40歳の時、髄膜炎で入院したのをきっかけに、ブライベートでは嫌いな人、尊敬できない人とは付き合わないと勝手に決めました(笑)我儘な性格ゆえ元来友人の数も多い訳でなく、そこに来てのこの判断どうなるものかとほんの少しは心配でもありましたが、この20年近くを振り返ってみるとその関係はあまり大きく変わらないことが分かったのです。
私の場合、高校や大学の友人以外では、仕事関係の友人は少なく、どちらかというと家の近所でただ犬を飼っているということだけで集まった人達と20年来楽しく付き合わせてもらっています。さらにこのメンバー全員夫婦、家族単位でのお付き合いという点も特筆できます。年齢的には私達と同世代のご夫婦、そして一回り上のご夫婦、さらにその上のご夫婦といった具合で年齢的にも職業的にもバラバラです。ただ一つ言えることはそれぞれのご主人はその本業においてエキスパートであり、人格的にも尊敬できる人たちばかりです。
先日もその一人のドクターのご自宅でのBBQパーティがありました。このパーティも突然思いついて開催するのではなく、20年同じような季節に、同じような環境で、同じ手作りの料理を出してくれているのです。私などドクターの作るこのタンシチューを食べないと冬がやってこないくらいですから(笑)ドクターの多忙な時間を割いて私達のために美味しいタンシチューを作ってくれることで私達は幸せのおすそ分けを頂いているようなものです。毎年同じような時期に繰り返されるこの行為は回を重ねるたびに、その行為そのものがアイデンティティ化されていくのです。
12月にも別の友人のご自宅で同じように恒例のクリスマスパーティが開かれます。参加する私達はただ感謝しかありません。
同じような時期に、同じような手料理を出し、皆んなに幸せを分け与える、とても素敵なことです。ある著名な人が言っていました「手料理でもてなすことこそどんな高級のフレンチや懐石料理より、最上の接待である」私も同感です。
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2018年3月2日金曜日
Affalterbach/Stuttgart/Leonberg
Affalterbach/Stuttgart/Leonberg
私の好きなものを3つあげろと言われれば、犬と車とワインということになります。
ワインは別として偶然この好きなものが近くに集まっているのです。
Leonbergerは名前の通り、ドイツのLeonberg市の紋章でもあるライオンに似た大型犬を作出したいというブリーダーにより作り出されました。先代のサクラはこの犬種のスタンダードからするとやや小型でしたが、気立ては優しく、他の犬と一度も喧嘩をしたこともありませんでした。享年13歳と2か月で虹の橋を渡って行きましたが、私にとってこの13年は彼女との幸せな時間でした。
私の車遍歴は30代のLANCHに始まり、FORD,DEFFENDER,RENGE ROVER,BMW,Mercedes・・・台数こそ多いものの、全く持って脈絡も統一性もありません。
私は密かに艾年を過ぎてから911に乗ろうと決めていました。初めて911に乗った時のハンドリング、シャシーの合成、足回りの素晴らしさは今まで乗ったどの車とも違いました。水平対向6気筒エンジンはキイを回すとブルッと唸るもののすぐに治まりその素性の良さは驚くものでした。私はそれ以来911のファンになりました。私の911カレラSはフォルクスワーゲンに買収される前のものです。製造場所はあのマークの跳ね馬の紋章を持つStuttgart市です。この車好調で8年近く経過しても入院は一度もありません。メンテナンス費用は驚くほど安く、保険料だってそんなに高くありません。今も大切な相棒となっています。
そしてもう一台、前述した大型犬を運ぶために荷室の広いゲレンデを購入していました。このゲレンデはSOHC 5000ccというストロークが大きく、トルクのあるエンジンでした。その後改良されてDOHC 5500ccのものや、ディーゼルエンジンも作られましたが、私の食指を動かされるものはなく、ただ唯一、私には不相応と思っていたG63が素晴らしいと感じていたのでした。
ところがこの私のゲレンデも10年の月日が過ぎ、10万キロを超える走行となり、内装も大分系年経過を感じるようになりました。私は数人の懇意にしているディラーのサービスマンの知り合いがいます。彼らは純粋に車が好きで、そして楽しく語り合える人たちです。そんな一人からこの新しいゲレンデを紹介してもらったのです。色も前と同じ白。そして何よりG63です。もちろん不相応なのは分かっています。でも後何年こうやって車を運転して楽しめるのでしょう。それにお金は天後(地獄)に持っていけません。やはりAMGのエンジンは素晴らしい。5500ccのエンジンにツインターボ、実は12気筒のBMWにも乗っていたことがありましたが、12気筒のうち4気筒は何時もお亡くなりになられていて実際には8気筒で走っていたような気がします。笑。AMGがドイツのAffalterbach市にあると知ったのはその後でした。AMGのマークのリンゴの木もこの市の紋章からとったものです。
そうそう6月にもう一つ、我が家にやってくるのです。そう、Leonbergerのパピーです。
私の好きなものを3つあげろと言われれば、犬と車とワインということになります。
ワインは別として偶然この好きなものが近くに集まっているのです。
Leonbergerは名前の通り、ドイツのLeonberg市の紋章でもあるライオンに似た大型犬を作出したいというブリーダーにより作り出されました。先代のサクラはこの犬種のスタンダードからするとやや小型でしたが、気立ては優しく、他の犬と一度も喧嘩をしたこともありませんでした。享年13歳と2か月で虹の橋を渡って行きましたが、私にとってこの13年は彼女との幸せな時間でした。
私の車遍歴は30代のLANCHに始まり、FORD,DEFFENDER,RENGE ROVER,BMW,Mercedes・・・台数こそ多いものの、全く持って脈絡も統一性もありません。
私は密かに艾年を過ぎてから911に乗ろうと決めていました。初めて911に乗った時のハンドリング、シャシーの合成、足回りの素晴らしさは今まで乗ったどの車とも違いました。水平対向6気筒エンジンはキイを回すとブルッと唸るもののすぐに治まりその素性の良さは驚くものでした。私はそれ以来911のファンになりました。私の911カレラSはフォルクスワーゲンに買収される前のものです。製造場所はあのマークの跳ね馬の紋章を持つStuttgart市です。この車好調で8年近く経過しても入院は一度もありません。メンテナンス費用は驚くほど安く、保険料だってそんなに高くありません。今も大切な相棒となっています。
そしてもう一台、前述した大型犬を運ぶために荷室の広いゲレンデを購入していました。このゲレンデはSOHC 5000ccというストロークが大きく、トルクのあるエンジンでした。その後改良されてDOHC 5500ccのものや、ディーゼルエンジンも作られましたが、私の食指を動かされるものはなく、ただ唯一、私には不相応と思っていたG63が素晴らしいと感じていたのでした。
ところがこの私のゲレンデも10年の月日が過ぎ、10万キロを超える走行となり、内装も大分系年経過を感じるようになりました。私は数人の懇意にしているディラーのサービスマンの知り合いがいます。彼らは純粋に車が好きで、そして楽しく語り合える人たちです。そんな一人からこの新しいゲレンデを紹介してもらったのです。色も前と同じ白。そして何よりG63です。もちろん不相応なのは分かっています。でも後何年こうやって車を運転して楽しめるのでしょう。それにお金は天後(地獄)に持っていけません。やはりAMGのエンジンは素晴らしい。5500ccのエンジンにツインターボ、実は12気筒のBMWにも乗っていたことがありましたが、12気筒のうち4気筒は何時もお亡くなりになられていて実際には8気筒で走っていたような気がします。笑。AMGがドイツのAffalterbach市にあると知ったのはその後でした。AMGのマークのリンゴの木もこの市の紋章からとったものです。
そうそう6月にもう一つ、我が家にやってくるのです。そう、Leonbergerのパピーです。
2018年1月16日火曜日
ラブラドールとシャルドネ
我が家には10か月になる茶色のラブラドールの女の子がいます。すでに3代の犬を飼っていたので犬の躾は大丈夫だろうと嵩をくくっていたら、子育てを忘れていた孫のような扱いに犬も知ってかしらずか、中々言うことを聞きません。これはまずい犬のためにならないと育児書を引っ張り出して親業を一から始める始末です。
我が家のラブラドールは茶色ですが、父親はイエロー、母親はブラックだそうです。中学の時に教わった優性遺伝というものらしいです。ですから、祖父母のどちらかが茶色ということになります。
ところで話は変わりますが、ワインの葡萄の品種として今では広く膾炙しているシャルドネはラテン語のCardonnacumという言葉が語源のようでその意味は「シャルドン=あざみで一杯の土地」だそうです。
このシャルドネはピノ・ノワールとグーエ・ブランという葡萄の品種を両親に持つことが、フランスとアメリカの二つの団体のDNAの共同研究で昕にされました。父は赤ぶどうと母は白ぶどうということになります。反対でもいいんですけどね。
そしてこのシャルドネの特徴は何と言っても色々な土地に適応できることだそうです。
カソリックの修道士たちによってフランスの各地に広まっていった様子が容易に想像できます。
この母方のグーエ・ブランという品種はあまりに質が悪いので、フランスでは栽培が禁止されているほどですが、しかしながらその歴史は古く3世紀まで遡るということです。そしてこの二つの交雑によって実に様々な葡萄の品種(アリゴテ、ガメイ、オーセロア、ミュスカデなどなど)が生まれ、各地に定着していったようです。
生物の持つ多様性と将来はDNAの二重螺旋のように絡みながら、陰と陽の如く、現れては消え、消えてはまた現れる。中々、感慨深いものがあります。
我が家には10か月になる茶色のラブラドールの女の子がいます。すでに3代の犬を飼っていたので犬の躾は大丈夫だろうと嵩をくくっていたら、子育てを忘れていた孫のような扱いに犬も知ってかしらずか、中々言うことを聞きません。これはまずい犬のためにならないと育児書を引っ張り出して親業を一から始める始末です。
我が家のラブラドールは茶色ですが、父親はイエロー、母親はブラックだそうです。中学の時に教わった優性遺伝というものらしいです。ですから、祖父母のどちらかが茶色ということになります。
ところで話は変わりますが、ワインの葡萄の品種として今では広く膾炙しているシャルドネはラテン語のCardonnacumという言葉が語源のようでその意味は「シャルドン=あざみで一杯の土地」だそうです。
このシャルドネはピノ・ノワールとグーエ・ブランという葡萄の品種を両親に持つことが、フランスとアメリカの二つの団体のDNAの共同研究で昕にされました。父は赤ぶどうと母は白ぶどうということになります。反対でもいいんですけどね。
そしてこのシャルドネの特徴は何と言っても色々な土地に適応できることだそうです。
カソリックの修道士たちによってフランスの各地に広まっていった様子が容易に想像できます。
この母方のグーエ・ブランという品種はあまりに質が悪いので、フランスでは栽培が禁止されているほどですが、しかしながらその歴史は古く3世紀まで遡るということです。そしてこの二つの交雑によって実に様々な葡萄の品種(アリゴテ、ガメイ、オーセロア、ミュスカデなどなど)が生まれ、各地に定着していったようです。
生物の持つ多様性と将来はDNAの二重螺旋のように絡みながら、陰と陽の如く、現れては消え、消えてはまた現れる。中々、感慨深いものがあります。
2017年5月24日水曜日
犬を飼うということ
一昨年13歳でゴールデンレトリバーの男の子が、そして先月14歳と78日でレオンベルガーの女の子が虹の橋を渡ってしまいました。
私が犬を飼う(完全に自己の責任によって)ようになって3頭目です。
知人の中にはこの別れが辛いから飼わないという人もいます。それは私も分かります。
犬は赤ちゃんの頃から面倒を見ているので自分の子供のようでもあります。その子を見送るんですからその辛さや寂しさはひとしおですからね。
芸能人で動物好きので有名なTさんは犬は断じて家族ではないと言います。家族だったら死んでも次を飼うことはできないからだと。でも死別して再婚する人もいるわけですからそれもどうかと。
ただ一つ、言えることは犬のいない寂しさは犬でしか埋められないと。
先月も死んだ2日後に孫たちが横浜に遊びに来ました。確かに賑やかで一瞬寂しさも忘れられますが、やはりぽっかりと空いた穴は塞がってはくれないのです。
超大型犬の14年といえば人間の110歳です。天寿補全うしたとも思いますが、それでも1日でも長く生きていてほしいと密かに希望をしている自分たちがいるのです。
3頭の中で2頭は私の腕の中で息を引き取りました。それがせめてもの救いでした。
私の人生の記憶を辿れば、全ての場面に犬たちが関わっています。
楽しい時も、辛い時も、そして寂しい時も、あの子たちが居なかったらと思うと、私などどうなっていたか分かりません。
あと2日で月命日になります。自分の年齢を考えるとレオンベルガーのような大型犬の介護を一年半経験した事で、今後の10年先体力が持つのか、つい躊躇してしまいますが、やはりそこは考え直して、そのためにも仕事を頑張って、いざとなれば専属の介護人を雇う位の気持ちに切り替えました。そう、犬のいない生活は私には考えられないと言う結論です。犬との出会いは「縁」です。最初に会った時、家に来る子は何かピッとくるものがあります。そして其の1頭1頭の性格も全部違い、同じ犬種でも全くの別の犬です。ですから前の子と比べるなんてことはないですね。
これからどんな「縁」でどんな子が我が家にやってくるのか分かりません。でも其の子たちの命が天命だとしたら最後まで一緒にいて命の限り付き合ってあげることが、犬を飼うと言うことなのではないでしょうか。
犬のためならハワイもサーフィンもロードバイクも全て犠牲にしても余りある生活があるのですから。
一昨年13歳でゴールデンレトリバーの男の子が、そして先月14歳と78日でレオンベルガーの女の子が虹の橋を渡ってしまいました。
私が犬を飼う(完全に自己の責任によって)ようになって3頭目です。
知人の中にはこの別れが辛いから飼わないという人もいます。それは私も分かります。
犬は赤ちゃんの頃から面倒を見ているので自分の子供のようでもあります。その子を見送るんですからその辛さや寂しさはひとしおですからね。
芸能人で動物好きので有名なTさんは犬は断じて家族ではないと言います。家族だったら死んでも次を飼うことはできないからだと。でも死別して再婚する人もいるわけですからそれもどうかと。
ただ一つ、言えることは犬のいない寂しさは犬でしか埋められないと。
先月も死んだ2日後に孫たちが横浜に遊びに来ました。確かに賑やかで一瞬寂しさも忘れられますが、やはりぽっかりと空いた穴は塞がってはくれないのです。
超大型犬の14年といえば人間の110歳です。天寿補全うしたとも思いますが、それでも1日でも長く生きていてほしいと密かに希望をしている自分たちがいるのです。
3頭の中で2頭は私の腕の中で息を引き取りました。それがせめてもの救いでした。
私の人生の記憶を辿れば、全ての場面に犬たちが関わっています。
楽しい時も、辛い時も、そして寂しい時も、あの子たちが居なかったらと思うと、私などどうなっていたか分かりません。
あと2日で月命日になります。自分の年齢を考えるとレオンベルガーのような大型犬の介護を一年半経験した事で、今後の10年先体力が持つのか、つい躊躇してしまいますが、やはりそこは考え直して、そのためにも仕事を頑張って、いざとなれば専属の介護人を雇う位の気持ちに切り替えました。そう、犬のいない生活は私には考えられないと言う結論です。犬との出会いは「縁」です。最初に会った時、家に来る子は何かピッとくるものがあります。そして其の1頭1頭の性格も全部違い、同じ犬種でも全くの別の犬です。ですから前の子と比べるなんてことはないですね。
これからどんな「縁」でどんな子が我が家にやってくるのか分かりません。でも其の子たちの命が天命だとしたら最後まで一緒にいて命の限り付き合ってあげることが、犬を飼うと言うことなのではないでしょうか。
犬のためならハワイもサーフィンもロードバイクも全て犠牲にしても余りある生活があるのですから。
2014年3月27日木曜日
昭和の犬
テレビの事で昭和っぽいと揶揄したが、私が少年時代いつも側にいるのは雑種の犬だった。裏手の河原には野犬がいた。これは危ないので保健所の係の人(私たちは失礼にも犬殺しと呼んでいた)が捕まえて持ち帰っていた。車に積まれいつまで遠吠えをしていた白黒のぶちの犬の目が忘れられない。
子犬は神社の社の下に段ボールに入れ捨てられていた。やっと目が開いたその犬を段ボールごと抱きかかえ家に持ち帰った。母いつも決まって飼っては駄目というが、私の泣き落としが失敗したことはなく、最後は仕方ないと言って飼うことを許してくれた。最初に飼った犬はコロと名づけた。2.3年生きたが病気で死んでしまった。次の犬はタヌといった。目の周りがぶちになっていた。この犬も2.3年で死んだ。当時の犬小屋は屋外にあり、北側で日の差さない劣悪な場所にあった。父親の手作りの犬小屋は粗末で北風が入り込み、犬は丸くなって寒さを凌ぐしかなかった。
父親が誰も面倒を見ないと珍しく語気を荒らげて山奥に捨てに行ったことがある。しかし、翌日には何食わぬ顔でその犬は犬小屋で寝ていた。その時キソウホンノウという言葉を知った。
3匹目はチコといった。高校生の頃だった。暫くすると彼女の足は外側に大きく曲がりはじめた。彼女は動物病院に初めて連れて行った犬だった。病名はくる病。日光不足が災いした。彼女は避妊手術もした。雑種だったが気が強く、食べている時に手を出すと家人の手でも噛み付く。しかし、私だけには従順だった。
私が進学で上京した年に母が子宮筋腫の手術をした。母は犬の面倒を見ることが出来ず私に黙って保健所に渡した。私が何かの用で実家に帰ると犬小屋にチコの姿が見えない。母を問いただすと渋々本当のことを言い出した。私は急いで車のハンドルを握りアクセルを目一杯吹かして保険所に向かった。保健所の冷たいステンレスの仕切りの一番奥にチコはいた。なんとか間に合った。チコは私を見ると全身で喜びを表し、子犬のように甘えた。私はチコを奪い取り車に載せた。チコにゴメンネといい涙が止まらなかった。取り残された保健所の犬達が哀れだった。
そのチコも母が再婚をすることになり。山奥の農家に預けられた。真偽の程は確かめたことはない。ただ、そう思うことにしている。それから犬は飼わないと心に決めた。
今私の膝の上に11歳になるレオンベルガーのサクラが顔を乗せている。もう一匹の14歳のセプはテーブル下の定位置で夕食の準備を待っている。平成生まれのサクラもセプも、昭和生まれのチコやタヌ、コロも、ただ人のそばに一日でも多く居たいと思っている。これには平成も昭和もないのだ。
2014年3月24日月曜日
柴犬
私は柴犬に好かれる。一般に和犬は飼い主しかなつかないというがそんな事はない。
昨日も柱に繋がれた若いメスの柴犬と会話した。安心したのか擦り寄ってきた。もちろん頭を撫ぜて親愛の情を示した。
ある時、広場で遊んでいるとオスの柴犬とオスの中型犬が喧嘩になった。喧嘩の原因は女の子である。私が仲裁に入ると周りが見えなくなるほど興奮していたオスの柴犬がわたしの腕を噛んだ。痛くはなかった少しだけ血が出た。
その後の柴犬が面白かった。何となくやってはいけない事をしたというバツの悪い顔で私に寄ってきておべっかを使う。体を擦り付けてきてお腹まで出してしまう。そしてその後合うといつも決まってその動作をするようになったのだ。
私の柴犬贔屓はしばらく続きそうである。
2014年3月10日月曜日
犬の幸せ
先代の犬は7歳で早逝した。あの時はあまりに突然の事だったので家族全員大いに慌てふためいて感傷の涙に暮れた。今の子達はそれに比べると14歳と11歳である。ふたりとも随分長生きをしてくれた。本当に感謝している。
男の子の方は目もあまり見えないようで、自分で排泄のコントロールが出来なくなって久しい。女の子もこのところ足腰の老化が著しい。ソファに乗るのも一苦労だ。この歳だから仕方がない。私たち夫婦にとっての最初の介護になってしまった。(笑)
幸いなことに2匹とも食欲はある。女の子はもともと食べないので小さな頃から手で食べさせていたので癖になってしまったのだが。
この子たちが天国に行く日は出来るだけ遠くであって欲しいと思うが、もし突然訪れてもそれも運命と思うことにしている。この子たちと過ごした時間は戻らないが、いつもこの子たちと最大限の愛情を持って接してきた自負があるから後悔はしない。
そうきめて今日も頭を撫ぜてきた。その日が来るまで出来るだけ一緒にいようねと。
2013年10月31日木曜日
TENTATION DE JIBIE
正式にはgibierではなくsauvageです。何故ならgibierには一定の条件下で飼育された獣肉も入ってしまうためで戴いたこれは正真正銘の野生だからです。
フランス語で鹿はcheveuil=シュヴルイユといいます。野生の肉の中でもすぐに血抜きしないと血が回ってしまう扱いの難しいものなのですが、我が家にはこの季節になるとこの嬉しいこの贈り物が届きます。もちろんこれとてご主人のハンターの腕のなせる技でしょうが、
この美味しい贈り物を届けてくれるのは黒のラブラドールを飼っている横浜在住のご夫婦です。セプとさくらに感謝。犬がいなければ出会えなかった縁だからです。
ご主人が狩猟し、奥様がそれを捌くというなんとも仲睦まじいご夫婦であります。
昨日も新鮮な蝦夷鹿のもも肉と貴重な心臓を戴き、家族で美味しく食べさせていただきました。
飼育された獣肉との違いは何と言ってもその肉の持つ生命力です。肉を噛みしめれば今まで生きていたその動物の命を感じます。私達がいかに多くの動物達の犠牲の上に成り立っているのかつくづく考えさせられます。それだからこそ骨まで大切に味わいたいと思うのです。
ということで今回は蝦夷鹿のもも肉のグリエのレシピです。もし手に入ったら是非チャレンジしてみてください。秋の深まりとともにこのジビエでとったフォンは格別でありますから。
蝦夷鹿のもも肉のグリエ
■用意するもの■
肉
蝦夷鹿もも肉 塊、蝦夷鹿の骨、クズ肉
香味野菜
セロリ、人蔘、エシャロット、タマネギ、パセリの茎、にんにく、ローズマリー、タイム
お酒
赤ワイン、ポルト酒、ブランデー
調味料
塩、胡椒、キャトル・エピス、バルサミコ酢
その他
バター、網脂、ピーナッツオイル
付け合せ
きのこ各種、じゃがいも、根セロリ
■作り方■
① 血や筋を掃除した肉に赤ワイン、香味野菜(半量)を入れ一晩マリネする
② 骨、屑肉、香味野菜(半量)にピーナッツオイルを掛けてオーブンで焼く
③ 大鍋に半量の水を入れ②をこそげ落とすようにして入れて、灰汁を掬いながらよく煮込む
④ ①の一晩マリネした肉を取り出し、水気を拭きとり網脂をかぶせる
⑤ ①のマリネした野菜、ワイン、さらにバルサミコ酢を大鍋に加えさらに煮込む
⑥ 煮汁が1/3程度になったら野菜や浮遊物を漉す。これでソースの基本が出来上がり。
⑦ 千切りにしたじゃがいもと根セロリに塩コショウしピーナッツオイルで片面ずつ焦げ目がつきカリッとするように炒める。
⑧ きのこはバターでさっと炒め塩コショウしておく(肉が出来上がる寸前)
⑨ 網脂の上からバターを塗り、塩コショウ、キャトル・エピスを振り、肉の表面をさっと色づく程度にフライパンで焼く
⑩ 肉の上にステンレスのボウルなど被せて10分休ませ、次に200度のオーブンで5分焼き、さらに同様に被せて10分休ませる。これを5回から6回繰り返す(肉汁が出なくなって肉が膨らんできたら出来上がりです)
2013年8月28日水曜日
犬を飼うと言う事 老犬の介護
我が家の2代目のゴールデンリトリバーの男の子はこの9月で13歳になります。前の女の子が7歳で突然亡くなったので、十分長生きしてくれています。
それでももう13歳です。去年までは海で泳いでいましたが、今はその体力はありません。
足腰も弱く、今年に入って尿失禁も始まり、常時オムツをするようになりました。
前足にも豆が出来て、時々つぶれて出血する事もあります。そんな時は靴下をはかせて様子を見ます。
毛並みも悪く目は白内障で全身に腫瘍が出来ていますが、悪性なのか良性なのかさえ分かりません。
前の子は手術をした数日後に亡くなりました。掛り付けの獣医は中々手術をしてくれず、その1年後にやっと行った卵巣のう腫の手術は成功したといっていましたが、今考えたら手術などしなければ良かったと後悔しています。先生を攻めるのではなく、最後のわずかな時間でも家族の中に居られる方が良かったと思うからです。
3代目の女の子も9歳になりました。彼女のお父さんは9歳で無くなっています。大型犬の寿命は本当に短いのです。
彼女の方も以前は車の荷台に飛び乗っていましたが、今はとてもそんな事は出来ません。足腰は弱くなってきました。
ゴールデンは両手で抱えあげられますが、彼女は50キロ以上あるので無理です。
今そうなったとき用の担架を考えています。生き物を飼うと言う事は老化を引き受けるということです。生きている以上必ず別れは訪れます。
前の子の時はその悲しさにペットロスになったものですが、私達も色々と学びました。悲しみは同じでしょうが、犬が死んだ悲しさを犬だけが癒してくれることも知っています。
いつまで一緒に居られるかそれは分かりません。でも精一杯生きている以上、世話をするのが動物を飼った人間の使命です。犬は最高の相棒ですから・・・
それでももう13歳です。去年までは海で泳いでいましたが、今はその体力はありません。
足腰も弱く、今年に入って尿失禁も始まり、常時オムツをするようになりました。
前足にも豆が出来て、時々つぶれて出血する事もあります。そんな時は靴下をはかせて様子を見ます。
毛並みも悪く目は白内障で全身に腫瘍が出来ていますが、悪性なのか良性なのかさえ分かりません。
前の子は手術をした数日後に亡くなりました。掛り付けの獣医は中々手術をしてくれず、その1年後にやっと行った卵巣のう腫の手術は成功したといっていましたが、今考えたら手術などしなければ良かったと後悔しています。先生を攻めるのではなく、最後のわずかな時間でも家族の中に居られる方が良かったと思うからです。
3代目の女の子も9歳になりました。彼女のお父さんは9歳で無くなっています。大型犬の寿命は本当に短いのです。
彼女の方も以前は車の荷台に飛び乗っていましたが、今はとてもそんな事は出来ません。足腰は弱くなってきました。
ゴールデンは両手で抱えあげられますが、彼女は50キロ以上あるので無理です。
今そうなったとき用の担架を考えています。生き物を飼うと言う事は老化を引き受けるということです。生きている以上必ず別れは訪れます。
前の子の時はその悲しさにペットロスになったものですが、私達も色々と学びました。悲しみは同じでしょうが、犬が死んだ悲しさを犬だけが癒してくれることも知っています。
いつまで一緒に居られるかそれは分かりません。でも精一杯生きている以上、世話をするのが動物を飼った人間の使命です。犬は最高の相棒ですから・・・
2013年6月7日金曜日
犬を飼うと言う事
犬を飼うということ
犬は死ぬのが嫌だから飼わないと言う人もいる。それも分かる。死んだときの悲しさはたいへんで辛くて堪らないから。
ある芸能人は、犬は絶対家族ではないと言いきる。その理由は家族だったら死んだからといって新しい家族を迎い入れることはしないからだと。
もっともらしい理由だがそうだろうか。
私には大学生の時に飼っていた犬を手放さなければならなかった苦い過去がある。雑種でくる病のため足がo脚に曲がっていて、見栄えの良い子ではなかったが私には天使のようだった。飼い主でさえ食べている時に手を出すとカブリと噛みつきそうな癖のある子だった。それでも可愛かった。母が病気で入院する事になり、私は授業を放り出して面倒を見る事は出来ず、そして人手に渡った。それ以来、絶対に犬は飼わないと思っていた。
オースラリアに住む先輩の家に遊びに行った。ゴールドコーストにあるその家には大きなゴールデンリトリバーがいた。大人しく躾をよくされたその犬は家族の人気者だった。
私の娘は犬を飼ったことがなかったので、少しでもその犬が近づこうとするとソファの背もたれの上を逃げ回っていた。
娘は犬を知らない。いや、人間と言う動物しかしらないのだ。だから、これ程までに犬を拒絶するとしたら、このままで良いのだろうか。子供の成長にとって犬と暮らす事は大きな意味を持つのではないだろうか。帰国して暫くそんな事を考えていた。
そしてもう二度と手放さないという覚悟と信念を確認して、我が家に初めての犬を迎い入れたのである。
メスにしては大型のゴールデンリトリバーだったが、利口で人間の言う事は良く理解した。小さな頃に他の犬に慣らしていなかったので犬嫌いの傾向あったがトラブルを起こすような事はなかった。娘と息子はこの犬に育てられたようなものだ。どこへ行くのも一緒だった。そんな目に入れても痛くないような可愛いジーニーは7歳で急死した。一年ほど前からラットテールが目立ち卵巣膿腫が疑われ摘出をお願いしていたのだが、その獣医は中々とりあってくれなかった。やっと手術が決まった矢先、ゼエゼエと荒い息を立てながら寝ている私のところに近寄ってきて息絶えた。何故、助けてあげられなかったのだろうと暫く自責の念が消えなかった。獣医師の裁量、知識も医学のそれに比べて大きな違いがある事も分かった。他の犬を見れば涙して、暫くはみんなの散歩している場所には近づけなかった。悲しみを完全に消す事は出来ない、しかし、時間のみがその悲しみを薄めてくれる。そして一匹のブルドッグが私達のそばから離れず、心配そうに顔を舐めてくれた。
結局、犬を失った悲しみは犬しか癒す事は出来ない。そして、今度は男の子のゴールデンリトリバーを迎い入れる事にした。よく、2頭目を飼うと最初の犬と比較してしまうと言う人がいるが、そんな事はない。一匹一匹性格も違う。そう兄弟のそれと同じように個性があるし、単純に比較など出来ない。そしてさらにもう一匹メスのレオンベルガーを迎い入れた。考えてみれば家族だって離れて行く。一緒に暮らせるのはほんのわずかな時期だけだ。犬だって変わらない。ただ一生が短いから、子供のように思っていても私達の方が先に年をとる。だから死んだときの悲しみは我が子を失ったような気になるのかもしれない。
そんな2匹も13歳と10歳である。先代の倍近く一緒にいる。最近では足腰も悪く、排尿の障害も出始め、ボケも入っているようだが、足を引きずりながら元気に食事を催促する。
最初の命題に戻る。犬は家族だろうか、家族ではないのだろうか。私にとって家族は必ずしも血縁とは限らない。縁あって一緒になった人や動物も全てひっくるめて家族だと思う。
遠くの親戚で一度もあった事の無いような人より、そうした家族の方に愛着が強い。
愛情を持ってその犬の犬生を寄り添ってまっとうさせてあげる事が出来れば、犬も人間も幸せだと思う。だってその人以上に可愛がってくれるところはないのだから。
2012年4月12日木曜日
犬を飼うと言う事・・・
モモコちゃんが亡くなった亨年18歳・・・大往生である。
でも飼い主には大往生なんてありえない。いつになってもまだ来年と思うから・・・
私は兄弟もなく、友達も少なく(この性格ゆえ皆無??)犬や猫が幼い頃の友達だった。
神社の境内に捨てられた小犬を拾って来ては飼ったのは数えきれない。
最後にいた子は「チコ」という小さな雑種だった。
クル病にかかって脚はO脚、そして苛められた性格ゆえか怖がりだった。
私以外の人間が食事の時に手を出そうものならガブッと噛みついた。
そんなチコを上京のため離れ離れになった。
母親の手術もありチコは手放した。今でもそのチコの夢を見る。
それ以来、犬は飼わないと心に決めた。
二人目の子供が生まれ長女が幼稚園のときにオーストラリアの先輩の家を訪ねた。
そこにはマディというお利口なゴールデンかいた。
自分が飼っていた今までの犬との違いに驚いた。
娘は犬に触ったことも接したこともなくソファーの上を逃げまわった。
帰国して犬を飼うと決めた。
ジニ―が家にやってきたのはその時である。我が家に沢山の幸せをくれたジニーのことは忘れない。
ジニ―は7歳で虹の橋に旅立った。あまりの突然に我が身を切られた悲しさにどうしようもなかった。
突然の死はやりきれない思いだった。
しばらく犬を見ることも触ることも出来なかった。
2か月以上が経った頃、いつも散歩させていた広場に行くと、いつもは寄ってこない達郎君というブルドッグが近寄って来てそばを離れようとしない。
涙があふれて・・・とめどなく、目の前が何も見えなくなった・・・・
犬を失った悲しみは犬でしか癒せないと思った。
それ以来、犬を飼い続けると決めた。自分が死ぬまで一匹でも多くの犬と一緒に暮らしたい。
その時間は私にとっても犬にとっても最高の時間とするべく自分に課した。
犬の寿命は短い。だからこそ最大の愛情をもって接して愛すべき家族としなければならない。
有名タレントが犬は家族じゃないという。私はそうは思わない。短い時間かもしれないが家族だ。
短いからこそ出来うる最大の愛情を注いで育て接するべきである。
セプやさくらもいつかは死ぬ。考えたくなくてもいつかはその時がやってくる。
その時は骨壺を抱いて眠る日が続くだろう・・・さりとてまた犬は飼うと思う。
本当に愛しているから・・・・家族とともに歩んだ愛しい君たちかけがえのない神様からのプレゼントだった・・・愛しべき君たちへ・・・・
ジニ―は一緒にハレクラニのプールで泳いだのですよ・・・・・・・・・いつも一緒にいて・・・・
でも飼い主には大往生なんてありえない。いつになってもまだ来年と思うから・・・
私は兄弟もなく、友達も少なく(この性格ゆえ皆無??)犬や猫が幼い頃の友達だった。
神社の境内に捨てられた小犬を拾って来ては飼ったのは数えきれない。
最後にいた子は「チコ」という小さな雑種だった。
クル病にかかって脚はO脚、そして苛められた性格ゆえか怖がりだった。
私以外の人間が食事の時に手を出そうものならガブッと噛みついた。
そんなチコを上京のため離れ離れになった。
母親の手術もありチコは手放した。今でもそのチコの夢を見る。
それ以来、犬は飼わないと心に決めた。
二人目の子供が生まれ長女が幼稚園のときにオーストラリアの先輩の家を訪ねた。
そこにはマディというお利口なゴールデンかいた。
自分が飼っていた今までの犬との違いに驚いた。
娘は犬に触ったことも接したこともなくソファーの上を逃げまわった。
帰国して犬を飼うと決めた。
ジニ―が家にやってきたのはその時である。我が家に沢山の幸せをくれたジニーのことは忘れない。
ジニ―は7歳で虹の橋に旅立った。あまりの突然に我が身を切られた悲しさにどうしようもなかった。
突然の死はやりきれない思いだった。
しばらく犬を見ることも触ることも出来なかった。
2か月以上が経った頃、いつも散歩させていた広場に行くと、いつもは寄ってこない達郎君というブルドッグが近寄って来てそばを離れようとしない。
涙があふれて・・・とめどなく、目の前が何も見えなくなった・・・・
犬を失った悲しみは犬でしか癒せないと思った。
それ以来、犬を飼い続けると決めた。自分が死ぬまで一匹でも多くの犬と一緒に暮らしたい。
その時間は私にとっても犬にとっても最高の時間とするべく自分に課した。
犬の寿命は短い。だからこそ最大の愛情をもって接して愛すべき家族としなければならない。
有名タレントが犬は家族じゃないという。私はそうは思わない。短い時間かもしれないが家族だ。
短いからこそ出来うる最大の愛情を注いで育て接するべきである。
セプやさくらもいつかは死ぬ。考えたくなくてもいつかはその時がやってくる。
その時は骨壺を抱いて眠る日が続くだろう・・・さりとてまた犬は飼うと思う。
本当に愛しているから・・・・家族とともに歩んだ愛しい君たちかけがえのない神様からのプレゼントだった・・・愛しべき君たちへ・・・・
ジニ―は一緒にハレクラニのプールで泳いだのですよ・・・・・・・・・いつも一緒にいて・・・・
2012年4月11日水曜日
Dogs friends
撮りためたdogs friendsの写真です。命あるものいちかはなくなります。それまで一緒に暮せた事に感謝しましょう。
Rママ、花と犬は難しいとおっしってましたがどうしてどうして、二人の表情がとても良く取れていましたよ!!
その写真の載ったブログはこちら→http://bernesemt.blog110.fc2.com/
Rママ、花と犬は難しいとおっしってましたがどうしてどうして、二人の表情がとても良く取れていましたよ!!
その写真の載ったブログはこちら→http://bernesemt.blog110.fc2.com/
2012年3月21日水曜日
さくら ボンボンジャンプ
寝る前に布団の上でボール投げをしてくれとさくらは自分でボールを持って訴えます(笑)
しばらく遊んだ後はこうして被りものをしてまた横たわります。
それにしてもこのところお散歩に来れなかった小太郎君が昨日は久々に現れました。
ホッとしました。セプと同じ12歳ですからね・・・・
しばらく遊んだ後はこうして被りものをしてまた横たわります。
それにしてもこのところお散歩に来れなかった小太郎君が昨日は久々に現れました。
ホッとしました。セプと同じ12歳ですからね・・・・
2012年3月9日金曜日
Sabby Chic セブの車
これ全部ピスカリアのものです。大好きなSabby Chicです。それでいて宮大工の技が垣間見えます。こういうの大好きです。
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もともと後ろ足の弱かったセブは加齢もあり、左足はほとんど使えません。それでも砂浜に行きたがります。
これはセブが動けなくなったときに運ぶ三輪車です。50キロ以上でも運べるようです。
そういう歳になりました・・・・・・・・・・
2012年3月5日月曜日
備えあれば 老犬介護 耄碌寸前
少し前に文豪鴎外の息子であるこの著作を読んだ。
老いて行くことを洒脱に面白おかしく書いている随筆だ。
人間も犬もやがて歳をとる。そんな時にやけに神妙で神経質になるより、こんな表現を使うのも悪くないと思った。
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もともと走ることも、運動も好きでないセプは若い頃からポーっとしていた。
散歩に連れ出すと何か見える??ように急に動かなくなることがよくあった。
副腎皮質の影響か、沢山食べるのに痩せてきた。多飲でもある。
まあ12歳だから立派な老犬である。
先日、長い長いお散歩から帰り途、左足が全く動かなくなった。いつもから引きずっていて爪が切れて血が出ることもしきりだった。
それ以来、後ろ足の調子はよくない。
ここならゲレンデで段々に運んで遊ばせることが出来るのでよいが、鎌倉では海まで多少の距離がある。砂浜についてしまえば良いのだが、その間が心もとない
以前、ドクターFの奥様のお友達のピレネーを飼っている人の家で大型犬も乗せられるドギーカートを観た。
善は急げ・・・早速購入した。まだまだ寝込むのには早すぎますぞ、セプ君!!!
2012年2月25日土曜日
2012年2月23日木曜日
気になる犬 ホファヴアルト ボースロン
レオンベルガーのさくらをお願いする前に気になっていた犬がいます。
どちらも日本では手に入らないと判明したのですがとても魅力的な犬です。
ひとつは写真のホファヴルトというドイツの犬です。ゴールデンとレオンのミックスのようですが、文献によるとスポーツが好きで子供にも寛容とあります。
写真はUKのホファヴルトクラブの一員であるPINESさんというブリーダーさんよりお借りしました。当時スウェーデンのブリーダーさんに手紙を書き本当に購入まで考えていた犬です。
もう一頭はフランス古来の牧羊犬、ボースロンです。ボース地方の牧羊犬なのでこの名前がついたようです。
こちらの写真は恐らく(フランスの地理が得意でないので)ドイツとの国境近くのアルザスで暮らす日本人の方が飼っているAUKIIというボースロンです。すみませんあまりに可愛いので写真使わせてもらいました。(ペコッ)
以前、日本でも恐らく唯一このボースロンを飼っていた人が那須にいて14歳で亡くなったと聞きました。本当に会いたかったな・・・・・・・・・・・・
このボースロンとてつもなく強く、飼い主と強い信頼で結ばれたい犬とのことです。
えっ!!さくらに似ている???そうなんです、この手の色が好きなんですね!!!!
その方のブログです。フランスの田舎の雰囲気と大型犬や猫、料理など、とても楽しいブログです。
http://tchierisu.exblog.jp/
どちらも日本では手に入らないと判明したのですがとても魅力的な犬です。
ひとつは写真のホファヴルトというドイツの犬です。ゴールデンとレオンのミックスのようですが、文献によるとスポーツが好きで子供にも寛容とあります。
写真はUKのホファヴルトクラブの一員であるPINESさんというブリーダーさんよりお借りしました。当時スウェーデンのブリーダーさんに手紙を書き本当に購入まで考えていた犬です。
もう一頭はフランス古来の牧羊犬、ボースロンです。ボース地方の牧羊犬なのでこの名前がついたようです。
こちらの写真は恐らく(フランスの地理が得意でないので)ドイツとの国境近くのアルザスで暮らす日本人の方が飼っているAUKIIというボースロンです。すみませんあまりに可愛いので写真使わせてもらいました。(ペコッ)
以前、日本でも恐らく唯一このボースロンを飼っていた人が那須にいて14歳で亡くなったと聞きました。本当に会いたかったな・・・・・・・・・・・・
このボースロンとてつもなく強く、飼い主と強い信頼で結ばれたい犬とのことです。
えっ!!さくらに似ている???そうなんです、この手の色が好きなんですね!!!!
その方のブログです。フランスの田舎の雰囲気と大型犬や猫、料理など、とても楽しいブログです。
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