以来、職業に貴賎なし、たとえ親がどんな職業に付いていたとしてもその事で差別するようなことはしないと思ったのです。
若い頃には色々なアルバイトを経験しました。割の良い家庭教師のアルバイトに始まり、街頭のティッシュ配り、予備校の試験官、スナックのバーテンダーなど職種は本当に様々でした。
あるとき土方のアルバイトをしている時のことです。お昼に焼肉屋さんに入ろうとするとあからさまに嫌な顔をされた事があります。確かに夏の作業で汗びっしょり、泥だらけですが、一応着替えて入ったにも関わらず、ごく普通のその焼肉屋の親父は汚いものがきたというような顔をしたのです。世の中、差別が至るところに存在するのだと怒りとともに感じたものです。
それから数十年が経過し、母校のある集まりに出向いた時のことです。私達よりずっと年上の先輩がある組織を作ったというのです。その組織に加入できる条件は「一部上場企業の部長以上の経験者に限る」と言うのです。自分が蚊帳の外ということより、いい大人がそんな条件の会を組織する、その低能ぶりに悪寒が走りました。若いころに私達を蔑視したあの焼肉屋の親父と同じ目です。隣国の人に対するヘイトスピーチと根は同じです。
そんな差別は実は日本人のもっとも得意とする「そねみ」と共通するのです。
政治家の資産公開がなされるようになりました。政治家も如何に自分の資産が少なく、庶民的であるかを装うのに躍起になっています。恐らく国民の「そねみ」を買わないためでしょう。
残念です。いつになったらこの国は賞賛の国になるのでしょう。これでは三等国とレッテルを貼られても仕方ありません。差別がなくならない限り。
2014年12月4日木曜日
好きこそものの上手なれ
我が社のスタッフA女史が私の薦めた本を寝る前に読むとお腹が空いて困るというのである。
幸せな気持ちにはなるがどうにもこうにもお腹が空いて終いには読んだことを後悔するのだそうだ。
それは困った。確かに平松洋子女史の文章は平易でしかも写真付きであったりするので目からすっと胃の中に収まってしまう。
ならばと私が用意したのは開高健氏のエッセイである。
日本の文壇において氏の食と釣りに関するエッセイは三指に入ると思っている。氏は生前、物書きたるもの筆舌に尽くしがたいなど言語道断、筆舌に尽くすのだと言っている。
氏は同時に物書きたるもの筆を錆びさせることは出来ず、味覚をペンでなぞることは勉強になると言っている。
この辺りを勘案すると氏は自分の好きな釣りと食のエッセイを書くことで、本業の小説のためのアイドリングをしていたのではないかと私は睨んでいる。
ヘミングウェイも同様だ。ただ、彼は本業の小説の中に己の好きなことを挿入し楽しんでいる。海流のなかの島々であそこまでマーリンの種類や生態を細く書き連ねる必要もないのに嬉々として書く。
しかし、人間このアイドリングをしている間はストレスがなく(好きなことをしている)自由な発想が次から次へと浮かんでくるのではないか。
この最後の晩餐とて初めは食のことを書いていたかと思えば、話はカニバリズムから秦の始皇帝に飛び最後はもうお腹いっぱいとペンを置く。
これならば読者は食べ物の妄想にとりつかれるしまもなく読了してしまうだろう。
ただし頭の中がメリーゴランド宜しくクルクル周りマリ・アントワネットやマザーテレジアがしおからやなれずしを食べ、エスコフィがブルーストにアブ社のリールで釣り上げたあんこうのパンパンに張り切った肝を蒸し器で蒸し上げ食べるのを見て、心性のの内幕に潜む徹底的なアナキストの影に怯えていたのだとして眠れなくなっても知らない。
土桜の名刺がしおり代わりなのはいただけない。
幸せな気持ちにはなるがどうにもこうにもお腹が空いて終いには読んだことを後悔するのだそうだ。
それは困った。確かに平松洋子女史の文章は平易でしかも写真付きであったりするので目からすっと胃の中に収まってしまう。
ならばと私が用意したのは開高健氏のエッセイである。
日本の文壇において氏の食と釣りに関するエッセイは三指に入ると思っている。氏は生前、物書きたるもの筆舌に尽くしがたいなど言語道断、筆舌に尽くすのだと言っている。
氏は同時に物書きたるもの筆を錆びさせることは出来ず、味覚をペンでなぞることは勉強になると言っている。
この辺りを勘案すると氏は自分の好きな釣りと食のエッセイを書くことで、本業の小説のためのアイドリングをしていたのではないかと私は睨んでいる。
ヘミングウェイも同様だ。ただ、彼は本業の小説の中に己の好きなことを挿入し楽しんでいる。海流のなかの島々であそこまでマーリンの種類や生態を細く書き連ねる必要もないのに嬉々として書く。
しかし、人間このアイドリングをしている間はストレスがなく(好きなことをしている)自由な発想が次から次へと浮かんでくるのではないか。
この最後の晩餐とて初めは食のことを書いていたかと思えば、話はカニバリズムから秦の始皇帝に飛び最後はもうお腹いっぱいとペンを置く。
これならば読者は食べ物の妄想にとりつかれるしまもなく読了してしまうだろう。
ただし頭の中がメリーゴランド宜しくクルクル周りマリ・アントワネットやマザーテレジアがしおからやなれずしを食べ、エスコフィがブルーストにアブ社のリールで釣り上げたあんこうのパンパンに張り切った肝を蒸し器で蒸し上げ食べるのを見て、心性のの内幕に潜む徹底的なアナキストの影に怯えていたのだとして眠れなくなっても知らない。
土桜の名刺がしおり代わりなのはいただけない。
2014年11月18日火曜日
「GDP」ショックとアベノミクスの終焉
昨日、四半期ベースの「GDP」の速報値が発表された。民間の予測よりかなり悪い数字が出たということで市場は混乱し、株価は下がった。それよりも私は民間は何を根拠にそんな甘い見立てを建てたのか不思議でならない。
安倍さんが首相になった時にアベノミクスを影(影でもないか)で支えている浜田氏の著作を読んだ。デフレ脱却には個人消費を持ち上げるために、企業の賃金を上昇させGDPを底上げすることは理解できるが、今回は消費増税や円安により賃金上昇分は相殺されるどころかマイナスになり消費者の財布の紐はさらに固くなってしまった。
浜田氏は2014年の消費増税をもっと慎重に論議すべきだったと言っている。原則的に消費増税とGDPは関係ない。しかしながらマインドには大きく影響する。風邪ならまだしも肺炎が完全に治っていないのに無理をしたように状況が悪化する恐れがあると。
そして成長戦略を急がねばならぬとも警鐘している。株価や資産バブルのみ膨れ上がっている現在のアベノミクスを揶揄しているのだ。既に安倍さんは自らの判断の甘さを今になって気づいただろう。消費税の先送りがその良い例だ。
しかし遅すぎた。デフレ脱却には「明るい未来」が必要である。国民は「明るい未来」が見えないのだ。そもそも消費税を財源に財政再建して年金や福祉に当てる約束だったのではないか。国民はそれなら仕方ないと消費税アップを容認していたのに、さらに将来に暗雲が垂れこめる。選挙用の姑息な手段にしか見えない。
3.11は日本経済に残された最後のチャンスだったのかもしれない。未曾有の大災害により、国民は経済成長より大切なものを学んだ。その時こそエネルギーを中心にした国、民間総力戦のイノベーションのチヤンスだったのに政策は手付かずのままだ。
私も東京オリンピックまではゆるやかな回復傾向が続くかもしれないと言っていた。オリンピックはカンフル剤になるのではと考えたからだ。しかし考えてみるとデフレ不況により人材を縮小してきた建設業界は人出が足りない。そう簡単に増員できない。さらに東北復興のため資材も足らない。そしてこれらを担うのは超大手のみで、一般の住宅を建築している企業からは人材難、資源高の悲鳴も聞こえる。
国民は馬鹿ではない。国民は実体経済が上向いていないことを体で感じている。だから中身の無いアベノミクスにそう簡単にはダマされないのだ。
中国は今日、オーストラリアとのFTP妥結を決めた。さらに上海の証券取引所の取引規制も大幅に緩和し門戸を開放した。隣国とはいえ圧力団体に表集めを頼むかわりに圧力団体の代弁者となりビジョンを持たないこの国の政治家と比べるのはどうかと思うがあまりの違いに落胆する。アベノミクスの終焉それは何を意味するのか・・・
2014年11月18日
安倍さんが首相になった時にアベノミクスを影(影でもないか)で支えている浜田氏の著作を読んだ。デフレ脱却には個人消費を持ち上げるために、企業の賃金を上昇させGDPを底上げすることは理解できるが、今回は消費増税や円安により賃金上昇分は相殺されるどころかマイナスになり消費者の財布の紐はさらに固くなってしまった。
浜田氏は2014年の消費増税をもっと慎重に論議すべきだったと言っている。原則的に消費増税とGDPは関係ない。しかしながらマインドには大きく影響する。風邪ならまだしも肺炎が完全に治っていないのに無理をしたように状況が悪化する恐れがあると。
そして成長戦略を急がねばならぬとも警鐘している。株価や資産バブルのみ膨れ上がっている現在のアベノミクスを揶揄しているのだ。既に安倍さんは自らの判断の甘さを今になって気づいただろう。消費税の先送りがその良い例だ。
しかし遅すぎた。デフレ脱却には「明るい未来」が必要である。国民は「明るい未来」が見えないのだ。そもそも消費税を財源に財政再建して年金や福祉に当てる約束だったのではないか。国民はそれなら仕方ないと消費税アップを容認していたのに、さらに将来に暗雲が垂れこめる。選挙用の姑息な手段にしか見えない。
3.11は日本経済に残された最後のチャンスだったのかもしれない。未曾有の大災害により、国民は経済成長より大切なものを学んだ。その時こそエネルギーを中心にした国、民間総力戦のイノベーションのチヤンスだったのに政策は手付かずのままだ。
私も東京オリンピックまではゆるやかな回復傾向が続くかもしれないと言っていた。オリンピックはカンフル剤になるのではと考えたからだ。しかし考えてみるとデフレ不況により人材を縮小してきた建設業界は人出が足りない。そう簡単に増員できない。さらに東北復興のため資材も足らない。そしてこれらを担うのは超大手のみで、一般の住宅を建築している企業からは人材難、資源高の悲鳴も聞こえる。
国民は馬鹿ではない。国民は実体経済が上向いていないことを体で感じている。だから中身の無いアベノミクスにそう簡単にはダマされないのだ。
中国は今日、オーストラリアとのFTP妥結を決めた。さらに上海の証券取引所の取引規制も大幅に緩和し門戸を開放した。隣国とはいえ圧力団体に表集めを頼むかわりに圧力団体の代弁者となりビジョンを持たないこの国の政治家と比べるのはどうかと思うがあまりの違いに落胆する。アベノミクスの終焉それは何を意味するのか・・・
2014年11月18日
2014年11月4日火曜日
柿の木は残った
偶然、生まれ故郷に立ち寄る機会を得ました。老舗の鰻屋で昼食を食べ終えた後、まだ時間が少しあるのでお世話になっている叔父に大好物の高野の忠次漬けをお土産に買い求めた後、市内を車で散策しました。
以前来た時には写真家の武田ハナ女史が「眠った街」と題したように、まるで時が止まった街のようでしたが、今回はシャッター通りは相変わらずですが、ポツン、ポツンと新しい若者の店も点在し、人の往来も増えたような気がします。
小学校からの帰り道、母に何回叱られても捨て犬を拾ってきた織姫神社、その隣にあった新川球場跡の公園。
小中学校は統合され名前は変わってしまいましたが、まだ同じ場所にあります。男子校だった高校は男女共学になりました。
無くなったと思っていた祖母が好きだった鰻屋さんも健在です。「宮本」と間違って名前を覚えていましたが、「山本」が正しかったようです。下着姿の店主が腕組をしていました。今度、そちらに寄ってみましょう。私の鰻の原点ですから。
生家の2軒となりにあった中華料理店兼洋食店も健在です。こちらも私の味の原点です。
犬の休憩に渡良瀬川の堤防に経つと、よく登った吾妻山やその途中にあるトンビ岩が遠望できます。
東北大に行ったS君とよく柿泥棒をした柿の木が廃屋になった工場の横でたわわに実をつけていました。
45年以上経っているのに同じ柿の木なのでしょうか。それとも誰かが新しく植えた木なのかわかりませんが、同じ場所に柿の木はありました。
以前来た時には写真家の武田ハナ女史が「眠った街」と題したように、まるで時が止まった街のようでしたが、今回はシャッター通りは相変わらずですが、ポツン、ポツンと新しい若者の店も点在し、人の往来も増えたような気がします。
小学校からの帰り道、母に何回叱られても捨て犬を拾ってきた織姫神社、その隣にあった新川球場跡の公園。
小中学校は統合され名前は変わってしまいましたが、まだ同じ場所にあります。男子校だった高校は男女共学になりました。
無くなったと思っていた祖母が好きだった鰻屋さんも健在です。「宮本」と間違って名前を覚えていましたが、「山本」が正しかったようです。下着姿の店主が腕組をしていました。今度、そちらに寄ってみましょう。私の鰻の原点ですから。
生家の2軒となりにあった中華料理店兼洋食店も健在です。こちらも私の味の原点です。
犬の休憩に渡良瀬川の堤防に経つと、よく登った吾妻山やその途中にあるトンビ岩が遠望できます。
東北大に行ったS君とよく柿泥棒をした柿の木が廃屋になった工場の横でたわわに実をつけていました。
45年以上経っているのに同じ柿の木なのでしょうか。それとも誰かが新しく植えた木なのかわかりませんが、同じ場所に柿の木はありました。
2014年9月29日月曜日
自己愛中心と幼児化する日本
電車の中でひと目を気にせず化粧をしたり、床に座り込む高校生を前に自己愛中心的な日本人が増えたとそんな日本の風潮を嘆いたことがあったが、昨日もまさしく同じような光景を目にした。
そもそも私は田舎から上京する時にある大人から言われたことがある。それは人里離れた田舎で一生暮らすならまだいいが、都会には都会のルールがある。それを無視して暮らそうとすれば大いなる田舎者としてまわりから蔑まされ最終的には故郷を貶めることになると。
それが理由ではないが、子供を育てるにあたって、世間に迷惑だけは掛けないようにしてきた。それは妻も同様で、電車の中で兄弟喧嘩をすれば電車から降ろし、ホームの人の迷惑にならないところで何故電車の中で喧嘩をしてはいけないのか当人が理解するまで諭した。結果、勉強でもスポーツでも途中で投げ出してしまうようなことはさせなかった。
子供は自由に育てれば良いというのは幻惑だ。社会に出て組織で働けば容易に理解できるが、そうした教育を受けていない人間は組織や社会からふるい落とされる。そして社会から爪弾きにされる。
昨日も飲食店で駄々をこね泣きわめく子供を一向に注意しない両親がいた。他の客に迷惑になっているのに気にも留めないその夫婦は似た者夫婦なのだろう。しかし、子供が大きくなったときまた同じようなことを繰り返し、いつまでたってもうだつのあがらない大人になることは間違いがないが、当の親たちがそうだったように負の連鎖は連続することを知らないのだ。大いなる田舎者と蔑まされていることに。
2014年9月19日金曜日
Straight No Chaser
男がこの言葉を知ったのは20歳の時だった。男は高円寺にあった小さなジャズバーに入り浸っていた。ある晩店内に流れていたその曲がTHELONIUS MONKのStraight No Chaserだとマスターから教わった。そして辞書でChaserの意味を調べてみるとアメリカとイギリスでは使い方が違うということも分かった。アメリカでは強い酒を飲むときの水やコーヒー、牛乳などを指すと辞書に書かれていた。一方、イギリスではその反対、強いお酒を指すと出ていた。日本ではどうなのかマスターに聞いたがマスターは笑って答えなかった。
男はその店でバーボンの味を覚えた。大きな酒屋に行ってもまだバーボンの種類の多くない時代だったのにその店にはEvan Williamsというバーボンが置いてあった。焦がした樽香のするその味はワイルドターキーやジャックダニエルより力強く、ほんの少し酸味を感じるものだった。男がその酒のファンになるのに時間は掛からなかった。
THELONIUS MONKには伝説のような逸話が多いとマスターから教わった。マイルス・デイビスとセッションをしていたとき、THELONIUS MONKは急に演奏をやめてしまった。今度はそれに腹を立てたマイルスがTHELONIUS
MONKの演奏中、急にトランペットを吹き始めたというのだ。それ以来、二人は犬猿の仲といわれ一緒に録音もセッションもしなかったというのだ。もっともこの話は後日談があって、話は単なる邪推で、最初からマイルスがピアノの演奏を止めるようにお願いをしていたと訂正されたが、ようするに人々にそう思わせるTHELONIUS MONKがいたことは間違いがない。
ジャズファンとしも有名な村上春樹氏が今月下旬に「セロニアス・モンクのいた風景」という本を上梓する。殆どの氏の本を持っているその男は早速予約した。
何故なら、男はTHELONIUS MONKが生きていた時代を知らなかったからだ。その知らない時代を村上春樹氏のペンによってどう理解させてくれるのか、そう、青豆が3号線から見える建物は西陽があたりベランダにゴムの木が置いてあると表現したように、言葉により景色や登場人物の心証まで送り届けたように、男の知らない時代を垣間見ることが出来れば嬉しいと密かに期待しているのだ。
何故なら、男はTHELONIUS MONKが生きていた時代を知らなかったからだ。その知らない時代を村上春樹氏のペンによってどう理解させてくれるのか、そう、青豆が3号線から見える建物は西陽があたりベランダにゴムの木が置いてあると表現したように、言葉により景色や登場人物の心証まで送り届けたように、男の知らない時代を垣間見ることが出来れば嬉しいと密かに期待しているのだ。
2014年9月11日木曜日
コアコンピタンスと社会貢献
昨日、やっとテスラモータースのモデルSが日本でデリバリーされました。思い返せば2011年に逗子マリーナでテスラモータースのスポーツバージョンに同乗させてもらってから3年が経ちます。その間にハリウッドでモデルSの実車を偶然発見し、日本に帰ってきてからは実際にこの車に試乗する機会も得て、どれほどこの車が先進的で斬新であるかよく理解しているつもりです。
実際にその間に様々な車を試乗する機会がありました。パナメーラ、911、アストンマーチン、ジャガーF、コルベット・・買える買えない、買う買わないは別としてもどれも素晴らしい車でありガソリンエンジン車としては優秀でした。
しかしながらどの車も既存の枠の範囲内でイノベーションという言葉は当てはまりません。BMWに至っては自社の電池走行距離や充電システムの理由からもし途中でその必要が応じたら同社のネットワークで別の車を貸し出す有償のサービスまで売りだしたくらいです。これには失笑してしまいます。
ところがテスラモータースはこのモデルSの次にモデルXというSUVを発売することを謳っており、さらにその先にはモデルSの半額近いモデル3を用意しているというのです。そしてテスラ社の営業利益は四半期を除いて全て赤字にも関わらず株価の時価総額は3兆5000億円という数字です。如何に市場が期待しているかこれからも分かります。
その強みはまさに電気自動車の心臓部、つまりバッテリー電池の技術にあります。他社の追随を許さないそれはコアコンピタンスであり同社の最大の強みです。他社が50キロ100キロの走行のところ、同社は500キロ走れるのですからその違いは一目瞭然です。
そしてさらに驚くのはその技術を他社に与えても良いということなのです。何故そうのようなことを言い出したのでしょう。クックCEOは将来悔やむかもしれないと言っていますが、それこそ自信の現れであり、イノベーションを続ける信念を持っている左証なのです。
電気自動車の市場は一向に大きくなりません。何故なら、実用に耐えうる技術が進んでいないからです。官公庁では環境問題もあり、実際に一部導入していますが、50キロしか走れない車を農村や山奥で走らせる訳にはいかず手を焼いていると言う声を耳にします。
同社のイノベーションの原動力はこうした社会インフラを整備させ電気自動車を実用可能なものにしてマーケットを創造することなのです。その理想があるからこそ生まれた産物であり、その理想(社会的貢献)そのものがイノベーションの解なのかもしれません。
2014年9月11日た 29歳になる娘の誕生日にかえて
2014年9月8日月曜日
連帯について
私が大学に入学した頃には大学紛争は見る影もなく、その遺影さえ存在しない時代でした。そのような環境からかイデオロギーや政治的議論をするということはもはや時代遅れ、負の産物と考えていたのか分かりませんが、極端な理念、信条というものにはどうも胡散臭さを感じてしまうのです。
ところが近年、原発事故後の国民の反応はそうではなく、良くも悪くも黒白をはっきりつけるような、絶対感覚でモノを言う人を多く見るようになったのです。
首相官邸前で反原発を訴える人も自分たちは正しいことをやっていると信じきっているようで、彼らのデモのせいで迷惑を受けている人のことなど毛頭にないといった感じです。どうもこの手の政治的思想には私は嫌悪感を抱いてしまうのです。
断っておきますが原発が良いと言っている訳ではありません。ただ、どんな物事にも良い面と悪い面があるようにこの問題もそんなに簡単に割り切れるものでもないし、第一今までこうした政策で恩恵を受けていたのは私達の訳ですから、それを棚上げにして論ずるというのはあまりに虫のいい話だと思ってしまうのです。
養老孟司氏が近著の中で良いことを言っていました。人間なんて地図の上の矢印程度のもので、生きているのではなく生かされていると。原発推進にしても、反原発にしても口角泡を飛ばしながら持論を展開される多くの方々はこの地図上の矢印などではなくて自らが壮大な地図を作っていると考える人なのではないでしようか。
私が入社試験の面接をしていた頃、必要以上にオリジナル性を強調する若者が多かったのです。そういえば通りが良いと思ったのか、何かの就職本に書かれていたのか不明ですがとにかく多かったのです。私はへそ曲がりなのでそういう輩には多くの点数を付けませんでした。オリジナル、オリジナルといったところでそんなにオリジナルが大切な訳ではないし、組織というもの同じようなカラーでないと上手く機能しません。さらにそういう輩が如何に仕事が出来ないか分かっていたからです。仕事のできる人は声高にオリジナル性など強調しなくともさらっと出来てしまうのです。
戦後の民主主義は自由と平等を教えてきました。しかし本当に自由と平等な社会なんて存在するのでしょうか。現実には格差は拡大しています。教えられた自由と平等がもはや夢と分かったこととこうした極端な白黒をはっきりさせる風潮が生まれ始めたことは決して偶然ではないような気がするのです。
2014年8月18日月曜日
夏休み
子供の頃、夏休みが待ち遠しかった覚えがあります。私の父は勤め人ではありませんでしたが、高度経済成長の波に乗り遅れた人で家の家計はいつも火の車、母といがみ合ってばかりいました。
父はそんな母を避けるかのように作陶に没頭し、家を離れ窯場で一人寝食をすることが多かったのです。そんな事情ですから夏休みに家族旅行に行くどころか遊びに連れて行ってもらった記憶さえありませんでした。傍から見るとそんな可哀想で憂鬱な夏休みでも小学生の私には待ち遠しくなる理由があったのです。
それは大好きな祖母が東京から遊びに来てくれるからでした。
祖母は杉並の叔父の家を出て、渋谷で銀座線に乗り換え浅草に着くと、必ずそこで舟和の芋ようかんと松屋デパートのお好み焼きを買ってきてくれました。舟和の和菓子は今でも有名ですが、お好み焼きは地下街の名もない店で味の方はパッとしませんでした。母がいつも買ってこなくても良いと言っても祖母はそれでも買ってくるので、私たちはとうに言うことを諦めていました。
そんな祖母とも1.2日遊べば飽きてしまうのが子供です。あとは学校のプールや近くの雑木林での虫取りなど日が落ちて真っ暗になるまで遊んでいました。
祖母も東京に帰り、今日で夏休みも終わろうという日のことです。茜色に染まる西の空を見上げると銀色に光る物体が筋をつけながら西陽に向かっていきます。はやる心を抑えながらその事を母に告げると飛行機か人工衛星じゃないのと素っ気ない答えが帰ってきてがっかりしたものです。
次第に群青色に変わっていく空を眺めながら妙な寂寥感に包まれたものです。
それは夏休みが終わることへの寂しさというより、もう二度と同じ夏休みが来ない事を予感する寂しさだったような気がします。
それから半世紀近く経ってもあの夏休みの終わりに感じたメランコリックな気持ちは変わりません。それは子供が生まれ、育ち、その子供が結婚して子供が出来て私のまわりの環境は行く川の水のたとえ通り変わることがあの時感じた同じ夏がないことの確認作業でもあるからです。
去年いた愛犬も今年の夏休みにはもういませんでした。二匹と海で遊んだ記憶は心の中の頁に格納され、恐らく来年もそして再来年も全て違う一度きりの夏となることでしょう。
自分が最後に記憶の頁に格納されるまで、一度きりの夏を楽しむことにしましょう。
2014年8月5日火曜日
ロードバイクのタイヤのこと
ロードバイクをお持ちの方はチュブラータイヤかクリンチャータイヤはたまたチューブレスタイヤのいずれかにお乗りのことと思います。
そこでつたない例ではありますが、私のタイヤ変遷の歴史をほんの少しばかり報告したいと存じます。
初めは私も安価なクリンチャータイヤを付けていました。当時はチューブレスはなく、必ずチューブを付けなければなりませんでした。
皆さんも経験あると思いますがこのクリンチャータイヤだとリムパンという細い切れ長にチューブが裂けてしまうパンクを多く誘発します。
仕方なしにチューブ交換をする羽目になりますが、これが中々の曲者、指が痛くなるほど力が必要で老骨の身としては辛いものがありました。
さらにクリンチャータイヤは高い空気圧を必要とし乗り心地が良くありません。
それでも当時はチューブラーにするにしてもセメントしか無くて、そのセメントが乾くまで走りだせなかったため実用的でなかったのです。
ですから当時はミシュランPRO2を履いていた覚えがあります。
そうこうしているうちにチューブラーテープというものが売りだされ、乾燥の時間を待たず走りだせる商品が開発されたのです。
これを試してみると中々のものです。圧着は半年程度で弱くなりますが接着は至って簡単です。
そこで最初はビットリアのオープンコルサを使用していました。これが一番長く乗っていたかもしれません。
当時、ヴェロフレックスはハンドメイドに近く価格も高かったのです。
その後何とかヴェロフレックスを購入できる環境になり、レコードやさらに軽量タイプも試しましたが、それほど驚くような乗り心地の変化はありませんでした。それよりビットリアよりさらに早く空気漏れするのに驚きました。
その後、ダイワボウからシームレスタイヤが発売され試してみましたがこれが今まで購入したタイヤで一番高いものでしたが、やはり乗り心地にあまり差は感じませんでした。
後に同じようなシームレスで安価版が発売されましたが同様だった気がします。
そして究極のハンドメイドのFMBと出会いました。最初はケーシングコットンを履いていましたが、多少の値段差ならと絹のケーシングにしています。
これは察かに乗り心地が違いました。ただし、空気抜けは早くヴェロフレックス以上です。
とまあ乗り心地を追求してきた訳ですが、このタイヤの弱点があります。とにかくタイヤが細いため山道やカーブの連続する道は弱いのです。軽くて最高の乗り心地ですが、この点を注意しないでハンドルを引いたりすると側面が一発でやられます。
そこで邪道かもしれませんが、私はこのFMBにノーチューブスというブランドのパンク修理剤を入れて走っています。何故、ノーチューブスにしたかといえば水溶性で汚れてもすぐ拭き取れるからです。
ただし、入れ方にコツがあってピンの取れるタイプでないと万が一ピンの部分に圧着したら大変なのでお勧めしません。それにタイヤを十分回転させ平均にしておかないとバランスが崩れるのと、最低口金を左右の45度以上の角度にしておきます。これも同様の事です。
とつれづれ書いてきましたが、良いタイヤとは結局その人の走り方にあったタイヤということになります。
ヒルクライムに出て1秒でも早くタイムを縮めたいと言う人には超軽量のタイヤが必要でしょうし、
ヤベツをガンガンに攻めるような走りをする人や、SCSのコーナーを高速で抜けるような人にはそれなりの幅と強度の高いタイヤが求められることになるのだということです。
皆さんも自分にあったタイヤを見つけられんことを!!
そこでつたない例ではありますが、私のタイヤ変遷の歴史をほんの少しばかり報告したいと存じます。
初めは私も安価なクリンチャータイヤを付けていました。当時はチューブレスはなく、必ずチューブを付けなければなりませんでした。
皆さんも経験あると思いますがこのクリンチャータイヤだとリムパンという細い切れ長にチューブが裂けてしまうパンクを多く誘発します。
仕方なしにチューブ交換をする羽目になりますが、これが中々の曲者、指が痛くなるほど力が必要で老骨の身としては辛いものがありました。
さらにクリンチャータイヤは高い空気圧を必要とし乗り心地が良くありません。
それでも当時はチューブラーにするにしてもセメントしか無くて、そのセメントが乾くまで走りだせなかったため実用的でなかったのです。
ですから当時はミシュランPRO2を履いていた覚えがあります。
そうこうしているうちにチューブラーテープというものが売りだされ、乾燥の時間を待たず走りだせる商品が開発されたのです。
これを試してみると中々のものです。圧着は半年程度で弱くなりますが接着は至って簡単です。
そこで最初はビットリアのオープンコルサを使用していました。これが一番長く乗っていたかもしれません。
当時、ヴェロフレックスはハンドメイドに近く価格も高かったのです。
その後何とかヴェロフレックスを購入できる環境になり、レコードやさらに軽量タイプも試しましたが、それほど驚くような乗り心地の変化はありませんでした。それよりビットリアよりさらに早く空気漏れするのに驚きました。
その後、ダイワボウからシームレスタイヤが発売され試してみましたがこれが今まで購入したタイヤで一番高いものでしたが、やはり乗り心地にあまり差は感じませんでした。
後に同じようなシームレスで安価版が発売されましたが同様だった気がします。
そして究極のハンドメイドのFMBと出会いました。最初はケーシングコットンを履いていましたが、多少の値段差ならと絹のケーシングにしています。
これは察かに乗り心地が違いました。ただし、空気抜けは早くヴェロフレックス以上です。
とまあ乗り心地を追求してきた訳ですが、このタイヤの弱点があります。とにかくタイヤが細いため山道やカーブの連続する道は弱いのです。軽くて最高の乗り心地ですが、この点を注意しないでハンドルを引いたりすると側面が一発でやられます。
そこで邪道かもしれませんが、私はこのFMBにノーチューブスというブランドのパンク修理剤を入れて走っています。何故、ノーチューブスにしたかといえば水溶性で汚れてもすぐ拭き取れるからです。
ただし、入れ方にコツがあってピンの取れるタイプでないと万が一ピンの部分に圧着したら大変なのでお勧めしません。それにタイヤを十分回転させ平均にしておかないとバランスが崩れるのと、最低口金を左右の45度以上の角度にしておきます。これも同様の事です。
とつれづれ書いてきましたが、良いタイヤとは結局その人の走り方にあったタイヤということになります。
ヒルクライムに出て1秒でも早くタイムを縮めたいと言う人には超軽量のタイヤが必要でしょうし、
ヤベツをガンガンに攻めるような走りをする人や、SCSのコーナーを高速で抜けるような人にはそれなりの幅と強度の高いタイヤが求められることになるのだということです。
皆さんも自分にあったタイヤを見つけられんことを!!
2014年7月3日木曜日
沈んだ費用
今日は少し経営者らしい話をさせて下さい。
大学時代一番学ばなかった私が説明するのも何なんですが、個人商店を経営する上で大変重要な事なのでご容赦下さい。
サンクコストと言う言葉をご存知でしょうか。sunk
costつまり埋没された費用のことです。既に支払ってしまった費用のことをいうのですが、いささかこれには説明を要します。
例えば建物などの固定資産と呼ばれるものは将来に渡り、その効果が継続され対価として家賃などの収益を生み出します。そうしたものは税務の中には費用と収益一致の原則が決められ一度に費用化することが出来ません。オフィスの家具も同様で一定金額以上のものは複数年で費用化されていくわけです。
ここで問題となるのはその家具は直接的に売上に貢献するものなのか否かという事です。どんなに高い応接セットを購入し、来客が喜んだとしても、それが売上に直接影響することはないでしょう。そうしたものを償却資産として税務上計上するあまり、それらに要した費用が既に支払ってしまった費用=サンク・コストだという認識を忘れがちなのです。
ある人が会社の車はリースにすると胸を張っていっていました。よほど儲かっている会社なのでしょう。しかしながら、サンク・コストの考え方に立てばこれは得策ではありません。車が直接的売上に結びつかないものである以上、その効果を将来に求めるべきではないからです。
実はこの考え方は売上にも共通します。私は埋没した売上=サンク・アーニングと呼んでいます。例えば支払が遅れたテナントが保証金も食いつぶしさらに約定を果たさないのに、家賃を回収したいと居続けさせるような場合です。結果、事態は悪化し、収益をさらに圧迫することになるのです。
人間誰しも元を取りたいと考えます。そこがこの問題の一番厄介なところです。
私はひとつ自分で決めていることがあります。それは現金で支払えるもの以外は買わないということです。車でも不動産でも現金で買えるものにしています。現金が足らないなら買わなければいいのです。確かに欲しいなあと思うこともありますがそれによってこの小さな会社も何とか30年持ちこたえることが出来たのだと思うと範を変える気にはなりません。
皆さんもサンク・コスト今日から意識してみませんか。
2014年6月26日木曜日
私的カーグラフィック#28 ジャガータイプF
ジャガータイプEは私の永遠の憧れです。そのタイプEへのオマージュとして作られたのが今回のタイプFです。ロングノーズ、ショートデッキはタイプEと似ているものの、後ろから見るとアストンマーチンのようでもあり、前から見るとマセラッティのようでもあり、やはり別の車です。宣伝文句がまたいい”It’s good to be But!!”まさにヒール役の私にピッタンこであります。というわけで今回も毎日その前を通りすぎているジャガー世田谷さんにお邪魔させて頂きました。
ご存知のようにフォードグループを離れて、タタの資本配下になったジャガーとレンジローバーです。エヴォーグが出たあたりには、カッコは良いけど走るの?と本当に心配になってしまいましたが、今回のタイプF4つの種類が選べ、廉価版の2車種は3.0リットルのV6でエコノミーではありますが、多くの欧州車が燃費を求めているエンジンで個人的には興味なし。今回試乗したのは5リットルV8のコンバーチブルでした。クーペはこの上にタイプRがあってさらに馬力が50HPアップされるようです。
内装はさすがというよりほか有りません。新型のコルベットは頑張りましたがここまでの質感はありません。シートはレンジローバーと同じメーカーのようで固くしっかりとしていて、さらに十分なクッション性もあります。コリノー社のレザーではなさそうですが素晴らしい仕上がりです。以前、プロゴルファーのOA女史がレンジローバーに乗っていて、偶然、南青山のマンションのエレベーターで乗り合せた際に、腰痛持ちにはこのシートが手放せないと同感したことがそのよさの証明でもあります。それにしてもフロントガラスのスラントが急で視界は狭いです。女性にはちょっと厳しいいかな。ちょうどガヤルドのそれに近いかも。
まずエンジン始動。このカリカリ音は何?V10やV12のエンジンなら分かりますが、V8の音じゃない。住宅地でははっきり言って迷惑になります。どうもオーバーリテイクしているようです。タイヤは20インチで前235/35後295/30、奇しくも19インチですが私の911カレラSと同じサイズ。ハンドルは今流行のエルゴノミクスレーシングタイプです。握りやすいです。
少し詰まっている246を川崎方面に走りながら感じたのは、まず低速のトルクが薄いこと。アクセルがスカスカしています。それとブレーキがじわっと効かない。低速ではカクンカクンとしてしまいます。陸橋をUターンして今度は空いている上り車線で少しだけ速度を上げます。するとさっきのトルク不足は嘘のように車体をグイグイ引っ張ります。これはきっとエンジン特性でもあるトルクカーブ高回転によっているのかもしれません。それでもどこかしら猫足の面影が残っているのかと思いましたが、サスペンション、ハンドリングは全くの別物です。確かにタイヤサイズの割に突き上げは少ないですが、車体の剛性感は911のほうが上手です。
車長は4600ミリとほどよいサイズ感ですが、車幅が2000ミリ、うーん、右ハンドルとこの車幅が最大のネックかもしれませんね。つまりはパナメーラと同じくらいになってしまいます。パナメーラGTSとこれを比べたら、はっきりいって運転の楽しさはパナメーラに軍配があがりますね。
ジャガー世田谷のHさんには申し訳ありませんが、もう一台持てるならば別ですが、やはり2台を選べと言われれば選択肢から外れてしまうでしょう。
そうそうタタに変わってからフォードの時のように部品を共用しろと指示がないのが良い点だと言っていました。納得。
2014年6月19日木曜日
チャーハンのこと
一週間前から頭の中がチャーハン、チャーハンを連呼していた。
鎌倉に居るときには自転車で羽深さんに食べに行けば、お望みのチャーハンにありつけるのであるが、この中目黒周辺には中々安定した「街場の中華屋さん」が無いのである。
この「街場の中華屋さん」というところが大切なポイントである。まず価格は1000円以内、どんなに美味しかろうが1000円以上するものは「チャーハン」ではなく「炒飯」になってしまう。
そんな訳で昨日、スタッフを無理やり引き連れ目黒と不動前の中間あたりにある店に出掛けた。テレビでも紹介されている有名店である。店内には雑誌やテレビで取り上げられた紙面が所狭しと貼り付けられていた。
芸能人の色紙は別としてこの手の店で美味かったことが無いので、少し心配になった。
合席で待っていると餃子が先に運ばれてきた。焼き方は良いものの、普通の味である。羽深さんの方が美味しいと心のなかで思っていたが、チャーハンが来るまで答えはお預けにしておく。
餃子が食べ終わって暫くするとまずスープが運ばれてきた。濁っていて味噌汁のようだ。これを一口飲むと妙な酸味と甘味が舌先に残り、レンゲを置いてしまった。
肝心のチャーハンは五目チャーハン880円を頼んだのだが、これがまた可笑しくなってしまうほどチャーハンと具材がバラバラでエビやホタテもあしらわれているが、味に一体感がないのである。
ホタテなのにこれ蒲鉾と間違う程、食感も悪い。エビに至っては味がしない。お米はパラパラだが他の具材の味が薄く、またつややかなコーテイングがなされていないので口の中でパサツキ感が増す。
そして何より一人でテンパっている店主が従業員を怒鳴りつけている。後味の悪さを残して早々に店を切り上げのは言うまでもない。
その後、私はどんなチャーハンが好きなのか自分なりに考えてみた。日本中の美味しいと言われるチャーハンをブログにしている人のコメントも参考にさせてもらったが、私が探しているものとは違う。
私が大学生の頃、肉体労働のアルバイトをしたことがある。叔父の手伝いだった。
場所は自由が丘、小綺麗な店は沢山あるが、叔父はいつも汚れた作業服でも嫌な顔をしない店を選んでいた。当日は真夏で着ていたTシャツは絞るほどの汗だった。
叔父が選んだのは中根の信号から少し駒沢公園よりに下った中華屋さんだった。
店の名前は別れたが、テレビで高校野球を中継していた事を覚えている。私はチャーハンと餃子を注文した。
記憶は残念ながらそこまで美味しかったかどうか覚えていない。でもそんなことが思い浮かぶのだからマズかったとは思えない。そうだ。その店を探してみよう。まだあるか分からないが、もしやっているようなら嫌がるスタッフほ無理やり連れて確かめてみよう。「街場の中華屋さん」の正統派チャーハンであるかどうかを・・・・
鎌倉に居るときには自転車で羽深さんに食べに行けば、お望みのチャーハンにありつけるのであるが、この中目黒周辺には中々安定した「街場の中華屋さん」が無いのである。
この「街場の中華屋さん」というところが大切なポイントである。まず価格は1000円以内、どんなに美味しかろうが1000円以上するものは「チャーハン」ではなく「炒飯」になってしまう。
そんな訳で昨日、スタッフを無理やり引き連れ目黒と不動前の中間あたりにある店に出掛けた。テレビでも紹介されている有名店である。店内には雑誌やテレビで取り上げられた紙面が所狭しと貼り付けられていた。
芸能人の色紙は別としてこの手の店で美味かったことが無いので、少し心配になった。
合席で待っていると餃子が先に運ばれてきた。焼き方は良いものの、普通の味である。羽深さんの方が美味しいと心のなかで思っていたが、チャーハンが来るまで答えはお預けにしておく。
餃子が食べ終わって暫くするとまずスープが運ばれてきた。濁っていて味噌汁のようだ。これを一口飲むと妙な酸味と甘味が舌先に残り、レンゲを置いてしまった。
肝心のチャーハンは五目チャーハン880円を頼んだのだが、これがまた可笑しくなってしまうほどチャーハンと具材がバラバラでエビやホタテもあしらわれているが、味に一体感がないのである。
ホタテなのにこれ蒲鉾と間違う程、食感も悪い。エビに至っては味がしない。お米はパラパラだが他の具材の味が薄く、またつややかなコーテイングがなされていないので口の中でパサツキ感が増す。
そして何より一人でテンパっている店主が従業員を怒鳴りつけている。後味の悪さを残して早々に店を切り上げのは言うまでもない。
その後、私はどんなチャーハンが好きなのか自分なりに考えてみた。日本中の美味しいと言われるチャーハンをブログにしている人のコメントも参考にさせてもらったが、私が探しているものとは違う。
私が大学生の頃、肉体労働のアルバイトをしたことがある。叔父の手伝いだった。
場所は自由が丘、小綺麗な店は沢山あるが、叔父はいつも汚れた作業服でも嫌な顔をしない店を選んでいた。当日は真夏で着ていたTシャツは絞るほどの汗だった。
叔父が選んだのは中根の信号から少し駒沢公園よりに下った中華屋さんだった。
店の名前は別れたが、テレビで高校野球を中継していた事を覚えている。私はチャーハンと餃子を注文した。
記憶は残念ながらそこまで美味しかったかどうか覚えていない。でもそんなことが思い浮かぶのだからマズかったとは思えない。そうだ。その店を探してみよう。まだあるか分からないが、もしやっているようなら嫌がるスタッフほ無理やり連れて確かめてみよう。「街場の中華屋さん」の正統派チャーハンであるかどうかを・・・・
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