父親が焼き物を作っていたのだが、往々にして息子や家族はそんな陶芸には興味を持たず、ましてや嫌う傾向にあった私だから多くの事は忘れてしまった。
ただ、一つだけ私の記憶にある言葉、それが梅花皮(かいらぎ)である。
父親が徹夜開けで釜明けした数十点の作品の中で唯一気にいったものがあったらしく、作業場の別のところに飾っておいた。
翌日、父親がその茶碗を手に取ってみると高台にあった梅花皮と素焼の淵が見事に綺麗にサンダーで削り取られていた。
一緒に作業を手伝っていたいた人が気をきかせて、塗りのテーブルが傷ついたらまずいと思ったらしい。
父に言わせれば、全くのお節介で、数日かけて作ったものがお釈迦になった瞬間だった。
その時に釉薬の微妙な縮が突然生まれ、器に雰囲気を与える事を知った。それを梅花皮と呼ぶということもその時知った。
もともとはエイの背骨のようにゴツゴツした形をした魚から転じた言葉のようであるが、この漢字でかいらぎとはどう考えても読めないので覚えているのだ。
多くの知識は忘却される。しかし、体験の記憶が重なったときに意識の最下層に鎮座し、中々散歩には出掛けなくなる。梅花皮もそんな一つ。