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2011年6月3日金曜日

Giggling& Laughter

西部邁氏の意見には半分賛成、半分反対であるくらいだから特に贔屓目と言う訳ではないけれど、彼の著作の中でも述べていたように、私もキグリング(クスクス笑い)とラフター(大口笑い)は虫唾が走るほど嫌いです。この点は全く同感。

そういえば昨日、棄権した政治家もラフターとムッツリの2表情でしたな・・・

何故、このクスクス笑いとラフターが嫌いなのかご説明しましょう。

そもそも「クスクス笑い」というのは集団がその人間を除外する行為です。しかも面と向かって相手に「あなたは私達の仲間ではない」と言わず、つまり意見の対立を避け、除外する行為です。

一方、「大口笑い」は様々な意見、思想を全て飲みこむものです。そうこれも意見の対立なしに、「もう分かったこと」として振る舞う訳です。

つまりこの両者は共に個の尊重どころか、意見対立さえ出来ない、場を形成します。それでは物事が良い方向に進むはずがありません。

先日、鎌倉でうなぎが出てくるまでの小一時間を一人で待っていると、私より少し年配の女性三人が姦しい会話を進めていました。

その内容は自分たちと違う意見、主張の人物を欠席裁判し、こきおろし、挙句の果てにこのクスクス笑いです。

すると一人が急に私はパイレーツのファンだと言いだしました。珍しく野球のそれも大リーグかと思いしや、映画の話でした。でもこの映画はバイキングの映画とは違いますよ!!!

閑話休題

若い人ばかりではありません。こうした高齢者が世にはびこることは・・・世も末です

だから私はギグリングとラフターが大嫌いなのです・・・

梅屋庄吉 辛亥革命100周年

上海万博で孫文を支援した日本の実業家、梅屋庄吉が紹介されていました。

梅屋庄吉はご存じの方も多いと思いますが、さらっとご説明します。

梅屋庄吉は土佐藩の運営する土佐商会の家主の子として生まれ、当時国家的事業の南極探検で名を馳せた白瀬大尉の映画を作るなどして得た資金を孫文の革命の資金として応援した人物であります。その映画製作会社は後の日活の前身ともなる訳です。(M・パテー商会)

当時の彼のような思想をアジア主義といい、その後の軍国主義思想とはあきらかに一線を画すものです。

ちょうどのその辛亥革命から今年は100周年を迎えます。

孫文は大陸からも台湾からも尊敬される稀有な人物でありますが、文化大革命のとき、孫文像毀損の危機もありましたん゛、故周恩来氏によって難を逃れたと聞きます。

そうそう実はこの梅屋庄吉氏は日比谷松本楼の創業者、小坂梅吉と親戚でもあったのです。この小坂氏もアジア主義者でした。

そんなことを松本楼のレトルトカレーを食べながら思うのであります・・・


一国を一派ひとからげで判断するのは良くありません。マスコミやスポークスマンの言うことが全て正しいとは言えません。どこの国にも良識と実行力を兼ね備えた人物はいるのです。

朝吹真理子さんごめんなさい


ドゥマゴ文学賞受賞作「流跡」を2度読んで、最後には作家の操る日本語の表現が鼻をつくと嫌味な批評をしていましたが、芥川賞受賞作「きことわ」を再度読んで見事に裏切られました。

朝吹真理子さんごめんなさい。

素晴らしい小説と言うのはその情景が映像となって映ります。ヘミングウェイの老人と海でも、最後のライオンの夢をみる小屋の様子や、老人の船が係留されている港の様子が私には行ったこともないコヒマルの情景として目に映ります。

この小説もまさにその通りです。百足を熱湯で処分する二人の様子や、ずっと昔の化石図鑑の色あせたカヴァーも目に映ります。

これは決して葉山が舞台だからということではありません。良い小説と言うのは読者の頭の中でその世界を作り上げていくものなのです。

是非、この2冊お読みください。おそらく作家のこのような変態を昇華と呼ぶのでしょう・・・

ポプュリズムとデモクラシー

ポプュリズムは今でこそ否定的なニュアンスで語られることの多い言葉であるが、本来は民衆に沿った政治を意味するのです。

問題なのはこの民衆が己の目先の利益ばかりを追うために、いうなれば衆愚になってしまうことです。

政治と宗教の話はしないというのか我が家の家訓ですが(笑)、本日は少しばかり昨日の内閣不信任案決議を観ていて、申し上げたいことがあります。

自民党の総裁、某副総裁の弁を聞いていると、自分たちに突きつけられた国民のNOが全く分かっていないと思わざるえません。

一方、政府与党の茶番劇も、そもそもまとまってはいけない人達が一党にいることが露呈される、民主党の体質が透けて見えました。

そもそも小泉元首相の構造改革とは何だったのでしょう?あれこそポプュリズムの極みです。エリート(官僚)を仮想敵に見立てて、国民に白か黒かを決めさせ、まるでファシズムの手法です。

私は構造改革そのものがいけないとは思っていません。ただし、一時的には反対方向に振れてもこの国が長い間に築いてきた親米的依存体質と官僚主義はなおらないのです。

今回の総理の手法は悪い意味でのポプュリズムです。相手が自分の悪口を言えば言うほど自分が有利になってきたのです。そのことを民主党の他の政治家は見過ごしません。勝てない試合はやらないのです。

そもそも総理にリーダーシップを望むことは妥当なことなのでしょうか?歴史はそんなときに独裁者を輩出します。そして悲惨な結果に・・・

私は長期的な展望にたけた優れたプレーンを配したグループ制による政治手法しかこの国に残された道はないと思うのですが如何でしょうか?

本日の参考にした本は以下のものです。