小学4年生のM少年は裕福ではなかったものの、母の努力で破れた半ズボンは履かなくても登校することはできましたが、ほとほとこんな地方都市の金満権力至上主義に嫌気がさしており、夏休みの束の間の「はらむこう」の休日がなによりでした。ここには着てきた服をうるさくいう奴も、強い奴にへつらう奴もいません。年上の優しい「イサチャン」と今でこそ自閉症という言葉がありますが、当時の私には「あーうーのターボー」のこの2人しかいませんでした。
当時の山荘は村の人が誰も使わないような場所(まむし沢)にありました。もちろん、この浅い沢が私の初泳ぎの場所でもあり、泳げたと自身を付けた場所でもありましたが、確かに蛇は多かったです。
岩魚が蛇を飲み込んで肛門から出ている姿(仮死状態)のものまで見ました。
3人でホームの石垣の穴に花火を入れて白蛇を燻り出したり、かえるを餌に雷魚を釣ったり、線路に5円玉を置いたり(いまだから話します)、やまかかしを枝で遊んだりしました。(映画スタンバイミーのようでした)
当時、この「やまかかし」は無毒と言っていましたが、昨日のテレビではマムシ以上の毒を持っており、皮膚からもイボガエルのような毒液を出すらしいです。くわばらくわばらです。
イサチャンが持って来てくれた美味しい白桃は今も食べる事が出来ますが、ターボーは数年後に亡くなったと聞いています。人の善い面、悪い面両方を見ることができた9歳の夏でした。